人生の散髪屋

リエミ

人生の散髪屋


 ――この散髪屋でカットすると、まったく違う自分になれる――



 最近、彼氏に振られたデコちゃんは、外見から変わりたいと思い、その散髪屋へ入った。


 古ぼけた建物はこじんまりとして、店内の鏡も錆びついていた。


 何か怪しいな、とは思うものの、デコちゃんは店の主人に、自分のなりたい髪型を口で伝えた。


 主人は50歳くらいのおじさんで、頭が寂しい。


 デコちゃんの髪の毛をしばらく見つめて、「本当にいいんだね?」と確認をしたあと、静かにハサミを入れていった。


 しばらくして、デコちゃんは急激な眠気に襲われた。


 そして、なぜか何の躊躇もなく、目をつむって夢の国へ行った。




 気がつくと、デコちゃんは散髪屋の前で、ボーっと立っていた。


 あれっと思って、鞄から手鏡を取り出し、自分の頭を見ると、もう自分が望んだような仕上がりになっている。


 財布からも、用意していた額だけ支払われていた。


 あれ、いつ終わったんだろう……と思ったその時、すぐ前の道を、学校から帰宅途中の弟に会った。


「あっ、ねえ見てよ! あたしの新しい髪型、どうかなー?」


 デコちゃんが聞くと、弟は一瞬呆気にとられた顔をしたが、すぐ我に返り、こう言った。


「あんた、だれ?」


「えっ!?」


 デコちゃんは驚いたが、弟が自分をからかっているのかと思い、笑い出した。


「もー、そんな冗談いらないよー」


 しかし、弟は真面目な顔をして「は?」と言って、歩きだした。


 デコちゃんはちょっとカチンときて、弟を追いかけた。


「待ちなさいよー」


「うわっ」


 弟は慌てて走り出し、デコちゃんも追いかけた。


「来ないでー!」


 弟は家のドアを開け、中から鍵をかけた。


「こらー! 開けなさいよー!!」


 怒ったデコちゃんが激しくピンポンベルを押すと、家にいた母が出てきて言った。


「やめてくださいな、お嬢さん。うちの子にストーカーしたって、何もいいことありませんよ」


「もー、ママまで変なこと言って……」


 デコちゃんが呆れていると、母はドアを閉め、また鍵までかけた。


「そんな……なんで?」


 デコちゃんはその場に立ち尽くして考えた。


「まさか……まさか本当にそんなことって……」


 デコちゃんは思い出した。


 散髪屋の看板に書いてあった言葉を。



 ――この散髪屋でカットすると、まったく違う自分になれる――



「まさか本当に?」


 デコちゃんは愕然とした。


「あの看板は、注意書きだったんだわ!」


 デコちゃんはしばらくオロオロしたり、手鏡で顔を確かめたり、もちろん自分自身の顔だ、と確信したり、その場で慌てふためいた。


 そうこうしているうちに、父が会社から帰ってきて、動揺しているデコちゃんと会った。


 が、不審な顔で、デコちゃんの前をすり抜けると、家へ入って行った。



 デコちゃんは泣きながら走った。


 もうどうしていいか、不安でしかたなかった。




 夜の静かな住宅街を走りながら、デコちゃんは自分を憎んだ。


 彼氏に振られたのは、外見じゃなくて中身だったことに気がついたり、自分で望んで違う自分になったけど、これからどう生きていくのか、まったく分からず怖くなったりと、さまざまな感情が湧き上がってきた。


 怖い、怖い、怖い、とデコちゃんは心で叫んだ。


 まったく違う自分に生まれ変わるとは、こんなにも重い問題を背負わなくちゃいけないことだったんだわ。


 誰にも頼れず、たったひとりで。




 デコちゃんは、あの散髪屋の前にやってきていた。


 古ぼけた店の、古ぼけた窓から、黄色い明かりが地面にもれていた。


「すみません、あの……」


 デコちゃんは店の外から主人を呼んだ。


 ドアが開いて、物静かに主人が現れ、こう言った。


「来ると思ったよ」



 デコちゃんは、主人に店内へ入れてもらった。


 椅子に座り、泣きながら「元に戻してください、前のあたしに……」と言ったが、主人は自分の薄い頭をかいて、こう言った。


「申し訳ないが、不可能だ。自分でもどういうわけだか分からんが、いつからか客の髪を切ると、その客が別の人になってしまうらしい。うちにもう一度来て、その人の髪をまた切ると、さらに、違う人間になる。そこであの看板を出した。出しても、変わりたいという人間はあとを絶たない。私は、そんな自分を変えたいと願った。しかし見てくれ。もう私には切る髪がない」


 デコちゃんは少しだけ笑った。


 主人は落ち着いた声で言い続けた。


「私が切る客は、仕上がり間近になると、眠ったようになる。たぶん、生まれ変わる瞬間だろう。人間は、生まれた時の記憶はないもんだ」


「あたしのような人は、たくさんいるの?」


「ああ、いる。そして時々、ここへ来るんだ。ダメな奴ほど、多く来る。ねぇ、きみもこう考えてごらん。きみは天涯孤独になって悲しんでいるが、これはチャンスなんだと」


「チャンス?」


「そう、人生やり直せるチャンスを知ったんだ。これをスタートとして、新たな自分を生きて欲しい」


「そんなぁ……もし、無理だったら……」


「その時はまた、ここに来ればいい。だがね、さっきも言ったように、あまり来るべきじゃない。ダメな奴ほど、人生に失敗してよく来るからね。私が切るのは、リセットじゃない。過去は引き継いで人の心に刻まれる。外見じゃなく、人は心で生きているんだよ」


 デコちゃんは、少しだけ希望が見えたような気がした。


 世の中にはこのチャンスを持った人が、まだ他にもいるということを知り、ひとりじゃない、とも思った。


「分かりました。今のあたしは、あたしが望んだことだもん。おじさん、あたし、いちから自分の人生、頑張ってみます。おじさんも、元気でね」


「ああ、ありがとう。きみのような人がいる限り、店をやり続けるよ。変わりたいという人のために」




 デコちゃんは、それから必死で働いた。


 アパートに住み、お金を貯め、友達を作り、第二の人生をやり直した。


 だが、現実はそう言葉でいうほど、簡単なことではなかった。



 時々、無性に家族のことが恋しくなる。


 そんな辛さにも耐え、デコちゃんは立派な大人になろうとした。


 でもちょっとだけ、少し確認するだけでいいからと、自分の家のある場所へ向かってみた。




 家はあった。


 中に住んでいる人が違っていただけだった。


 デコちゃんは忘れられない過去を引きずったまま、今度はあの散髪屋を覗いてみた。


 が、ドアにはこんな張り紙があった。



“病に倒れた主人は、そのまま息を引き取りました。長い間ご愛顧ありがとうございました。次の言葉は、主人の言葉です。


「皆さん、人生は一度きり。これからの人生、有意義に生きてください」”




◆ E N D

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