第8話 田部の本音が、俺にはわからない

「電話で連絡をしているとのことでしたが、これはご両親と?」

 能勢のせさんは、俺と芝原先生を交互に見る。芝原先生が、ちらりと俺に視線を向けた。お前が話せ。その目はそう言っている。


「田部のお母さんとは、一度だけ話せたようです」

 俺は背筋を伸ばし、能勢さんを見る。能勢さんは不思議そうに首を傾げた。


「一度だけ、というのは?」

「保護者からの欠席連絡が入らないので……」


「朝8時までに学校に連絡を入れる、というあれですね?」

 能勢さんに促され、俺は頷く。

 当校では、生徒が欠席をする時、必ず保護者から朝8時までに電話を入れて担任に欠席理由を伝えなくてはいけない。


 だが。


「新学期が始まったその日から、田部は欠席しています。その日だけ、お母さんから連絡が入って……。『休みます』とだけ言われ、以降は連絡がありませんでした。担任の佐々木先生は田部の家に毎日電話をしたのですが、電話に出るのは田部自身でした」


『体調が悪いので、欠席します』。『お母さんは今いません』。


 田部本人は、佐々木先生にそう告げたらしい。


 それ以降。

 毎日。

 田部は学校に来ない。


 そして。

『どうして学校に来ないのか』と尋ねる佐々木先生に、繰り返すのだ。


『体調が悪いので、欠席します』。『お母さんは今いません』と。


「家庭訪問はなさらなかったのですか?」

 能勢さんに尋ねられ、答えようと口を開いたところで、校長ののんびりした声が遮った。


「しましたよ。佐々木先生と芝原先生が行ったよね、最初」

 芝原先生は頷き、能勢さんに顔を向ける。俺は少し息を吐いて唇を舐めた。たったあれだけの説明で、こめかみが痛いぐらい脈打っている。おまけに全力疾走したかのように疲労しているのが情けない。


「ただね。出てこないんですよ」

 芝原先生が溜息混じりに言う。


「インターフォン越しに話はしました。やっぱり親御さんは不在でね。で、この段階ですでに1ヶ月近く休んでるもんですから、校長や教頭、2年の学年主任と話し合って、担当を行橋ゆきはし先生にお願いしたんですよ」

 芝原先生は、ゆっくりと背もたれに体を預けた。ぎしり、と椅子が鳴る。


「学校に来れば担任の佐々木先生が対応し、家に居る間は行橋先生が担当する、ということで話し合いましてね」


「なるほど」

 能勢さんは合点が行ったように頷いた。ちらりと香川さんを見ると、こちらは話の流れが分かっているのかどうなのか。ゆったりとした笑みを口元に浮かべて俺たち教員サイドを見ている。


「それから、行橋先生が電話をなさってるんですね?」

 能勢さんが今度は俺を見たので、力強く頷く。


「毎日、決めた時間に電話をしています」

「何時に、でしょうか」


「8時にしています」

 俺の言葉に能勢さんは頷いた。


「電話を取る、ということは、彼は起きてるんですね?」

「起きています。昼夜逆転という印象はありません」

 きっぱりと答えると、視界の隅で香川さんが能勢さんに視線を向けたのが見えた。


「不登校状態が続くと、昼夜逆転してしまって、朝が起きられず、結果さらに学校に行けない、という状況を作り出すんです」

 能勢さんが手短に説明し、香川さんが、「ははぁ」と感心したように頷いた。


「挨拶をして、体調を聞いて、学校に来ることができるかどうかを尋ねます。そのあと、お母さんが居るかどうか尋ねます」

 俺が能勢さんに告げると、能勢さんは首を傾げる。


「彼はなんて?」

「おはようございます。今日も具合が悪いので休みたいです、お母さんは用事で外に出ています、と言います」


「いつも同じことを尋ねるのですか?」

「最初はその……いろんなことを聞いてみたんですが……。挨拶や体調の確認以外のことを尋ねると、決まってフリーズするものですから」


 少し、言い訳がましくそう俺は口にしていた。


「フリーズとは、具体的にどんな状態ですか?」


 能勢さんが尋ねる。詰問口調でも問いただすような口調でもなかった。だからだろう。自分でも自覚できるぐらい余裕をもって答えることができた。


「黙ってしまって、数分間電話口から返答がありません。どもるような音も、気になるような呼吸音も聞こえません。ただただ」

 なんて表現しようかと、少し間をおいたが、上手い表現が見つからなかった。


「ただその……じっとしているんです。文字通り固まっているように感じました。受話器の向こうで」

「なるほど」


 能勢さんは大きく頷いた。


「まずは、彼と人間関係を作ろうと思って、しばらくは同じことを尋ね続け、無理な家庭訪問も避けました」

 俺の言葉に、芝原先生が頷く。このことについては、いつも相談に乗ってもらっている。芝原先生は、俺のスーパーバイザーでもあるのだ。


「彼は、心を開きましたか?」

 能勢さんの言葉に、俺は口ごもる。


 正直、わからない。

 それが本音だ。

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