過去の清算
ラトーディシャが話し終えた後も、リシュリオル達は暖かいストーブの火を囲みながら、懐かしい思い出を語り続けた。その心地よい語らいの中で、いつの間にかリシュリオルは眠りに就いてしまい、目が覚める頃には朝日の輝きが部屋の中を照らしていた。
寝ぼけ眼で辺りを見回す。他の三人の姿は部屋の中には無かった。アリゼルも独りで何処かにいっているようだった。
キッチンの方から微かに物音が聞こえてくる。椅子から立ち上がり、キッチンを覗いてみると、ノバトゥナが朝食の準備をしていた。
「おはよう、リシュ」
「おはよう。ラトーとリアは?」
「朝食が出来上がるまで街を散策してくるって」
「そうか……」
リシュリオルも外に行こうかと考えたが、すぐに止めた。中々できない帰郷の機会を世話になった人間に何も返さず終えるのは申し訳無いと思い、ノバトゥナの朝食の準備を手伝うことにした。手伝うついでに、昨日の夕食が少し味気無かった事を思い出し、こっそりと自分好みの濃い目の味付けを料理に施した。
出来上がった料理をテーブルに配膳していると、玄関の扉が開く音がした。刺すような冷気と共にラトーディシャとリアノイエが家の中に入ってくる。氷の竜であるラトーディシャは平然としていたが、リアノイエは凍えるような寒さに身を震わせていた。彼女は帰ってくるなり、ストーブの前へと走り出し、身体を温め始めた。
「た、ただいま……。この街の朝の空気は私には厳しいかも……」
紫に染まった唇をぎこちなく動かすリアノイエの姿を見て、リシュリオルは外に出なくてよかったと、自身の善良な判断を心の中で称えた。
昨日は気付かなかったが、彼女が大きな箱のような物を背負っているのが目に入る。一枚の布に包まれていた為、その正体は分からなかったが、旅の荷物か何かだと勝手に思い、その後は気にも留めなかった。
「ただいま、いい匂いだね」ラトーディシャが遅れてやってくる。
「おかえり、ちょうど朝食が出来上がったところだ」
「それはいいね。凄くお腹が空いてたんだ」
リアノイエが身体を温め終えると、四人は朝の食卓を囲んだ。食事中、アリゼルが何処からともなくやってきて、皆と挨拶を交わす。リシュリオルは全員が揃った所を確認すると、アリゼルの力について話を切り出した。
「アリゼルの力を使うのは久々だから、試しておきたいんだ」
「試すって、どうやって?」ラトーディシャが尋ねる。
「街の外れに大きな粗大ごみがあるだろ? 『あれ』を使う」リシュリオルが口元を緩ませながら答えた。
「ははは、『あれ』を実験台にするのですね」アリゼルがケラケラと笑う。
「その通り! 朝食を食べたら皆で見晴らしの良い場所に行こう」
アリゼル以外の者はリシュリオルの言葉の意味が分かっていない様子だった。朝食を食べ終え、意気揚々と外出の準備をするリシュリオルの姿を皆が不思議そうに見つめていた。
太陽の位置は高くなっていたが、外の空気は相変わらず冷たかった。リシュリオルはリアノイエやノバトゥナの為に小さな炎を周囲に纏わせながら、聖堂のある丘の方へ足を向けた。
丘に向かった時点で、ラトーディシャは何かに気が付いた様で小さく声を上げた。リシュリオルがどうやってアリゼルの力を試そうとしているか、彼にも見当がついたようだった。
昨日から少しも雪が降っていなかったので、リシュリオルが雪を溶かして作った道はそのまま残っていた為、大した支障もなく、直ぐに丘の上まで上がることができた。
リシュリオルは丘の上の、特に街の外れの雪原を見渡す事のできる場所に立ち、皆の方へと振り返りながら、ある物を指差した。
「標的はあれだ」
彼女の指差した先には、氷の竜アドラウシュナの死骸である氷塊が聳えていた。
「氷の竜の残骸……、あれに何をするの?」ノバトゥナが尋ねる。
「こうするんだ!」
リシュリオルが力強く叫ぶと、彼女の短く切られた黒髪が長く伸び、赤く染まり始める。その髪色は幼い頃の彼女の物よりも更に濃く、深く、艶やかな色合いに変わっていた。
リシュリオルを中心に焼けるような熱気が勢いよく放たれ、彼女の周囲に積もった雪が凄まじい速さで溶けていく。
そして、何処からか湧き出した大量の黒い炎が、リシュリオルの右手に吸い込まれていく。激しく燃え盛る黒炎の群れは、最終的に彼女の手のひらの上に揺れる、小さな炎へと成り代わった。
新たに生まれた炎は、吹けば消えてしまうような微かな物だった。だが、その色は深淵よりも深く、暗黒よりも暗い、この世の汎ゆる黒よりも濃い黒色をしていた。この炎から、揺らめきが消えてしまえば、きっと黒い塊が手のひらの上に在るという認識しか出来なくなるだろう。
その言葉通りの異色の炎は、氷の竜の死骸に向かって、放物線を描きながら飛んでいった。彗星のように尾を引く黒炎が、澄み切った青空を裂いていく。
小さな黒炎の先端が氷塊に触れたその時、一面に拡がっていた銀世界は、暗黒の炎の世界へと変貌した。何もかもを掻き消す黒い炎は、一瞬にして山のように巨大な氷塊を飲み込み、瓦解させていく。
やや遅れて、リシュリオル達の立つ丘の上に、燃え盛る黒炎の放つ轟音が突き抜けてくる。雪原全体に響いているであろう、その凄まじい音響は、まるで怨霊の悲鳴のようであった。
その光景を見ていた誰もが、炎を放ったリシュリオル本人さえも、圧倒的な破壊の力の前に息を呑んだ。
「竜殺しの精霊と言われただけはあるね……。遺伝子がそうさせるのかな。震えが止まらないよ」
ラトーディシャの握り拳は言葉通り、わなわなと震えていた。炎は既に終息していたが、彼の額には緊張の汗が伝っていた。
リシュリオル達は新たな黒炎の力の残響の前に立ち尽くし、燃え残った氷塊の破片が空高くから落ちていく様子を眺めていた。すると突然、リシュリオル達の周囲に銃声が鳴り響いた。それも、単発ではなく断続的な物だった。あまりに突拍子も無く放たれた発砲音は皆を一葉に驚かせ、その視線を銃声の音源へと集わせた。
視線の先には、巨大な機関銃を両手に持ち、氷塊の破片に向けて弾丸を撃ちまくるリアノイエの姿があった。傍らには、彼女の背負っていた大きな箱が寝かせてあり、その中には大量の弾丸が納められているのが見えた。機関銃の腹に空いた給弾口は箱に詰まった弾丸を、喰らうように吸い込み、閃光を放つ銃口から止めどなく吐き続けた。
「ラトーを傷付けた事、私は忘れてない! 粉々になるまで、撃って撃って撃ちまくってやる!」
リアノイエの叫声と共に機関銃が吼える。時折、息を切らして、銃口を地面に向ける姿を見せた。疲れ果てたのかと思えば、一呼吸置いた後、直ぐに彼女と銃は叫び始める。この繰り返しが三度、四度と続き、氷の竜の破片は微塵に砕け散っていった。
怖い。何故か自慢げにリアノイエを見つめるラトーディシャを除いて、その場にいた誰もが恐怖を感じていた。
リシュリオルは荒ぶる彼女の姿を見て、世の中には、敵にしない方がいい相手がいるという事を心に留めておくことにした。
氷の竜の残骸が雪の中に消えると、リアノイエの銃撃は遂に終わった。彼女が両手に持っていた機関銃は、独りでに姿を変え、最後には小さな拳銃になった。リシュリオルが不思議そうにその様子を眺めていると、ラトーディシャが彼女の銃について、得意げに説明し始めた。
「凄いだろう? リアの銃はまるで生きているみたいに姿形を変えるんだ。内部機構を高速で変形できるから、どんな弾でも撃ち出せる。火薬の匂いを嗅ぎ付けて、そこら中の弾を吸い寄せてしまうから、彼女に銃撃戦で勝てる奴はいないだろうね!」
ラトーディシャの話を聞いて、リシュリオルは腰に付けていた銃を確認してみた。すると、予備の弾は勿論の事、銃に装填してあった弾すら消えていた。リアノイエの豹変に気を取られていた為、弾薬を奪われていた事に気が付かなかったらしい。
リアノイエの雪を踏む足音がいきなり近付いてくる。突然の彼女の接近にリシュリオルの心臓の鼓動が早まった。
「何を話していたんですか?」そう尋ねるリアノイエの表情は、先程と打って変わって、優しげな微笑みを浮かべている。
「君の銃の力の事さ。それをみんなに説明してた」
「そうだったの? 本当は私から説明するべきだったのに……」
「気にしなくていいよ。……それよりも過去が清算された事の方が重要だ。君とリシュのおかげですごく気分が良い。僕の人生において二番目に幸せだよ」
(なら、一番目は?)
聞こうと思ったが、なんだか嫌な予感がして、リシュリオルは咄嗟に口をつぐんだ。アリゼルもノバトゥナも顔を見合わせながら黙り込んでいた。だが、賢明な彼女達の判断は直ぐに無意味な物になった。
「一番目に幸せだったのはいつなの?」
純真なリアノイエは、何の躊躇いもなくラトーディシャに尋ねた。質問を受けたラトーディシャは待っていましたと言わんばかりに、嬉々とした表情で答えた。
「リア、君に出会えた事かな」
「ラトー……」
ラトーディシャとリアノイエが互いに見つめ合う。二人が立つその場所には、誰も入り込む事のできない愛の世界が広がっていた。例え、その世界の中に入り込めたとしても、片足を踏み込む気すら起きないが。
「帰るか」「そうね」「そうしましょうか」
しばらくの間、リシュリオル達は見つめ合う二人の姿を眺めていたが、もうやる事も無いので、街に戻ることにした。
丘を下っている途中、一度だけ二人の方を振り返ってみたが、今度は見つめ合うだけでなく、互いの身体を抱き締め合っていた。
「うぜぇ」
心の中で呟くつもりが、思わず声に出してしまった。リシュリオルの本音の愚痴を聞いたアリゼルは可笑しそうに笑い始めた。その声に誘われたのか、ノバトゥナもくすくすと笑い始める。
二人の笑い声に包まれ、呆気にとられるリシュリオル。しばらくその状況に戸惑っていたが、段々と不機嫌そうに表情を変えていく。そして、ふんと鼻を鳴らした後、黙々と丘を下っていった。
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