第7話 田部は、不登校だ

「フェイスシートなどの資料はないのでしょうか」

 能勢のせさんが、首を傾げて芝原先生を見る。芝原先生は、「ああ」と言って顔をしかめてみせた。


「田部の両親から承諾を得ていませんので……。口頭での説明になります」

 芝原先生は、ぽりぽりと頬を掻いて能勢さんと香川さんを交互に見比べた。


「できれば書きとめることもご遠慮いただきたいんですが……。そんな状態でもいいですか?」

 問われて、能勢さんと香川さんは顔を見合わせた。


「私は構いません」

 香川さんはにっこりと笑って能勢さんに伝える。能勢さんは少し困惑したような色を瞳に浮かべたが、小さく息を吐いて顔を芝原先生と校長先生に向けた。


「わかりました。どうぞ」

 そう言ってペンを机に置く。香川さんはもとよりペンを持っていなかった。机の上に軽く握った拳を置き、笑顔を浮かべたまま芝原先生が話し始めるのを待っていた。

その様子は行儀のよい柴犬っぽさがあった。


「田部は、本年度の新学期に合わせて、兵庫県から引っ越してきました。理由は、父親の再婚です」


「ん? お父さんの結婚で、引越し?」

 能勢さんが眉根を寄せた。「珍しいですね」。小さくそう言うと、芝原先生は頷いた。


「そうですね。割と多いのは父親が住んでいる方に、新しい母親が来るんでしょうが……。田部と父親は、兵庫県から引っ越して来て母親との同居がはじまっています。ま、こういった場合、あれですな」

 芝原先生がふん、と鼻で息を抜く。能勢さんも苦笑した。


「兵庫県に住み続けられない理由があり、地元を離れる口実を探していたんでしょうな」


「予断は禁物ですよ」

 校長先生は口を挟むが、この校長室にいる皆は曖昧に頷いてみせた程度だ。皆、腹の中では芝原先生と同じ意見らしい。


「確か、今年の新学期は4月10日からでしたね」

 能勢さんが尋ね、芝原先生と校長先生は頷く。


「その日も、来なかった?」

 能勢さんの言葉に、再び二人は頷いた。


「手続きは普通に、町民課や教育委員会管理課でなさいました。田部と、お父さんと、新しいお母さんの三人で訪問し、就学通知書と異動通知書を受け取ったそうです」

 芝原先生の言葉に、能勢さんは何度か頷いた後に尋ねた。


「以降、学校には来ませんか?」

「来ませんね」

 芝原先生は即答した。


「今が6月ですから、2ヶ月も来ていないことになります」

 能勢さんが溜息を付く隣で、香川さんが眉を曇らせる。


「引越しが嫌だったんでしょうか。お父様の結婚が納得できない、とか」

 首をかしげるその仕草がやけに幼く、芝原先生は、生徒を見るような穏やかな目で彼女を見た。


「学校に来ない理由は一つではありません。ですから、香川さんがおっしゃるような理由も確かにあるかもしれません。複合的に絡み合っていることがほとんどです」


「電話等でコンタクトはとっておられるんですよね。それともZoomですか?」

 いつもの癖なのか。能勢さんはペンを構えたものの、メモを取れないことに気付いたようで、ふぅ、と息を吐いて机にペンを転がす。


「うちの中学校では個人タブレットの持ちこみを禁じています。ただ、能勢さんがお尋ねされたように不登校気味の生徒には学校所有のタブレットを持ち帰らせ、自宅と職員室をつないでZoomで面談を行うこともありますが、田部の場合、そのタブレットすらまだ渡せていないのです。だから毎日電話で彼の状況を聞き取っています。ただ」


 芝原先生はそこで言葉を止め、ちらりと俺を見た。


「田部は2年3組に在籍していますが、長期間欠席を続けている、ということもあわせ、担任の佐々木先生だけではなく、不登校対応の行橋ゆきはし先生にも電話をお任せをしています」


「なるほど。担任と、不登校担当の先生と両方で様子をみているのですね」

 能勢さんが真正面から俺を見据えるから、俺は居心地悪く椅子に坐りなおす。


仙都せんと西中学校で担当されている不登校生徒の人数は?」

「わ……私が対応している生徒は、田部のみです」

 能勢さんに尋ねられ、俺はつっかえながらもなんとか答える。一瞬、腸が大きく跳ねたが、痛みも切迫した便意も感じなかった。


「これほど長期で学校を欠席している生徒が、田部くんだけなんだよ」

 校長がのんびりした口調で答えた。


「あとの生徒というのは、中学校には来られないけど、町指定の適応教室に通ったり……。学校に来ても、保健室学習とかクールダウンルームで過ごしている、とかね。そんなんだから、クラス担任が対応している」


「じゃあ、田部君以外にも不登校の生徒はいるってことですか? その子たちの対応は、行橋先生じゃないんですね?」

 不思議そうに香川さんが俺たちを見回して尋ねた。


「不登校というか、『教室』という『集団』に入れない子、だねぇ」

 校長先生は口をへの字に曲げてみせる。


「それは不登校ではない、と?」

 香川さんが首を傾げる。芝原先生の低い呻きが校長室に響いた。


「とびとびでも、学校に登校できているのであれば、『不登校気味』ではあるけれど、『不登校ではない』と、当校では考えています。あるいは、『学級』に入れなくても、適応教室で過ごしたり、保健室に来て学習しているのであれば、出席とみなしています。ただし」

 芝原先生はここで言葉を区切り、断言する。


「田部は別です。これは不登校だ」

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