第12話 結局俺は、俯いた
「なるほど。それで、数学の指導が出来るボランティアを、という
俺がかいつまんで説明を行うと、メゾソプラノでそう言われた。
声に顔を向けると、香川さんは俺ではなく、能勢さんを見ていた。能勢さんは、にっこり笑って頷く。
「校長先生からお話を伺って……。ボラコである香川さんに相談をかけたってことなのよ」
能勢さんは、柔らかい視線のまま香川さんを見詰めた。
「でも、該当のボランティアがいなければ無理しなくても大丈夫よ」
こちらも旧知の仲らしい。砕けた口調に、香川さんは首を横に振る。
「いるんですけど。今日は、内容を聞いてからお返事しようと思ってたんです」
「何か質問でも?」
芝原先生が、香川さんに尋ねる。
「まず、どうして先生がこんなにたくさんいらっしゃるのに、『ボランティアを』って、おっしゃるんですか? 先生が教えれば良いと思うのですが」
香川さんは綺麗な、アナウンサーのような発音で小さく首を傾げた。
「それぞれ、専門の教科がありましてね。自分の教科以外の勉強を教えるのは、なんとなくタブーなんですよ」
芝原先生が、穏やかに答える。香川さんはますます不思議そうだ。
「では、数学の先生が教えれば良いのでは?」
「数学の先生にもお願いしてみたのですが……」
芝原先生は、小さく肩をすくめた。
「学校に来るのであれば指導をする、と」
「いや、その学校に来られないから、『不登校』で、数学が遅れてるんですよね?」
んんん、といぶかるような唸り声を上げたあと、香川さんは顔を顰めてそう尋ねる。芝原先生は大きく頷いた。
「ただ、数学の先生は、『学校に来させるまでは、そちらの領分だろう』と」
「そちらの領分って……。先生方の、ということですか?」
香川さんは、理解できないというような顔で俺と芝原先生の顔を見た。
「まぁ。数学の先生がおっしゃることもわかるんですよ。不登校の生徒の家に訪問して数学を教えいてたらキリがないし、仕事の量が膨大に増えるわけですし」
「だったら、他の……。たとえば
香川さんは俺を見てそう言うが、芝原先生は首を横に振る。
「それは越権行為です。教員間の仲が完璧に壊れる」
「いや、だって……」
香川さんはそう言ってから口をつぐみ、それから数秒の沈黙のあと、首を斜交いに倒して、芝原先生を見上げた。
「ボランティアなら問題ないんですか? 数学を教えても」
「問題ないです。塾だと思えばいいわけですから」
芝原先生の言葉に能勢さんは苦笑したが、香川さんは笑わなかった。芝原先生は、そんな香川さんの目を見て言う。
「方法はなんだっていいんです。この子が今、『数学が遅れている』ということを気にしていて、それを対処できる方法を、われわれは探しています。そのことに、ご協力していただけますか?」
真摯な芝原先生の視線を、香川さんは真正面から弾きかえした。黒曜石のような瞳が鮮やかに輝く。
「数学の指導ができるボランティアというのは、うちのボランティアセンターに登録していらっしゃいます。ですので、能勢さんからお電話いただいた時、その場で『いますよ』と返事すればよかったんですが」
香川さんは、凛とした声で答えた。
「なぜ、学校に指導できる先生がたくさんいるのに、そんなことを尋ねるんだろう、と不思議でした。そこでこうやって伺ったのですが」
香川さんは改めて背筋を伸ばした。なんとなく俺や芝原先生も姿勢をただす。
「私は、常々ボランティアを依頼する方に説明をしています」
香川さんは、強い視線を我々教員サイドに送った。
「ボランティアは『無料』の、『誰かにとって都合の良い人材』ではありません。地域を良くし、住民の困り感を自分たちの力で解決しようとする人たちのことを言うのです」
はっきりとそう述べる彼女に、明らかに俺は狼狽した。
目が。
怒っているからだ。
香川さんが怒気を孕み、俺たちを見据えているからだ。
あ。そうか……。
俺は知らずに、ごくりと唾を飲みこんだ。
この人は、「無料で何か受けられる、得するサービスがないか」と俺たちが尋ねたと思っているのだ。
「あ、あの……」
俺は動転したまま、声を発していた。
いや、確かにそんな部分はある。
田部は塾代のことを気にしていたし、あの母親が費用を出すとは思えない。
だが。
かといって、『学校に来ない状況』の生徒に学習指導を受けさせる方法が、今の俺には考えつかない。
「田部には、家で数学を教えてくれる人が必要なんです」
気付けば切羽詰まった声が、口から飛び出す。
「あいつは、来る気なんです。テストを受けに。学校に。そのために、数学を教えてやりたいんです。あいつが初めて、俺に要望を言ったんです。だから、その……。もし、そんなボランティアがいるのなら……。あの……」
調子よく話し出したものの、後半は頭が真っ白になって言葉が出ない。
「ボランティアを……」
結局、それだけ呟いて、俺は俯いた。
香川さんに指摘されなくても。
十分都合のいいことを言っていることを自覚したからだ。
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