二章
行橋教諭と香川ボラコは田部家に赴く
第15話 俺は相模をはぐらかす
◇◇◇◇
ケース検討会が終了してから2週間後のこと。
「先生、これから何かあるの?」
5時間目終了のチャイムが鳴り、俺は持っていたシャーペンを机の上に置いた。さて、イスから立ち上がろう、そう思ったら
「何か、って?」
向かいに座る相模を見る。生徒用の机を向かい合わせにして、俺と相模はさっきまで英語の課題をこなしていた。
「デートとか」
にやにやとからかうような笑みを浮かべて、相模は俺を見上げていた。「ちがうよ」。できるだけ素っ気なく聞こえるように答えて、立ち上がる。だけど。
「……なんで、そう思ったんだ?」
非常に理由が気になる。筆記用具をケースにしまいながら、さりげなさを装って尋ねてみた。
「給食、ほっとんど食べなかったし。いつもみたいに休憩時間も、ポカリとかあんまり飲まなかったしさ」
相模は机に頬杖をついて、相変わらず意味ありげな視線を送ってきた。
「今から外出するのかなぁ、だからトイレとか気にしてて何も食べないのかなぁと思って」
「お前、探偵になれるな」
呆れてそう言うと、相模は屈託なく笑った。
「俺は詐欺師になるんだ」
「またお前は、そんなこと言って」
俺が顰め面を作ると、相模は首を縮こませるようにして変顔をし、「すみませぇん」とおどけて口にした。全然、すみません、と思っていない。
「早く片付けろ。2年4組に戻らないと、終会に間に合わないぞ」
俺がため息交じりにそう言うと、相模は「そうだそうだ」と、机の上のタブレットに手を伸ばす。
愛用のサッカーシューズと同じぐらい、大切に扱う相模のタブレット。
それは、俺がお願いして相模のお母さんに先週買ってもらったものだ。
『学校が、教育や学習指導を放棄したら、一体何を子どもに教える気ですか?』
2週間前に、香川さんが俺達に尋ねたあの一言は、自宅に帰ってからボディブローのようにじわり、と効いてきた。
真っ先に頭に浮かんだのは、今年の4月から俺が受け持っている貴重な生徒の一人。
相模も。
1年生の後半から不登校気味になった生徒のひとりだ。
遅刻を繰り返しながらでも、1年生の後半はなんとか毎日学校に来ていた。
それは、本人の言う通り部活が楽しいからだ。
技術もぬきんでているらしい。彼は中学1年の頃からすでに強豪私立高校から目をつけられているサッカー選手だ。
性格も陽性で、友達も多い。見てくれだって悪くないし、家庭環境も良好だ。
ただ。
学校に遅刻する。
だいたい給食を食べる頃に、ふらりと現れ、そのあと2時間程度の授業を寝て過ごし、放課後は部活をして帰る。
1年生の学年主任が何度も指導を行うが、彼の態度は変わらない。
しばらくすると、サッカー部部員の保護者からクレームが出始めた。
『生活態度が悪い不良でも、上級生を押しのけて、レギュラーになるんですか。ここは公立中学校なので、学校全般の生活を鑑みて、選手を選ぶべきじゃないですか』
保護者会からそう言われてしまえば、サッカー部顧問の
『学校は部活だけをするところじゃない。真面目に授業に来られないなら、試合には出せない』
阿川先生は、相模にそう告げた。
その、次の日から。
相模は、ぴたりと学校に来なくなったという。
大好きだった部活にも顔を出さず、休日には互いの家をゲーム機を持って行き来していた友人からのケータイも取らず、相模はただ、ひたすらひきこもった。
このあたりから、芝原先生が介入をし、学校に来るようにいろいろアプローチをしてみたが、あの陽気な相模が真っ青な顔をして、一言も何も言わなかったそうだ。
『先生が悪かった。お前からサッカーを取り上げるようなことを言った、先生を許してくれ』
相模が学校に来なくなって一ヶ月が経った頃、阿川先生は相模の家を訪問し、相模に向かって深々と頭を下げたのだという。
戸惑うご両親や、芝原先生が止めるのもかかわらず、阿川先生は立ったまま、額が太ももにつきそうなぐらい、頭を下げ続けた。
その姿を見て。
相模は、わんわんと大声で泣いたのだそうだ。
その後、相模は両親すらわからなかったことを次々と言いだしたらしい。
『授業がわからない』
『小学校高学年の頃から、漢字が良くわからなかった』
『ノートをとれって言われても、書いているそばから消されて、間に合わない』
『耳で聞いてなんとかいろんなことを覚えた』
『俺は勉強ができないから、サッカーで進学しようと思っていた』
『漢字や、ときどきひらがなもよくわからないのに、英語なんてついていけない』
相模は。
勉強が全くわからなくて、つまらなくて、不安で、どうしようもなくて。
こんなに勉強ができなかったら、きっと高校なんて進学できない。
中卒で仕事なんてできるだろうか。
そもそも。
字を読まなくてもいい仕事なんて、あるんだろうか。
サッカーだ。
サッカーしかない。
サッカー選手で注目されて、進学するしかない。
そう思い込んでいた矢先に、『試合に出せない』と顧問に言われ。
絶望してひきこもった。
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