思い出に浸る

 ノバトゥナに家の中へと招き入れられたリシュリオル。ストーブの前に置かれた椅子に座り、冷えた身体を温めていると、ノバトゥナはコーヒーの入ったカップを手渡してきた。そして、リシュリオルの隣に椅子を運んで、それに座った。


「どうぞ。……それにしても、本当に久しぶり。見ない内に随分大きくなっちゃたのね」

「うん。ノバトゥナも元気そうで良かったよ」

 

 ノバトゥナの外見は以前に出会った時と比べて、あまり変わっていなかった。その為か、年齢の割に彼女は若く見えた。


 微笑みを交わす二人の間にいきなりアリゼルが割って入ってくる。その無作法な精霊の態度にリシュリオルはしかめっ面を浮かべた。


「リシュ。私とノバトゥナさんに、今までの旅の出来事を話していただけませんか?」


 アリゼルの唐突な提案にため息を吐きながら、リシュリオルはこれから異界の旅の話をしてもいいか、許可を取るようにノバトゥナへ視線を送った。


「私からも是非聞きたいわ。あなたがどんな旅をしてきたかを」

「わかった。じゃあ話そうか。まずは……ここを離れた後の事でいいかな?」


 リシュリオルが尋ねると、ノバトゥナとアリゼルは静かに頷いた。それを見たリシュリオルが第一声を放とうと大きく息を吸い込んだ瞬間、誰かが玄関の扉を叩いた。


「すみません、誰かいませんか?」

「今、行きます。……今日はお客さんが多いわね」


 ノバトゥナが立ち上がり、玄関へと向かう。リシュリオルは語り始めを邪魔された事に苛立ち、舌打ちした。じっとこちらに顔を向けてくるアリゼルが、甲冑の奥で笑っているような気がして、更に苛立ちが増す。


 リシュリオルはこの家に誰が訪ねてきたのか見てみようと、ノバトゥナの後を追って玄関へ向かった。開かれた玄関の扉の先には、二人の訪問者が立っていた。ノバトゥナの背中に隠れていた為、顔は見えなかったが、声色から訪問者は一組の男女だと判断できた。


 玄関でその男女と向かい合っているノバトゥナは何故か驚いた声を上げている。リシュリオルはノバトゥナの隣に回り込み、訪問者の顔を伺った。


「やあ、リシュ。相変わらず元気そうだね」

「お久しぶりです。私達が誰だか分かりますか?」

「髪、伸ばしたんだ」

「私、くせ毛なのであんまり長く伸ばせないから羨ましいです」


 二人の訪問者はリシュリオルの顔を見るなり、べらべらと喋り始めた。男の方は青白い髪色、金色の瞳。女の方は白金の髪と深い青色の瞳。何処か見覚えのある色の組み合わせ。


 なかなか戻って来ない二人の事が気掛かりになったのか、アリゼルが部屋の奥から玄関までやってきた。そして、二人の訪問者の事を見るなり、丁寧にお辞儀をした。


「まさかあなた達もここに導かれるとは……。ラトーさん、リアノイエさん」

「あの二人か! 全然分からなかった!」


 驚きのあまり、リシュリオルは思わずに叫んでいた。彼女の記憶にある二人の姿はもっと幼く、あどけない雰囲気が漂っていた事を思い出す。


 リシュリオルがまだ少女だった頃、同じ位の高さだったラトーディシャの背丈は彼女を見下ろす程に伸びていた。華奢だった体格も、全身に筋肉が備わり、随分とたくましくなっている。竜の姿もきっと大きく変わっているのだろう。


 リシュリオルが覚えているリアノイエとの最後の記憶は、鼻水を垂らしながら泣いている姿だったが、そんな過去の事を忘れてしまう程に今の彼女は大人びていた。柔らかな笑みを浮かべ、淑やかに話す彼女の姿には芯のある高潔さが纏っていた。


 久しぶりに出会った二人の成長に、リシュリオルはただただ驚くばかりだった。自分も成長している筈だったが、この二人と比べると、なんだかそれも霞んでしまうようで、少しだけ嫌気が差した。


「二人共、こんな所じゃなんだから、早く中に入って。あなた達の旅の話も聞かせて欲しいわ」


 ノバトゥナが家の中に入るように促す。二人は互いに顔を見合わせると、服や靴に付いた雪を払い落として、ノバトゥナの家に足を踏み入れた。


「お邪魔します」


 そして、リシュリオル達はこの街を離れてから、それぞれが歩んできた旅の経緯を語り合った。美しい世界の景色、素晴らしい出会い、悲しき別れ、数々の出来事を。




 リシュリオルが自身の旅の話を終えた頃、いつの間にか日は沈み切っていた。異界喰らいとの壮絶な戦いの話を聞き疲れたのか、ノバトゥナが「そろそろ夕食にしましょう」と提案する。区切りも良かったので、食事のできないアリゼル以外は、皆それに賛同した。


 ノバトゥナがキッチンに立っている間、リシュリオルはリアノイエに長くなった髪を切ってもらう事にした。精霊の力を使った反動で、例の寝癖頭になる事を見越した断髪だった。雪道の融雪程度では大した力を使う必要は無かったが、もっと大きな黒炎を扱う事になれば、直視できないような悲惨な髪型になってしまうことだろう。


 それに、新たな旅路へ向かう為、今までの気持ちを切り替えるという意味でも、何か形として目に見える事をしておきたかった。


 リアノイエは綺麗な髪なのに勿体無いと、最初はリシュリオルの頼みを断った。しかし、今のまま精霊の力を使えばどんなおかしな頭になるか分からないと必死に説得を続けているうち、最終的には頼みを請けてくれた。


 リアノイエに髪を切られている間、リシュリオルは今度はアリゼルに頼み事をした。それは、未だ生きているであろう異界喰らいの仲間達を倒す為、力を貸りる事ができないかという内容だった。その申し出に対してアリゼルは即答した。


「勿論、良いですよ。あなたは私の宿主なのですから、存分に力を振るえばいい」


 アリゼルがこの頼みを断る筈がないという事をリシュリオルは最初から分かっていたが、強大な精霊の力を使う事のけじめとして、許可は得ておきたかった。当人にとってはきっと、指を一本貸してやる程度の些細な事なのだろうが。


「私達の力は必要無い?」リシュリオルとアリゼルの会話を聞いていたリアノイエが尋ねる。

「同じ異界の扉を通ることになるかは分からないだろ? それに、二人の旅の邪魔をしたくないんだ」


 リシュリオルの気遣いに、ラトーディシャがくすりと笑った。


「大人になったね、リシュ」

「ええ、本当に! この子の将来はどうなってしまうのかと、いつも不安に思っていたのに!」アリゼルが嫌に態とらしく、大きな声で話す。

「アリゼルは全然変わってないな……」嬉しいような、悲しいような。そんな気持ちを胸中に浮かべながら、リシュリオルは呟いた。




 リシュリオルの髪をリアノイエが切り終えた頃、ちょうど夕食が出来上がった。


 味は普通だった。可もなく不可もなく。ノバトゥナの料理の味について、あとでアリゼルに話したが、ディイノーカも同じ事を言っていたと言われた。自分の知らない『先生』の気持ちを少しでも知れた事に、リシュリオルはひっそりと喜んだ。


 夕食後、リシュリオル達は異界の旅の話の続きをすることにした。リシュリオルは一通りの話を終えていた為、ラトーディシャが「今度は僕達二人の旅の話をしよう」と手を上げた。そして、彼らが巡った異界の事を意気揚々と話し始めた。


 正直な所、リシュリオルにとって彼の話は聞くに堪えない煩わしい物だった。


 始めは、異界渡りについてをリアノイエに教える旅をしていたようだが、次第に話の流れが変わっていき、どこどこで何をしたとか、何を食べたとか、他愛のない内容に変わっていった。


 別にそこまではいい。異界渡り全体で見ても、リシュリオル達の様な戦い続きの旅をしている者は珍しい。異界の旅というのは、多少の危険はあっても本来は闘争とはかけ離れた物なのだ。


 彼女がラトーディシャの語る話に嫌気が差した理由は、その他愛のない話がどれもこれも酷く惚気た内容だったからだ。隣で話を聞いているリアノイエもいちいちラトーディシャの思い出話に反応して、恥ずかしがったり、照れたりするから質が悪い。


 最初は微笑ましく話を聞いていたノバトゥナも、立て続けに語られる惚気話には耐えられなかったようで、呆れ笑いを浮かべていた。アリゼルは興味の無い話以外は耳を貸してはいないようだった。


 リシュリオルもある程度は彼の話を聞いていたが、すぐに脱落してしまい、ラトーディシャの声が右から左へ通り過ぎるだけの状態に変わっていた。明らかに聞き手が話を聞いていない様子でも、ラトーディシャは惚気話を熱く語り続けた。


 あんなに初々しかった二人がこうも変わってしまうなんて……。時間とは恐ろしい物なのだとリシュリオルは実感した。


 彼の話をどうにか終わらせることができないかと、リシュリオルは必死に考えを巡らせた。その結果、思い付いたのは一つの質問をすることだった。


「……そういえば、ゼールベルはどうなったんだ? あいつと別れた時の話はまだ聞いてない」


 リシュリオルが不意に尋ねると、あれだけべらべらと一人語りをしていたラトーディシャが不機嫌そうな表情を浮かべて黙り込んだ。隣に座るリアノイエは何処か気まずそうに俯いている。


「星になった」やっと開いたラトーディシャの口から出てきた言葉はそれだった。

「星?」


 訳が分からない。リシュリオルが彼の言葉を理解できず、困惑した表情を見せていると、それを察したリアノイエが事の顛末を話してくれた。


「えーと、ゼルさんは、ラトーと喧嘩したせいで、旅の途中で別れてしまいました」

「喧嘩って……、どうしてそんな事に?」

「確か、昼食を巡って口論になったんです。私の好物にするか、ゼルさんが選んだお店にするかで。私はどちらでも良かったのですが、ラトーもゼルさんも一歩も引かなくて……、それが段々殴り合いに発展していって……」


 二人がゼールベルと別れた理由は本当に下らない物だった。だが、リシュリオルにとってはそちらの馬鹿げた話の方が余程面白みのある内容に思えた。


 それに、ゼールベルの事だ。きっと今も元気に旅を続けているだろう。

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