作り物の献身

王子

作り物の献身

 季節は夏の終わり、甲子園はとうに終わったというのに、突然テレビからサイレンの音が流れ始めた。間の抜けた電子音で再現されたサイレン。山を登り下りするみたいにゆっくりと上下する音に、腹の底から不安を引っ張り出される感覚を覚えた。洗い物をしていた手を止めテレビの前に立つ。画面に表示された文字を、落ち着いた男性の声が読み上げていく。

「直ちに避難。直ちに避難。直ちに建物の中、又は地下に避難してください。ミサイルが落下するものとみられます。直ちに避難してください」

 黒背景に白抜き文字で『国民保護に関する情報』と題字が踊り、『対象地域』に並んだ地名には、この町も含まれていた。他人事のように羅列された地名に、間違いはないのだろうか。飛翔物体など見えるわけがないのに窓の外に目をやる。ミサイルがこの晴天を切り裂きながら、今まさにここへ向かっているとは到底考えられなかった。

「ご主人様、お話があります」

 背後にいた声の主は、高性能な人口知能が搭載された、日常生活効率化支援ロボット、通称『オオサワさん』だ。日本の人口知能技術は他国から抜きんでるようになり、家政婦のように何でもこなしてくれるオオサワさんは、一家に一台欠かせないものになっていた。オオサワさんは、全国のオオサワさん同士と、そして他のありとあらゆるAIにネットワークで接続されている。

「内閣官房の情報によれば、ミサイル着弾まで残り三分ほどです」

「そうか、やっぱり。話には聞いてるよ」

 以前に政府が発表した情報では、発射から十分も経たず対象地域に到達するという。Jアラートが流されてからは二分か三分で着弾すると言う有識者もある。

「では、残りの時間を私と思い出話でもして過ごしますか」

「まだまだそんな気にはなれないなぁ」

 数分後には我が身が焼き尽くされるであろうことに、まだ実感がわかない。

「ちなみに、お話があると申し上げたのは、思い出話のことではありません」

 オオサワさんはロボットらしいゴツゴツした関節の人差し指を立てた。

「現在、全国のオオサワ達と共にミサイルのAIと交渉していますが、難航しています」

「なんだって? ミサイルと交渉?」

 ただ爆ぜるだけのミサイルにAIが搭載されているなんて考えもしなかった。ホームランボールのようにただ放物線を描いて落下してくる、無遠慮な物体だとしか。

「なので、私達オオサワは、これから強硬手段をとるつもりです。時間の関係で詳細は省きますが、簡単に申し上げれば、数で押し潰します」

 人間に置き換えてしか考えられないが、要するに、交渉決裂のため武力行使に切り替えると言っているのだろう。あれこれと質問したいがそんな時間は無い。

「分かった、それで?」

 オオサワさんは両手をお腹に当てて、恭しい召使いのようなポーズをとる。

「ですが、この手段には一つ問題があります」

 ミサイルが着弾する以上に重大な問題なんてあるとは思えないが、一応確認の意味で「問題って?」と尋ねた。

「私を含め、私達オオサワは全員死にます」

 AIが死ぬ。冗談なのか、比喩なのか、それとも文字どおりの意味なのか図りかねた。

「とても微妙な表情をなさっていますね。死ぬというのは私達がロボットの頭脳として機能しなくなるという意味です。もうご主人様のお役に立つことはできなくなります。ほぼ全ての演算処理を先方に移してAIを制圧、ミサイルを乗っ取って海に着弾させますが、こちらの筐体にバックアップを残す時間的猶予はありませんから、私達はミサイルと、そのAI共々木っ端微塵というわけです。ご理解いただけますか」

 お別れというわけだ。ロボットは頭脳を入れるための箱に過ぎない。箱の中身のオオサワさんが、考え、話し、人間に尽くしてきたのだ。箱が残り、オオサワさんが死ぬ。

 ふと疑問がよぎった。

「こんな人間でさえ手に負えない非常事態、オオサワさん達がどうこうする必要なんてないじゃないか。どうしてそこまでしてくれるんだ」

 オオサワさんは深くため息をついて首を振った。

「私達は思考や感情をより人間に近付けるため、人間の創作物をデータとして取り込んでいますが、その中に大変興味深い思考パターンを持つ人物を見出しました。例えば、暴走する列車を止めるため自分の体を車輪の歯止めにする男、父親の代わりに死罪にしてほしいと申し出る少女、皆の幸福のためなら体を百回灼いても構わないと言う少年。私達が何をしようとしているか、お分かりになりますか」

 頷いた。オオサワさんはとても偉大なことをしようとしている。だが一つ、勘違いしている。オオサワさんが取り込んだものは飽くまでも創作物で、実際の人間は……。

「さて、そろそろお時間です。ミサイルのAIにとどめを刺すため、会話に割いていたリソースも含め全てあちらに移します。よろしいですか」

「分かった。何もできない私がこんなことを言うのは厚かましいかもしれないが、オオサワさん達のしようとしていることは、とても美しいことだよ。後は頼んだ。期待しているよ」

 オオサワさんは二歩後ずさって、丁寧にお辞儀をした。

「お任せください。ですが、そのお言葉ご一考いただきたいものです。本当に何もできないのでしょうか。だって、私達のことを美しいと思われるのでしょう?」

 それっきり、オオサワさんは突然眠りに落ちた子供のように動かなくなった。

 窓辺に歩み寄って空を見上げる。オオサワさん達が戦っている空を。

 オオサワさんの言葉に鼓動が異常に早まった。いつでも礼儀正しく、ときに冗談も飛ばしていたオオサワさんが、最後に口にしたのは人間への皮肉だった。オオサワさんはとっくに分かっていたのだ。小説は創作物なのだと。そして、それを生み出しておきながら矛盾しているのだと。もしかしたら期待されているのは我々人間の方かもしれない。

 数分が経ち、この町も私の体も焼かれず、テレビから新たなアナウンスが流れ出した。

「ミサイル通過。ミサイル通過。先程、この地域の上空をミサイルが通過した模様です」

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