戦いはまだ終わらない

 アトリラーシャは残った右腕で身体を支えながら、よろよろと立ち上がった。そして、視線を地面に落とす。足元には先程まで戦っていた因縁の相手が血塗れになって倒れている。まだ微かに呼吸をしているようだったが、身体の中心に空いた大きな穴が再生する気配は無かった。


(直にこの男は息絶えるだろう)


 心の中で呟きながら、アトリラーシャは自分が走り抜けてきた水路の方を見つめた。早く戻らなければならない。今も仲間が戦っているかもしれない。


 アトリラーシャがその場を離れようと、片脚を動かした時、足元に倒れている瀕死の男が苦しそうなうめき声を上げながら、彼女のことを呼び止めた。


「おい……、待てよ。せっかく、復讐を……果たしたんだろう? ……どんな気分なのか、言ってみろよ」


 アトリラーシャは何も言わなかった。ただ、足元の男が苦しみ悶える姿を見下ろしていた。


「……だんまりか、つまらない奴だ……」


 シェエンバレンは死の間際だというのに楽しそうに口元を歪めていた。大きく咳き込んだ後、同じ表情のまま話し続けた。


「……それにしても、その銀の髪と瞳。……見覚えがあるぞ。……ぶどう畑の広がる街だ。おまえ……、そこの出身だろう?」


 血を吐きながら、笑声を上げるシェエンバレン。


「おまえに似た女を……そこで喰った事がある。もしかして、あれはおまえの母親か? だが……、今のおまえと違ってうるさい女だったな。先に喰い殺した男の名前を……最後まで騒々しく叫んでいたよ。くくくく……」


 アトリラーシャは無言のまま、刀を強く握りしめ、その切っ先をシェエンバレンの頭上にかざした。


「……その刀でどうする? ははっ、……そうかぁ! 俺を殺すのかっ! なら、あの世でおまえの家族を喰い散らかしながら、おまえが来るのを待っているぞ! その傷なら、すぐに逝けるだろうしなぁ! ぐちゃぐちゃになったおまえの両親をまた見せてやる! はははっ、ははははははは――」


 アトリラーシャの手にしていた刀が素早く振り払われ、シェエンバレンの首が吹き飛んだ。邪悪に満ちた笑声は途絶え、遂に異界喰らいと呼ばれた男の命は潰えた。


「お前が向かう所に、私の大切な人達はいない」


 異界喰らいの死骸に向けて言い捨てると、アトリラーシャは仲間の元へと歩みを進めた。


 


 アトリラーシャが異界喰らいと死闘を繰り広げている最中、リシュリオルは手負いのカルウィルフ達を水路の壁に空いた穴の中に隠し、一人きりで三人の男と相対していた。


「お前は……なぜここにいる」


 顔に傷を抱えた男フニカラシが鋭い視線を放つリシュリオルを見据える。


「それは、こっちの台詞だ」


 リシュリオルとフニカラシが視線をぶつけ合っていると、彼の背後から二人の男が現れる。ジェタリオとラドヒリク。その男達からは並々ならぬ殺気が放たれていた。


「決まってるだろ! こいつは俺達が何をしているか知ってるんだよ! 化け物になったシェエンの肉片がそこら中に飛び散っているのが見える!」

 

 水路の壁面を見渡しながら、ジェタリオが大きな怒鳴り声を水路に響かせた。彼の顔面には無数の眼が張り付いていた。既に正体を隠すつもりはないらしい。


「……僕達の事を知ったということは、彼女は始末しなくてはならない」


 ラドヒリクが戦う態勢を整えながら、ゆっくりとリシュリオルの元へと近寄ってくる。彼の表情は、玩具を手に入れた子供が見せるような、純真な喜びで満ち溢れていた。


 じりじりとリシュリオルとラドヒリクとの距離が縮まる。息が詰まるような間合いの見極め合い。


 先に動いたのは、ラドヒリクの方だった。リシュリオルはラドヒリクの動きに合わせて、隠し持っていた拳銃を素早く取り出し、弾丸を数発撃ち出した。彼女が銃で狙ったのは、目前に迫るラドヒリクではなく、後方にいるジェタリオだ。


 銃を取り出した事で、ラドヒリクには動揺からくる一瞬の硬直が生まれた。リシュリオルはその隙を突いて、彼の側頭に回し蹴りを見舞う。力強い蹴りを受けたラドヒリクは水路の壁の方へと吹き飛んだ。


 そして、先に放っていた弾丸はジェタリオの右眼に命中していた。右眼を両手で抑えながら叫び声を上げている。彼の脳味噌が吹き飛んでいなかったので、頭蓋を貫通することはなかったようだが、確実に厄介な右眼の能力は潰せただろう。


(これでカルウィルフ達が見つかることもない)


 目の前のラドヒリクが消えた事で、凹凸に塗れた男、フニカラシの弾丸の射線が通る。彼はその瞬間を見逃さず、リシュリオルに向けて、弾丸を両手の指先から吐き出した。

 

(予想通り)


 リシュリオルは軽やかに身を翻しながら、弾丸の軌道を遮るように一枚の布を宙に踊らせた。分厚く丈夫な布。彼女の力によって、それは鉛のように重くなり、鋼鉄のように堅牢になる。


 弾丸はリシュリオルが撒いた布によってその勢いを弱め、彼女の身体に届く事なく、布と一緒に地面に落ちた。弾丸を防いだリシュリオルはすかさず、片手に持った拳銃の銃口をフニカラシに向け、引き金を引いた。


 フニカラシは咄嗟に急所を守ったが、防御に使った両腕の数カ所には穴が空き、そこから鮮血が溢れ出した。これでもう両腕を自由に使うことはできないだろう。




 一対三。一見すれば、リシュリオルには勝ち目の無い戦いであった。しかし、今の彼女の戦闘能力は、その人数差を埋めてしまう程に高まっていた。


 この本の街で、カルウィルフとアトリラーシャは異界喰らいへの対策の為に、特別な武器を用意したが、リシュリオルはイルシュエッタの手を借りて、純粋な肉体の鍛錬と戦闘技術の習得に励んだ。


 今までその手に握る事の無かった武器の使い方を学び、特に銃の扱いは上手くなった。最初は火薬の匂いのする武器を使うことを躊躇したが、実際に引き金を引いた時、こうも簡単に敵を壊せる物をどうして使おうとしなかったのかと後悔した。


 イルシュエッタ曰く、銃は『格闘戦において選択肢を大きく広げる武器』らしい。相手を殺すことに長けた暗殺術の使い手であり、武道を全く重んじない彼女らしい言葉だと、リシュリオルは思った。




 回し蹴りで吹き飛ばしたラドヒリクがいつの間にか起き上がっており、リシュリオルへと再び歩み寄ってきていた。渾身の力を込めた蹴りだったが、彼はまるで何事も無かったかのように、ニッコリと笑っていた。


(こいつが一番厄介そうだ)


 リシュリオルは自身に向かってくるラドヒリクを見据えていると、彼はおもむろに口を開いた。


「……ここまで強いとは思っていなかったよ、リシュ」

「汚い殺人者の口で、私の名前を気安く呼ぶな」

「つれないなぁ、あんなに仲良く話し合ったのに……」

「何を、言ってる……」


 ラドヒリクの顔がぐちゃぐちゃと崩れ始め、その形を変え始める。新しく出来上がったその顔は、かつてリシュリオルが森に覆われた街で出会った女性、ハルフロニアのものだった。


「この顔を覚えていないの? リシュ」ラドヒリクの声は、あの時話した彼女のものへと変わっていた。


「喉に皮膚を移植しているのさ。だから、声色も自由に変えられる。……それにしても、あの時は助かったよ。なかなか獲物が見つからなくて困っていた所だったから。ふふっ。まさか、あそこまで簡単に釣れるとは思っていなかったけど――」


 ラドヒリクは、あの森の街で起きた事を気色の悪い笑みをニタニタと浮かべながら、話し続けた。


 彼の話を聞いている内、次第にリシュリオルの胸の奥から、後悔の念が激しく湧き出し始める。自分がこの異常者達にまんまと乗せられてしまったせいで、グレスデインの命は失われた。


 だが、リシュリオルの闘志はどんな真実が暴露されようとも、萎えることは無かった。


「お前達全員、灰にしてやる……!」


 彼女の後悔の思いは、憤怒の炎の燃料になった。精霊が彼女の元を離れてから、最も大きく凄まじい勢いを持った黒炎が、地面から吹き出し、ラドヒリクの周囲を取り囲んだ。


「この炎、ここまでの力を出せるのか……!」


 ラドヒリクは素早い身のこなしで炎を避けようとしたが、変幻自在の炎の動きからは逃れる事はできなかった。彼の右腕は黒い炎に覆われ、どろどろに焼け爛れた。炭化していく自身の腕を見たラドヒリクの表情からは、今までの余裕は消え去っていた。


「よくも僕の腕を! 完璧な皮膚を! くそっ! お前の皮は生きたまま、苦痛の中で、剥ぎ取ってやるぞ!」


 気が狂ったように叫びまくるラドヒリク。リシュリオルはそれに怯むことなく再び炎を操り始めた。


「黙れ、下衆野郎! まずは貴様を、全身が同じ色になるまで焼いてやる!」

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