第70話 俺は知った
「……は?」
ゆっくりと田部は顔を上げ、俺を見上げて薄く笑った。
「何を言ってるんですか?」
酷薄な笑いが、食いしばっていた口から漏れる。馬鹿にしたような、蔑むような視線で俺を射すくめる。
「だから……」
俺は唇を舐め、それからごくりと唾を飲みこんで同じことを口にした。
「俺の養子に入らないか?」
もう一度同じ事を繰り返し、それから、怒涛のように話しかける。
「そうすればお前。生活費は気にしなくていいだろ? 転校だってしなくてもいいし。ひとところでゆっくり生活できるじゃないか。そしたら進学だってもっと真剣に……」
「そんなこと、できるわけがない」
田部は笑い出した。腹を抱え、体をくの字に曲げ、げらげらとしばらく笑い続ける。
俺は、口を閉じてそんな田部を見ていた。
「僕を養子に、っていいますけどね、先生」
田部は目元に浮かんだ涙を、繊細そうな細い指で拭い、俺を見上げる。
「香川さんのこと、どうするんですか」
「香川さん……?」
突然彼女の名前が出てきて戸惑う。田部は俺に向き直り、胸を反らせるようにして見上げた。
「香川さんとお付き合いしたいんでしょう?
告白したって、僕みたいな邪魔者がいたら、断られますよ。
まぁ、でもあの香川さんのことだ。実は問題ないかも知れませんね。あの人、そんなところが鈍そうだ。
だけど、念願かなって、香川さんと付き合い出したとしても、家には常に僕がいるんですよ」
田部はまた、うっすらと口元に笑みを浮かべる。
「自宅には呼べないし、休日外で会おうとしても、僕を置いて出るのは、先生的にやましいんじゃないですか?
日中でさえそうなんだから、ましてや夜遅くに外で会うこともできない。だって、未成年の僕が先生の自宅にいるんですからね。この前みたいに、芝原先生でも呼びますか?」
田部はくすり、と笑うと、さらに続ける。
「それでもなんとか付き合いは続いたとしましょう。香川さんもこんな不自由な付き合いに我慢してくれたとしましょう。でも、結婚はどうするんですか。先生」
田部はまた、噴き出した。
「先生、その年で、14歳の子持ちですよ。香川さんの親御さんはびっくりされるどころか、結婚に反対するでしょうね。いや、そもそも」
田部はケラケラ笑いながら、俺を見る。
「先生は俺を養子に迎えても、香川さんは嫌でしょう。結婚すら、きっと敬遠だ」
田部は笑いをおさめると、一転能面のような無表情に戻る。
「僕の母親は、僕を育てるのが面倒で家を出ました。
僕の父親は、僕の学費や生活費を払うのが嫌で逃げました。
先生だってそうだ。いまは僕を養子にしたい、なんていうけど、いつまでもそんなこと続くもんか。きっとまた僕を捨てるんだ」
あの両親のように、と田部は吐き捨てた。
「だったら、期待なんて、最初っからもたせないでよ」
突き放すような声に。
睨みあげるようなその目に。
怒気が吹き上げるその背に。
俺は安堵した。
期待だ、と。
その口が言った。
俺を真っ直ぐに睨むあの眼の奥に。
すがるような光があることに気づく。
怒気を孕むあの肩が。
お前は、嘘を言ってるんじゃないか、と疑いながらも信じたい気持ちがあることを知った。
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