選択
腕を焼かれたラドヒリクは、まるで発狂者のようであった。訳の分からぬ奇声を発しながら、リシュリオルに向かって凄まじい勢いで突進する。
怒り狂うラドヒリクの脚力は予想以上の速度を生み出し、リシュリオルが黒炎を放つ前に彼の姿が目の前に差し迫っていた。
「殺すッ!」
何処に隠し持っていたのか、ラドヒリクの手には禍々しい色合いの短刀が握られていた。きっと皮を剥ぐ時に使う代物だろう。彼はその短刀をリシュリオルの首を狙って素早く振り抜いた。
リシュリオルは無数の弾丸をラドヒリクの顔先に向けて勢いよくばら撒いた。その弾はフニカラシの射撃を防御した際に拾っていた物だった。
ラドヒリクの視界にいきなり現れた異物は彼の攻撃を一瞬だけ躊躇させた。リシュリオルはその隙に一発だけ手の中に残していたフニカラシの弾丸を指弾として発射した。銃で撃とうが、指で打とうが、弾丸の役割は変わらない。彼女の指先から放たれた弾はフニカラシの片目に直撃した。
苦痛の声を漏らすラドヒリク。だが、彼は片目を潰されたというのに、短刀を止めることはなかった。
(普通の人間なら何もできなくなる筈なのに、大した胆力だ)
だが、最善とは程遠い状態から繰り出される攻撃など、リシュリオルにとっては止まって見える程に遅い動きだった。リシュリオルは殺意の籠もった刃をするりと躱し抜けると、ラドヒリクの懐に入り込み、がら空きの胴に渾身の力を込めた正拳をぶつけた。
ラドヒリクの身体は大きく吹き飛び、三人の男達は一箇所に纏まった。性懲りも無くフニカラシがボロボロの両腕から弾丸を放ってきたが、鉄壁の布が弾丸を簡単に受け止めた。
「さあ、全員纏めて焼き払ってやるぞ」
リシュリオルは周囲に黒炎を漂わせながら、男達の前に立った。彼らの表情には強い焦燥が見えた。しかし、一人だけ、一番最初に再起不能にしたと思っていた眼帯の男、ジェタリオだけは危機に瀕しているというのに、ニタニタとほくそ笑んでいた。
「おい。……お前、俺達を見逃してくれないか?」
ジェタリオが突然口を開き、尋ねてきた。リシュリオルは突拍子も無い提案に一瞬驚いたが、すぐに気を取り直して彼の言葉に答えた。
「そんなことするわけ無いだろ。ここで灰になってもらう」
「そうか。だが、俺の右眼に今見えているものを教えてやれば、気が変わるかもしれないぜ」
「その潰れた右眼じゃ、何も見えないはずだ」
「いや、薄っすらとだが見える。お前の仲間がこっちに向かってきているぞ。シェエンはどうやら倒されちまったらしい」
ジェタリオが水路の奥へと視線を向ける。リシュリオルは彼の言葉を鼻で笑いながら聞いていた。
「そいつはおめでたい。さっさとお前達を焼き払って、祝杯を上げないとな」
「それはどうかな。あのシェエンと戦ったんだぞ。お前の仲間、死にかけてるぜ。今、地面にうずくまってる」
「戯言を言うな。何も見えてないくせに」
ジェタリオの言葉など信じてはいなかったが、リシュリオルは背後を振り返りたくなる衝動に駆られた。しかし、ここでこの殺人者達に背を向けるなど自殺行為に等しい。
「おい、フニカラシ。お前の位置から垂直に腕を上げれば、こいつの仲間に弾丸は当たるぜ」
「そうか」
リシュリオルの一瞬の思考の隙に、フニカラシは水路の奥へと腕を向けていた。
「動くな!」リシュリオルは宙に漂っていた黒炎を男達の周囲に近付けた。
「それはこっちのセリフだ! お前が俺達を一瞬で灰にできるのならやってみろ! だが、少しでも時間を掛ければ、こいつの弾丸がお前の仲間を穴だらけにするぞ! フニカラシは引き金を引く必要も無いし、一度に何十発も弾丸を撃てるからなぁ!」
リシュリオルは思考の渦に巻き込まれ、混乱し始めていた。アトリラーシャは無事なのか。弾丸は本当に彼女に当たってしまうのか? 彼女がいなくなってしまったら、どうすれば……。
「……黙れ! どうせ何も見えていない!」
「見えてるさ。向こうの壁の中に仲間を隠しているのも見えてるぞ」
ジェタリオがリシュリオルの右後ろを指差す。確かにカルウィルフとネイリットにはその壁の中に隠れている。だが、銃弾が右眼に直撃する前から見えていただけかもしれない。
「……おいおい、早くしないとマズイぜ。シェエンと戦っていた方が虫の息だ。このままじゃあ俺達がどうこうする前に死んじまうぞ。だが、今から助けに行けばきっと間に合うぜ……」
どうする。どうすればいい。
アトリラーシャは絶対に生きている筈だ。彼女なら心配ない。でも、本当にそう言えるのか。あの怪物の姿は尋常では無かった。この男が言う通り、例えあれに勝てたとしても、ただでは済まないだろう。
迷いは隙を生む。普段なら見逃すことの無い敵の動きを、今の彼女は見抜く事ができなかった。
視界の端にいたラドヒリクが突如として動き出し、持っていた短刀をリシュリオルに向かって投げつけた。リシュリオルは周囲の炎を咄嗟に操り、短刀を防ぐ為に壁を作った。
短刀を防ぐことはできた。だが、リシュリオルの身体からは血が流れていた。ラドヒリクの動きに合わせて、フニカラシが弾丸を撃っていたのだった。彼女は二人同時に放たれた攻撃を避け切る事ができなかった。
「馬鹿な奴だ」
身体中に弾丸を受けてしまったリシュリオルは地面に倒れ込んだ。ジェタリオがそんな彼女を見下ろしながら、冷たく呟く。
「さっさと殺そう」フニカラシが銃口と化した指先をリシュリオルに向ける。
「それは、僕がやる」ラドヒリクはフニカラシの腕を抑えると、何処からか新しい短刀を取り出しながら、リシュリオルの側にふらふらと歩み寄った。
「この腕の痛みの、何倍もの苦痛をお前に与えてやる。……手始めに、その両目をくり抜く」
ラドヒリクはリシュリオルの頭を乱暴に掴み上げ、短刀の刃先を彼女の瞳に突きつけた。必死に抵抗しようとしたが、先程のフニカラシの弾丸の攻撃によって関節が砕けており、腕にも脚にも上手く力が伝わらなかった。黒炎を出すにも時間が掛かり過ぎる。
リシュリオルの抵抗は全く意味を成さず、ラドヒリクの短刀を持った右手が大きく振りかざされた。
(やられる!)
短刀の刃がリシュリオルの瞳に突き刺さる直前、彼女が腰に帯びていた筒が瞬き、地下水路に閃光が走った。
光を放った筒は『呼び鈴』。激しい輝きがその勢いを弱めると、いつの間にかリシュリオルの目の前には、イルシュエッタが立っていた。
「おなよう? こんにちは? それとも、こんばんは? まあ、何でもいいや。……で、こいつらを倒せばいいんだよね?」
「イルシュエッタ……、そうだ。そいつらは異界喰らいの仲間だ。私達の敵だ!」
「了解!」
イルシュエッタは一言で返事をすると、間髪入れずに手近な場所にいたラドヒリクに殴りかかった。ラドヒリクは咄嗟に焼け爛れた片腕でイルシュエッタの拳から身を守ったが、拳を受けた腕に大きな違和感を覚えた。
銃弾すら弾く鋼鉄の皮膚が、べろべろと肉を巻き込みながら、めくれ上がった。イルシュエッタは鍵の力を使って、ラドヒリクの腕に小さな扉を取り付けたのだ。
ラドヒリクにとって、命にも代え難い皮膚。それが土台となる肉ごと剥がれ落ちてしまえば、もう新しい皮膚を貼り付ける事もできないだろう。彼は苦痛と失意に満ちた表情で、喉が張り裂けるような叫び声を上げた。
「私の鍵はどんな物にでも扉を付けられるんだ。それが、例え人間の身体だとしてもね」
イルシュエッタは叫び喚くラドヒリクを見つめながら、淡々と話した。彼女の右手の中には一本の鍵が、確かに握られていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます