第31話 なんとなく、沈黙が訪れる
中は。
至って普通だった。
三人が並んで立てばもう一杯になりそうなほどの玄関と、日に焼けてもとの色はうかがい知れない玄関マットが敷かれた上り框。
そこから伸びるのは、数メートルほどの廊下だ。
廊下を挟んで一室ずつ部屋があるようで、玄関の突き当たりに向かい合うようにある扉は、どうやら便所のように見える。扉の上部にガラスが切ってあり、四隅が剥がれかけたシールは、男女のトイレマークだ。
入ってすぐ右手側に伸びるのは、階段。
二階に続くものらしい。今は、二階から玄関に行くには、絶対にリビングを通過しなければならない造りの家も多いという。子ども部屋が二階にある場合、こっそり外出できないようにしてあるのだという。そんな話を保護者から聞き、なんとなくいまの子は不自由だな、と苦笑したのを思い出した。俺なんて高校時代はしょっちゅう夜中に家を抜け出して近所のコンビニで部員と待ち合わせをし、なにか食ったりしゃべったりしていた。
「田部さーん。入りますよ」
香川さんはそう言い、自分のシューズを脱ぎ始める。俺も革靴を脱いで、室内に足を踏み入れた。
「あ。待ってください」
廊下に進もうとしたら香川さんに呼び止められた。なんだろうと動きを止めると、田部の足からクロックスを脱がせているところだった。
「居間はどこでしょうね。そこに寝かせましょうか」
香川さんは、自分の靴や俺の靴もあわせてきっちりと玄関に並べ、先に立って歩く。
「失礼します」
香川さんは言いながら、そろり、と右手側の襖を開いた。
戸車を滑る襖は、黄ばんで染みも随分と浮いているが、鶴と亀が描かれた縁起のよさそうな図柄だ。
「ここに、寝かせましょう」
首を突き入れて様子を伺っていた香川さんが、幾分ほっとしたような顔で、振り向いてそう言った。俺は頷き、彼女に近づく。香川さんは襖を開いて、俺に室内を見せる。
なるほど。
居間として利用しているような部屋だった。
畳八畳ほどの広さだろうか。
意外にも室内は整然としている。
整然としている、というより、モノがないのだと入室して気づいた。
いまはもう見ないようなレトロなちゃぶ台が中央にあり、部屋の隅には、なんとブラウン管のテレビが鎮座している。
電気は付けっぱなしのようで、雨戸が下りたままの室内は、白々しい蛍光色の光に照らされていた。
多分、だが。
この雨戸の向こうが、芝生の生えた庭だ。あの、家庭用のぶらんこが置いてある庭。
「座布団とか……。ないのかな」
香川さんがきょろきょろと室内を見回すが、それらしきものはない。
というより。
本当に、テレビとちゃぶ台しかないのだ。
ちゃぶ台の上にも、食器らしきものや筆記用具すらない。
押し入れがありはするものの、勝手に開けて座布団を探るのは、俺も香川さんも気が引けた。
「このまま寝かせましょう」
俺が言うと、香川さんは頷く。ちゃぶ台に近づき、そっと持ち上げて、押し入れ側に寄せてくれた。俺は広くあけられた畳の上に膝を突き、ゆっくりと田部を下す。
「……ふっ」
寝かせた瞬間。田部の口から呼気が漏れ、反射的に顔を覗きこんだが、瞳が開く様子はなかった。
「しばらく、様子を見ましょうか」
静かに田部に近づいてくる香川さんに、俺は声をかけた。香川さんは頷き、田部を挟んで俺と向い合せに座る。
「16時42分ですね」
腕にまかれたやけに武骨な腕時計を見て、香川さんは呟いた。細い腕に似つかわしくないと思ったら、どうやら男物のようだ。
ふと。
場違いだけど、落胆した。
多分。
恋人のものなんだろうな、と察したからだ。譲ってもらった、とか。お揃いとか。
「30分経っても状況が変わらなければ、救急車を呼びましょう」
香川さんは、不安そうに俺に伝える。
「田部君は拒否していますが、心配です」
ぎゅっと眉根を寄せ、勝気そうな瞳を俺に向けた。
「こんなの、児相通報レベルですよ」
そう言われれば、俺も頷くしかない。
「とにかく、この一件に関しては、
俺がそう伝えると、香川さんは大きく頷いた。
「私も上司と相談し、この地域での田部家の状況を聞いてみようと思います。自治会長さんか、民生委員さんにでも」
俺たちは互いに頷き合い、畳に座り直した。
そして。
なんとなく、沈黙が訪れる。
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