第14話 返事をした俺を、香川さんは綺麗な目でみつめた

 あの母親は、家庭訪問や教員の介入すら断るのだ。学習指導のためとはいえ、他人が家族へ関わることを承知するだろうか。


「『ボランティアなんです、無料なんですよ』とおっしゃってみてください」

 香川さんの言葉に、「へ?」と、思わず間の抜けた返事をしてしまった。


「さっき私が言ったことと矛盾しているように聞こえますが」

 香川さんは俺を見て、まだあどけなさが残るような顔でにっこりと笑う。


「ボランティアを利用したい、という人には、私はさっきみたいに『ボランティアは無料の人材ではない』と声を大にして主張しますが、ボランティアを必要としている人には、私はそのような説明をします」

 香川さんは校長に顔を向けた。


「社協でも多いのです。自宅に上げてくれない人って。生活困窮者の方とかとくにそうですね」

「生活困窮者?」

 隣の芝原先生に尋ねたが、芝原先生も肩を竦めるだけのところを見ると俺と同じ程度だとしれた。


「法律のなかでの「生活困窮者」とは「現に経済的に困窮し、最低限度の生活を維持することが出来なくなるおそれのあるもの」と定義されています」

 能勢のせさんがすかさず答えてくれた。


「生活保護は受給していないんですが、生活保護に至る可能性のある者で、最終的には自立が見込める方のことです。具体的にいうと、年収二百万円以下の給与所得者、高校中退者、ニート、引きこもり、生活保護受給者の子ども、母子世帯などが含まれていると思われます」


「そういった方の中には、困っているけど、サービスは受けたくない、とおっしゃる方がいらっしゃいます。サービス自体にお金がかかると勘違いされていたり、『自分はそんな対象の人間ではない』とはっきりと思っておられる方も多いですから」

 香川さんは能勢さんの言葉を継いだ。


「ただ、近隣住民は困っているわけです。たとえば、ひとり親家庭で、掃除が行き届いておらず、子どももとても清潔とはいえない服装をしている、とか。見ていて、なんかこう、手伝ってやれないだろうか、と思う訳です」


「だけど、それを拒否する?」

 芝原先生の言葉に、香川さんは頷く。


「やはり、あまりに近所すぎる人からの手伝いというのは心理的にブレーキがかかります。『困っている』ということを露骨に知られたくないということがありますから」

 皆、知ってるんですけどね、と香川さんはひっそりと呟いた。


「まぁ、そんな時に、社協が関わらせていただくんですが」

 香川さんは、再びにっこりと笑う。


「他地区からのボランティアを紹介し、『この方はボランティアなので、無償でお手伝いが出来るかも知れません』と、お伝えするわけです」


「そしたら、本当は困ってるわけですから、意外にすんなり自宅に上げてもらえるんですよ」

 能勢さんは落ち着いた声でそう言い、続けた。


「本当は、隣近所の方が助け合って生活をしていくのが一番なんでしょうけど。それを望む人ばかりではありませんからね。誰だって、『人助けはしたい』と思うけど、『人に借りを作った』と思うのは嫌なものです」


「ただ、最終目標として、個人宅に入りこみ、この方の生活課題を解決するためには、私たちはいろんな方法を使い分けます」

 能勢さんの言葉を受け、香川さんはそう言ったあと、俺を見た。


「そのお母さんに、『不登校生徒を対象に、無料で学習指導をしてくれるボランティアがいるが、どうだろう』と聞いてみて下さい。このまま勉強につまづき、息子さんが私立の高校にに行くとしたら、どれぐらいのお金がかかるか、とか。いまは授業料自体は無料ですが、公立に行くとこんなに諸経費が安い、とか」

 香川さんは、少し瞳に勝ち気な色を浮かべて校長を見る。


「絶対、話に乗ってきますよ」

「じゃあ、お母さんへのアプローチは、能勢さんと芝原先生にお願いしよう」

 校長は、モミ手をしていた手を、ぱちりと合わせた。


「学習指導ボランティアの受け入れについて、ちょっと話してみてよ。場所はどこでもいいよ。能勢さんの言うとおり、外でも家の中でも。で」

 校長は、ぐるり、と顔を俺に向けた。一瞬、戸惑って俺は視線をそらす。


「実際にボランティア派遣が決まったら、行橋ゆきはし先生と香川さんとで、実行に移してもらえるかな」

「はい」

 香川さんは即答し、俺は慌ててそれに続いた。


「わかりました」

 そう返事をした俺を、香川さんは綺麗な瞳で見つめてくる。


「頑張りましょうね。行橋先生」

 彼女はそう言って、やっぱりにっこりと笑った。

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