第3話 懐かしさ


 神社だ。

 鮮やかな色の木々に囲まれて、落ち着いた色合いの神社だ。


 古くなり薄まった赤色の鳥居に、酸化して緑青ろくしょう色の屋根。


 それが、相まって、日本の落ち着きのある華やかさを醸し出している。


 ぼんやりと頭の片隅に埋もれている景色。それが、今、くっきりと俺の周りを包む。


 金閣寺のような豪華絢爛な装飾よりも、やはり俺はこちらがいい。


 そんな、神社の前に俺は立っていた。

 見覚えのある、頭の奥にずっと埋もれ、落ち葉で隠されてしまった神社だ。


 そして、秋の色の木々に囲まれて俺は一人ではなく、誰かと一緒に……いた。


 俺の隣に立つ彼女の顔を伺うように、首をひねる。


 しかし、見えない。


 太陽の光のせいか、眩しくて、儚くて……。


 言葉をかけられた。


 しかし、聞き取れない。


 秋の風に掻き消されている。どんなに聞き入ろうとも、その声は俺には届かなかった。


 俺は近寄る。


 しかし、距離は近づかない。


 決して手の届かない空の彼方の星のように思えて……。

 

 それから……どんどん離れていった。

 赤と黄色の落ち葉を踏みしめ、追いかけるようにして、手を伸ばす。


 応えるように彼女も手を伸ばす。


 それでも……届かなくて……。


 離れていってしまって……でも、俺は何もできない。


 だから、俺は、彼女の耳に、距離を壊すように大声で叫んだ。


 何を叫んだのか、自分でもわからない。


 でも、彼女の瞳から、光が溢れていた。

 口が笑みと悲しみを湛えた一本線になっていた。


 そして、その口が動く。

 

 そのとき、妙に、この時間が、一瞬だったけれども、とても長く感じた。


 聞こえなかった。


 でも、こう言っていたと思う。

 『ありがとう、それと、ごめんなさい』


 俺は悲しみを隠すように笑っていた。


 感情を押し殺した、違和感のある顔だろう。この神社の、この景色には不釣りあいだ。


 懐かしい感覚はあるものの、どこか他人事のように思えた。


 その言葉とともに彼女は消えた。


 その瞬間、脳は他人事でも、心は妙に騒がしかった。


 それを抑えきれるか自信がないほどに。


 突如として、紅葉の葉が視界から奪われ、真っ暗になる。そして、さらに、引き戻されるような違和感に襲われた。



 ○●○


「夢か……」


 目が覚め、布団を捲り、まだはっきりしていない頭とともに、現状を把握しようと周りを見ると、ああ、と溜め息が出た。


 昔の家だ。


 何も変わっていない。勉強机も、天井にある蛍光灯も、このベットも。


「戻らなかったのか……」


 なんとなく寝れば全てがリセットされるような気がしたのだ。そうHPとかMPを回復するみたいに。


 すべてが元通り。まだそうならなくて良かった。


 それよりも、夢を見てると、寝ている人は時間が早く経つように感じるのだが、これはまずい。


 壁に掛けてある時計を見ると、8時23分。


 つまり、夢で約24時間経ってしまった。


 起きたら3日経ってました、なんて大いにありえてしまう。


 逆に3日も寝るなんて凄すぎでは? まあ、慣れるない仕事の消費HPは赤ゲージに、到達してしまう。そうこれは、階層のボスを倒すくらいの消費貸借。その後、揺らしたら命に関わるかもしれない。回復ポーションが必要である。


 ともあれ、昨日は、帰宅と同時に、ベットにダイブし、そのまま寝てしまった。


 親の顔も見ていなければ、妹の顔すら見ていない。


 何も話しをしないのは少し罪悪感はあるが、気にせず、服を持ちながら、さっとシャワーを浴びに行く。



 疲れをも洗い流した、と錯覚しながら、服を着ると、再び時計を確認した。


 九時を回ろうとしている。

 脳の奥にしまいこみ、忘れようとしていた記憶を引っ張り出す。


 ドタキャンはダメだろうな。心中でそう呟くと、隠すことなく深い溜め息が出てしまう。どこか他人事のように思いながら、それでも、心臓を震わせる。


 懐かしさはあるものの、殆ど初対面と代わらない女子と出かけるのだ。


 ユルくキャンセルしたら、逃げられる可能性があるかもしれない。そうキャンプに行くとか。ない、ないな。


 俺はその足でリビングに進む。


「おはよう」


 俺は眠い素振りを装いながら、扉を開け、足を踏み入れる。

 ガラス窓から差し込む光がどこか眩しく思えて、家族の姿が、それに包まれて見ることができなかった。


 久しぶりだった。

 言葉を飾らずに言うのならば、嬉しかった。本当に久しぶりで、帰りたくて、けれど、まだだ、と踏みとどまった。


 次に会うときは、恩を返すとき、と自分で思っていたからだ。


 というよりも、自分で勝手に目標を作り、それを達成するまで、帰るつもりはなかった。その目標は生活の安定。実家に帰ってしまっては心が緩み、親に頼りかねない。だから、帰っていないなのだが、それは、まだで達成できておらず、就職してから一度も帰ってない。


 あと少しで帰れるな、と思ったこの頃に、なぜだか、このような形で帰宅したわけだ。


 ああ、そうそう、ホームシックになっていなくもない。


 この夢は、それを、叶えるために見ているのかもしれない。


「「おはよう!」」


 昔から飽きるほど聞いた言葉なのに、涙が出そうになる。


 妹、そして、母が答えてくれた。父はもう仕事に出たらしい。


 それに、頷きながら、テーブルの方に移動するけれど、その間の沈黙が異常に気になってしまう。


 手に持っていたコート等をイスに掛け、黙って引き、テーブルに頬杖をつく。


 母は俺を真似るようにキッチンの台に頬杖をつき、俺の表情を伺うように、俺の顔を見た。


「……ハルキ聞いたわよ」


 笑顔なのに母の奇妙さを孕んだ言葉に、一瞬、言葉を発することができなかった。


「……え?」


「え? って、アレよ!」


「……何が?」


 母が勿体つけて、話さないあたり、嫌な予感しかしない。この切り出し方、既視感がある。詳しいことは言えないが、そう既視感がある。


「何って! 古屋さんちから聞いたわよ! 良かったわね!」


 数秒、思考が停止し、驚愕が訪れた。

 やはり、侮っていたのかもしれない。母親特有の情報収集力を。

 何? 百々目鬼の耳版なの? 耳があちらこちらについていて、昨日の話ですら手にすることができるのか。記者並みに、恐ろしいな。


 そこまで言われたならば、理解できてしまう。頭の奥にしまって忘れようとしていたやつだ。


「それが……?」


 言葉少なに問い返したものの、自分でも動揺の色がくっきりと見える。


 俺は自分の頬が仄かに熱くなったのを感じた。


 俺の脳には高校の記憶はないものの、微かな記憶だが、ほわーと、脳裏に残っている。そして、確信できる。


 彼女は確かにいた、と。


 決して夢の中の住人ではない、と。


 母は何も返さず、笑みだけを作って、こちらに向かってくる。

 手には目玉焼きとサラダ、それとドレッシングを持っている。


 それらをテーブルに置きながら、母は顔を近づけ、がんばりな、と目で語りかけて、肩を叩く。


 その動作が様になっていて、思わず口がだらしなく開いてしまった。


 それでも、テーブルの上に置いてある、パンを手に取りながら、楽しんでくる、と明るい今日を夢見ながら微笑んだ。


 ○●○


 朝食を食べ終えると、時間があるので、テレビの前のソファーに座っている妹の横に座った。


 我が妹、守屋花菜は落ち着いている。学校ではどうかは知らないが、俺のイメージは、ずっと変わっていない。長い黒髪も相まってか、大人びている。二個下なのだが、兄の威厳が崩れそうだ。


 彼女の顔を見るのすら久しぶりで、少し、嬉しいと思いつつ、咳払いをしてから話しかける。


「元気だったか?」


「……どうしたの? 兄さん……」


 妹は顔を向けるが、そこにはジト目を浮かべていた。いつも会う家族に聞くような質問じゃないよな、と苦笑を返し、取り繕うように口を開ける。


「まあ、少し寒くなってきたからな……身体を気にしただけだ。殆ど家から出ないからな、免疫欠如してないか心配だったんだ」


 冗談混じりに応えると、妹は微笑んだ。


「大丈夫。兄さんがインフルエンザを他所から持って来なかったらだけど」


 インドア派の彼女からすれば、自分で病原体を持ってくる発想がないらしい。人がぞろぞろいる学校で感染るという考えはないのだろうか。


 今日、俺がモールという名のインフル繁殖所に行くことを知っているから、そういったのかもしれない。


「兄さん? そろそろ行った方がいいんじゃない? ゆうき姉さん待たせないでね」


 姉さん? 彼女を認知してるとは……。俺はそのことを脳のメモ帳に記入する。


 時間はあるけれど、そう言ってくれるならば、そろそろ行こうかな。


「わかったよ。それじゃ行ってくる」


「うん、行ってらっしゃい」


 軽く手を振って、そう言った。

 それを見て微笑を浮かべながら、肩まで手を上げる。


 変わってないな、と思いながら、椅子に掛けていたコートとマフラー、それに、肩に掛けられるバックを取り、装着しながら、玄関に向かう。


 会話と映画の内容に慄きながらも行くのは、何か思い出すかもしれないからだ。

 どうでもいい学校での道のりではなく、もっとずっと深いところにあるものを。


 夢から醒めるまでの時間がわからないが、情報を集めたい。


 良い記憶であることを心から願って家から出た。

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あの頃の記憶を。 白羽翔斗 @148

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