第13話 俺は、溜めていた息を吐いた

 それに、みんなの視線が急に気になりだしたこともあった。


 校長も、芝原先生も。

 さっきまで俺のことをぼんやり見ていたのに、気づけば、くっきりとした視線を俺に向けている。


 しまった、と後悔した。

 余計な事を言った。


 だけど。

 だけど、田部からの相談をここで潰すわけにはいかない。何か言わなければ。


 つなげなければ。

 田部との縁を。


 なんとかしなければ。


 ぎゅう、と下腹がまた痛み始める。

 俺が腹に手を添えた時だ。


「不登校の生徒や児童の対応を、私も能勢のせさんからいろいろと聞いています」

 穏やかな、メゾソプラノの声に、俺は上目づかいに視線を上げた。


「『無理して行くことはない』とか。『来ることができる状態の時に行こう、学校は待ってるよ』とか」

 視界に入っている香川さんは、特段硬い顔も怒った顔もしていない。


 ただ。

 にこにこ、と笑っていた。


 しかし、さっきまでとは違う。


 温かみの無い笑顔だ。

 どこか、冴え冴えと。

 鋭気を孕んだ、笑顔だった。


「でも、私には『面倒だから来るな』『来たいのなら、来たらいいよ』『どうせ三年経ったら自動的に卒業だ。放っておけば自然に縁が切れる』と言う風に、いつも聞こえていました。『まぁでも来たら、面倒は見てやる』みたいな」


「それは……」

 芝原先生が慌てて口を挟むが、香川さんは笑顔を崩さずに言い切った。


「ボランティアに学習を指導させるんですよね。それって、学校が、教育や学習指導を放棄したってことですか。だったら学校は、一体何を子どもに教える気ですか?」

 芝原先生は、香川さんの言葉に口をつぐむ。


「生きる力を教える、とか。社会でやっていくためのコミュニケーションを養うとかおっしゃるつもりですか? そんなのは昔から地域がやっていました。いまさら、学校にしていただかなくても結構です。逆に、学校が昔からしていたのは、『勉強を教えること』ではないですか。私には」

 香川さんは、笑顔を絶やさずに続けた。


「学校が、その大切なことを放棄し、安易な道に逃げ込んでいるように見えました。そのことのために、ボランティアを利用するなら、まっぴらごめんです。まず、自分がすべきことをしてから、ものを言いなさい、と伝えに来たんです」


 ぴしゃり、と香川さんは我々教員を叱りつけた。 


 校長室が、しん、と静まり返る。

 さすがの校長も声が出ない。ちらりと見ると、あの、とぼけたような表情はもう浮かんでいなかった。


「ですが」

 香川さんは、丸く大きな目を、俺に向けた。


「そうではないようですね。先生は、今ある手持ちのカードで、どう対応すべきか必死に考えておられたんですね」

 にこり、と香川さんは微笑む。


 その表情からは。

 さっきまでの鋭さが抜けていた。

 俺は、背中の強張りを緩め、おそるおそる彼女に尋ねる。


「……協力して下さいますか……?」

 すがるように、そう問うた。


「はい」

 香川さんは、大きく首を縦に振った。


 俺は一気に肩から力が抜ける。よかった。頭の中にはそれしかない。いつの間にか吹き出す額の汗を拭い、再び呼気を漏らした。よかった。これでボランティアが田部のところに行く。行ってもらえる。


「ただし、田部君が学校に登校できるようになったら、このボランティア支援は打ち切らせていただきます」

「もちろんです」

 返事もろくに出来ない俺に代わり、芝原先生が素早く応じる。


「数学科の先生が、きっちりと面倒を見てくれます」

「そうでしたね」

 香川さんは陽気に笑う。その様子に、校長は能勢さんと目を合わせて小さくうなずき合った。やれやれ。そんな感じに見える。


「ボランティアに望むことはなんですか? 自宅に訪問しての勉強指導でしょうか」

 香川さんは俺と芝原先生を交互に見比べ、首をかしげる。


「ええそうです。訪問しての勉強指導をお願いしたいのですが……」

 芝原先生の言葉を、「いえ」と打ち消したのは、能勢さんだった。


「彼がテストを受ける気があるなら、『外に出る』気はあるんです。でしたら、ここは自宅を訪問するのではなく、図書館や庁舎の自習室で行うのはどうでしょうか」


「それ、いいねぇ。外出の機会も作れるしね」

 校長が、再びのんびりとした声で応じる。


 だが、はた、と俺は気づいた。


「あの、すみません。こんなこといまさらなんですが……」

 恐る恐る尋ねた。


「そもそも、田部の母親は、このボランティアによる学習指導に応じるでしょうか」


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