邪悪の集合

 ラドヒリクは海に浮かぶ船の上にいた。青々とした海、空には大きな入道雲。夏の気配を感じる清々しい景色だ。扉についた小窓から見える海を眺めていると、同室している警官の舌打ちが聞こえてきた。

 

「クソ野郎……地獄に落ちろ」そんな楽しげな小言も。


 手足を縛り付けている拘束具と目の前の態度の悪い警官がいなければ、最高の船旅になっただろうに。まあ、向かっているのは自分の死刑を執行する血に汚れた監獄なのだが。ラドヒリクはそんなことを考えながら、脱出の計画を密かに始める。


 記憶の大半が失われていたラドヒリクだったが、自分がこことは違う別の世界から来た人間ということだけは覚えていた。彼は異界渡りという存在については知らなかったが、それがどういう物なのか、概念だけは理解していた。


 無論、異界渡りとして『力』を使う事もできた。


 ラドヒリクは気分が悪いと言いながら、気色の悪い呻き声を上げ始めた。警官は最初、何もせずに椅子に座って黙りこくっているだけだったが、ラドヒリクの奇声があまりにも酷いものだったのか、警官は仕方なく船内の医務室に彼を連れて行こうと近づいた。


 ラドヒリクは警官が側に近づいてきた瞬間を狙って、自分の体表を覆っている、他人から剥ぎ取った皮膚を伸縮させながら、拘束具の束縛から素早く抜け出した。そして、すかさず警官の首に腕を回し、力を込めて絞め落とす。


 警官はうめき声を上げる暇もなく、床の上に倒れた。ラドヒリクは倒れた警官から銃を抜きり、意気揚々と鼻歌を歌いながら、部屋を抜け出した。


 その後、穏やかな海を征く船旅は血に塗れた地獄へと行き先を変えた。ラドヒリクは顔を変えながら、船内を颯爽と歩き回り、出会った人間全てを殺害した。船員、刑務員、囚人であろうと、全ての搭乗者が彼の手に掛かり、甲板には大量の死体が並べられた。


 ラドヒリクは搭乗者リストと甲板に並べた死体の照合をし終えると、船に火を放った。炎は船が燃え尽き沈むまで、その勢いを弱めることはなかった。


 ラドヒリクは船が沈む前に海の中に飛び込み、近くの港まで泳ぎ渡った。そして、異界渡りの力で顔を変え、この世には存在しない別人となった。こうして世間を脅かした猟奇殺人鬼の消息は絶たれた。




 ラドヒリクは港に辿り着くと、次の扉の鍵を探し始めた。ここに来た時の記憶が無いせいで、この世界にどれくらい滞在しているのか分からなかったからだ。いきなり身体が消え始めては溜まったものではない。


 幸運な事に鍵は彼のすぐ近くに存在した。偶然、通りかかった海辺の公園に彼らはいた。料理店を営んでいる異界渡りの三人組。この時のラドヒリクには知り得なかったが、言うまでもなくその三人組はシェエンバレン達であった。


 ラドヒリクは彼らに近づくことはせず、一日の行動を観察し続け、異界の鍵に繋がる物がないかを調べようとした。毎日顔を変え、自分の正体に気付かれぬよう、巧妙にシェエンバレン達の追跡を続けた。


 観察を始めてから数日後の夜、ラドヒリクがいつも通り離れた場所からシェエンバレン達を観察していると、彼らは普段と違う行動を取り始めた。真夜中だというのに、三人全員で店を抜け出し、人気の無い浜辺に向かった。


 ラドヒリクが彼らの跡をつけていくと、暗い洞窟の中へと行き着いた。そして、そこでシェエンバレン達が行っていたのは、おぞましい『食事』であった。


(なる程、同業者というやつか)


 見慣れた光景のように、ラドヒリクはその行為を見つめていた。殺人者同士、共感し合う物でもあるのか、人肉を貪る獣人の姿には親近感すら覚えた。

 

 ラドヒリクは洞窟の入口まで戻り、月に照らされた海を眺め始めた。真円とも言える程に形の整った満月が、青い夜空とさざ波の中に浮かんでいる。


 良い夜だ。こんな素敵な夜に、『お楽しみ』の邪魔をするわけにはいかない。

 

 ラドヒリクは三人が戻ってくるまで、明るい月と暗い海を見つめながら待ち続けた。


 しばらくすると、洞窟の奥から足音の反響が聞こえてきた。たゆたう海から洞窟の暗闇へと視線を変えると、三人の人影が現れる。


「こんばんは」ラドヒリクは人影に向けて、丁寧にお辞儀をした。


 シェエンバレン達はラドヒリクの姿を見て、素早く身構えた。強い警戒心が全身から放たれている。こんな時間のこんな場所に、顔も名前も知らない男が一人で佇んでいたら、普通の人間は驚いたり、怯えたりするだろう。彼らは『普通の人間』では無いだろうが。


「そんなに警戒しないでくれ。僕は月と海を見ていただけさ。……ほら、見事な満月だろう? ……人も獣に変わってしまいそうだ」


 人も獣に。ラドヒリクの言葉を聞いたシェエンバレンは更に警戒を強め、鋭い視線をこちらに向けた。そして、ゆっくりと血の匂いが込み上げてくる口を開いた。


「……用件があるならさっさと言え。何を言ってもおまえは死ぬがな……」攻撃的なシェエンバレンの言葉と表情に対して、ラドヒリクは優しく微笑みながら答えた。

「ちょっと行く宛が無くて困っているんだ。記憶が殆ど無いものでね。……そこで、僕も君達の仲間に入れてもらえないだろうか。……それなりに腕は立つつもりだ。数日前の護送船の事故の事は知っているかな? あれを沈めたのは僕さ」


 ラドヒリクが軽い口調で船を沈めた話をすると、シェエンバレンの強張った表情が少しだけ緩んだ。


「ほう、そいつはすごいな。だが、人殺しができるだけの奴を俺は必要としない」

「……なら、これでどうだろう?」


 ラドヒリクは顔の皮膚を変形させて、別人の顔になった。その変身を見ていたシェエンバレンは驚きと喜びが入り混じったような複雑な笑みを浮かべていた。


「おまえ、異界渡りか」

「多分、それだ。君達から変わった気配を感じてから、ずっと観察していたんだ。毎日毎日、顔を変えながらね。こんな風に」


 ラドヒリクが顔を凄まじい速さで変化させる。シェエンバレン達は顔を歪めながら、その様子を見た。


「気色が悪いな。……他にできることは無いのか?」

「他の特技は人の皮を剥ぐ事と、あとは料理かな」

「ふん、料理ができるのは高得点だ。おまえの性格は気に入らないが採用はしてやる。死ぬまでこき使ってやるからな。感謝しろよ」

「どうもありがとう。報酬は綺麗な肌をお願いするよ」


 これで悪魔は四人となった。彼らは何人も、何人も、何人も、人を殺め続けた。歪んだ欲望を満たす為に。

 

 そして、今もなお、彼らの悪行は続いている。

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