魔女

 時間が進む速度というのは、存外早いもので、リシュリオルが雪の街を発ってから、半年以上の月日がいつの間にか流れていた。


 彼女の旅の目的である異界喰らいの残党狩りは殆ど進展が無く、手掛かりの一つも掴めていなかった。あまりにも成果の無い道行きに、最初は気を引き締めていたリシュリオルも、何の為に旅をしているのかと考える事がままあった。


 しかし、偶然という物は何もかも行き詰まり、目的を忘れかけてしまった時にやってくるらしい。今回の偶然は彼女が訪れていた街で、一人の異界渡りが失踪する事件が起きた事から始まる。




「この事件、私は調査するべきだと思う」リシュリオルは彼女の背後に浮かぶ精霊に言った。


「私はどちらでも良いと思いますよ。正直な所、あなたの旅の目的なんて今の今まで忘れてました」アリゼルは他人事の様に答えた。この黒い甲冑の精霊は相変わらず自分が楽しむ事のできない物事には、さっぱり興味が無いようだ。


「俺は賛成だ。早くお前の戦っている所を見てみたい。無論、俺が力を貸せばお前が負ける訳が無いがな」雪の街から付いて来たコートの精霊レグリス。旅を続けていく内に分かったが、その性質は好戦的な熱血漢である。そして、そこに高慢が付随する。


「面倒事に首を突っ込むのはあなたの得意分野ですからねぇー」

「臆病な快楽主義者の貴様に、闘争という生命の美学を理解する事など永遠にできまい」


 この二人の精霊は、全く反りが合わない。


「どうやら灰になりたいらしいですね」

「貴様こそ、その薄汚い鎧の腹に風穴を空けてやろうか」


 アリゼルとレグリスが話し合えば、直ぐに言い争いに変わる。そして、争いが起こる度にリシュリオルが二人の精霊の仲裁をしていた。


「落ち着け! 下らない喧嘩はするな! 今は敵の事を考えるべきだろ?」

「ちっ。命拾いしましたね」

「貴様がな」


 異常に仲の悪い精霊達を鎮めると、リシュリオルは街の地図を広げた。そして、異界喰らいとの戦いの経験を活かし、敵が殺人を行いそうな場所にある程度の目星をつけ、各箇所を一日で回れるような経路を考えた。


 その日は、それ以上の事はしなかった。できるだけ余計な浪費を避けたかった。明日、敵を見つけ出す事ができた時の為に、少しでも力を蓄えておきたかった。


 最後に一度だけ、騒がしい精霊達の口喧嘩を仲裁した後、リシュリオルは直ぐに眠りに就いた。  




 翌朝、リシュリオルは昨日計画した経路を参考にして、敵の居場所を探した。目星をつけていた場所は十箇所程だったが、その半分を見回る前に血の気配を感じる場所を見つけた。


 そこは、街外れの山間部に取り残されていたホテルの廃墟だった。壁面にはびっしりと蔦が生い茂り、窓ガラスは殆どが打ち砕かれている。街の中心部から遠く離れた人気の無いこの場所は、誰にも見つからず密やかに行動するには最適とも言える場所であった。


 この廃ホテルで見つけた物は、土が剥き出しになっていたエントランスの床に残された複数人の踏み跡と、建物の瓦礫に引っ掛かっていた衣服の破片だった。そのどちらも状態が新しく、ここ最近に残された人の痕跡だと、リシュリオルは考えた。


 異界喰らいが消えた事で、奴らの犯行の手口が杜撰になったのか。獲物を誘い込む罠なのか。それとも、下らない度胸試しで廃墟に訪れた暇人共の遊び場なのか。もし、そうだとしたらそいつらを殴り飛ばしてやりたくなる。


 様々な事を考えながら、ホテルの探索を続けていると、悍ましい光景を見ることになった。そこは廃ホテルの厨房で、埃を被った銀色の調理機器や冷蔵庫がいくつも並んでいた。だが、一箇所だけ赤い液体が滴っている場所があった。


 厨房の出入り口から一番遠い調理台の上に、皮を剥がされた何かの肉の一部が置かれていた。大量の羽虫がそれを中心に、騒々しく飛び交っている。


「酷いな」レグリスは赤く染まった調理台を見て言った。

「遅かった……」リシュリオルは拳を強く握り締める。


 リシュリオルは現場を詳しく調べ始める。肉片の次に目についたのは、調理台の近くに置かれた大量の薬瓶だった。犠牲者の延命処置を行う為の物だろう。確実に、今まで追ってきた敵に近づいている。


「リシュ!」突如、アリゼルに名前を呼ばれる。


 その声を聞いた途端、反射的にリシュリオルはレグリスの力で自身の身体を強化する。どんな時でも身を守れるように、日頃から素早い身体強化の方法を肉体に教え込んでいた。その実践的な基礎訓練が今、効果を示した。


 無数の弾丸がリシュリオルの身体にぶつかり、弾け飛んだ。弾けた弾丸が厨房の設備に当たり、耳障りな金属音を撒き散らす。厨房の出入り口に視線を向けると、顔に傷を負った男が逃げ去るのが見えた。


「弾丸の男!」リシュリオルが叫ぶ。そして、直ぐに男の後を追う。名前は確か『フニカラシ』と言ったか。


 リシュリオルが厨房の出入り口を通り過ぎた瞬間、真横から禍々しい形のナイフを持った男が襲いかかってきた。継ぎ接ぎの男、『ラドヒリク』。ナイフと徒手が複合された素早い連撃がリシュリオルに迫る。


 前回の戦闘で、圧倒的な格闘技術を見せたラドヒリクの攻撃も、今のリシュリオルには通用しなかった。レグリスの力で眼球を強化し、動体視力を強化する。彼の攻撃は、最早止まったも同然であった。


 ラドヒリクの拳とナイフを片腕で容易く捌き、彼の顔面に正拳をぶつけてやった。リシュリオルの渾身の打撃を受けたラドヒリクは厨房に繋がる長い通路の向こうに吹き飛んだ。


 吹き飛んでいくラドヒリクの姿に既視感を覚える。弾丸が来る。破裂音が背後から聞こえ、リシュリオルの予想通りの攻撃が迫る。数発の弾丸が薄暗い廃ホテルの闇の中から放たれた。きっともう一人の男、ジェタリオが視界になっているのだろう。


 しかし、その程度の銃撃が強化された彼女の身体に傷を与える事は無く、飛び交う弾丸を無視して、リシュリオルは吹き飛んだラドヒリクの方へ向かい、倒れ込んでいた彼の身体を乱暴に掴み掛かった。


「久しぶりだな、阿呆女」ラドヒリクが罵り笑う。

「その減らず口を聞けなくしてやる」


 リシュリオルはラドヒリクの体内に小さな炎を燻らせた。その炎は蝋燭に灯る程度の小さな小さな炎だったが、人間の痛覚をいたぶるには十分な火力を持っていた。余裕の表情を作っていたラドヒリクは内側に燃える炎の激痛に耐えかねたのか、耳障りな叫声を上げた。


「痛いか? だが、これからだぞ。お前達全員を苦痛の表情で歪める為なら、私は悪魔にだってなってやる」


 リシュリオルは苦痛に叫ぶラドヒリクの身体を引きずりながら、残りの二人を探す為に、ホテル内を彷徨い始めた。そして、彼女がエントランスに差し掛かった時、男達の声が聞こえてくる。


「逃げるぞ!」

「それしか無いようだな……」


(逃げる? このホテルの外へか? お前達が逃げ込めるのはもう地獄だけだ)

  

 エントランスから、外へ出ようとした男達に待っていたのは、揺らめく黒い壁だった。ジェタリオがその壁に指先で触れると、彼の指は音も立てずに蒸発して消えた。黒い壁の正体はリシュリオルがこのホテルに入る時に仕掛けた彼女の新しい黒炎だった。


「その壁には触らないでくれ。お前達に直ぐに死なれたら、殺された魂達が浮かばれない」


 リシュリオルは無表情のまま、逃げ道を失った二人の男の体内に、ラドヒリクと同じ様に小さな炎を起こした。そして、同じ様に二人は悶え苦しみ始める。


 三人の男達はその後、数時間にも及ぶリシュリオルの拷問的な処刑により、正に地獄の痛みの中で死に絶えた。


 誰が言ったのか忘れてしまったが、男の一人が死の間際に叫んでいた。


「お前は狂った『魔女』だ! お前も俺達みたいに碌な死に方しないぜ!」

「私が魔女なら、お前達は死んでいった魂を鎮める為の生贄だな。……最後の言葉はそれでいいのか?」


 長きに渡る復讐はあっけなく終わった。リシュリオル自身は気付いていなかったが、男達をいたぶる彼女の口元は醜く歪んでいた。その嗜虐的な笑みをアリゼルは見逃さなかった。




 男達の遺体を跡形も無く焼き払った後、リシュリオルは廃ホテルを離れ、宿を取っていた街に戻った。彼女の身体は精霊の力の多用により疲れ果て、すっかり暗くなった夜道を危なっかしく歩いていた。


「リシュ、話があります」ふらつくリシュリオルにアリゼルが話し掛ける。しかし、疲れ切っている彼女には、アリゼルの声は届いていないようだった。

「リシュ、大事な話です。聞いて下さい」再びアリゼルが彼女の耳元で声を出す。

「疲れてるんだ。後にしてくれ」


 聞く耳を持たないリシュリオルを無視して、アリゼルは話し続ける。


「あなたは今までに先程の件を除いて、人を殺した事がありますか?」

「さっきのが始めてだ」

「あなたはあの男達をいたぶっている間、笑っている事に気付きました?」

「いや」

「何が可笑しかったのですか?」

「いい加減にしてくれ、そんなどうでもいい事に一々突っかかるなよ」

「大事な事です。答えて下さい」


 強い口調で問い詰めるアリゼルに対し、面倒臭そうにため息を吐きながら、リシュリオルは答えた。


「はあ、奴等の死に様が間抜けだったんだろ。馬鹿みたいに叫んでさ」リシュリオルの口元がまた歪んだ。

「それではあなたは、あなたが今まで戦ってきた残虐な思考を持った愚か者達と同じですね」

「……何が言いたい?」

「あなたは人の命を何とも思わない、氷の竜や異界喰らいと同じだと言いたいのです」


 リシュリオルが無言でアリゼルに殴りかかった。しかし、すんでのところで、その拳をレグリスが止めた。  


「取り込み中の所、悪いが、あれを見てくれ」レグリスが路地裏の暗闇に向けて指を差す。

「何だよ!」リシュリオルは怒鳴りながら、その指先へ視線を向けた。


 視線の先には黒い布を全身に纏った何者かが立っており、リシュリオル達を手招いていた。男か女なのかも分からない。唯一見えている手招きする白い左手の指は細長く、指先には綺麗に整えられた爪が備わっていた。暗くてはっきりとは言えないが、薬指に指輪がはめられているように見える。


 リシュリオルがその黒尽くめの人物を見て最も驚いた事は、その不気味な様相では無く、彼、もしくは彼女を目にした途端、異界の鍵の気配が黒尽くめの近くから現れた事だった。


 リシュリオルは恐る恐る黒尽くめに歩み寄っていく。目の前まで近寄ると、黒尽くめは左手と同じ様に真っ白い右手で、リシュリオルに小さな鍵を手渡した。


「奥へ進みなさい。あなたを待つ人が居ます」


 頭の中に響くような不思議な声が聞こえた。透き通った女性の声だった。そして、いつの間にか黒尽くめの姿は霞のように消えていた。


 リシュリオルは手渡された鍵を持って、先程の言葉の通りに路地の奥へと進んだ。路地は行き止まりになっており、壁に古びた金属の扉が取り付けられていた。その扉は異界の扉だった。


「私を待つ人だと、誰なんだ?」


 扉の前でリシュリオルは背後に浮かぶ精霊の方へと振り向いた。精霊達は何も言わずに一度だけ頷いた。頭の中は疑問だらけで、アリゼルと喧嘩をやり直す気などさっぱり起きなかった。それは向こうも同じらしい。


 今の状況を全く理解できてはいなかったが、リシュリオルの胸の中にはこの扉の先へ向かう事を躊躇ってはいけないという強い思いが溢れていた。


 錆だらけの重い扉をこじ開けて、リシュリオルは不明の領域へと足を踏み入れた。

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