人を喰らうもの

 シェエンバレンは男と共に旅を続けながら、異界の事を学んだ。そして、一人きりになれる時間を意図的に作り、男に勘付かれぬよう『食事』をした。


 シェエンバレンは異界渡りになってから、何度も『食事』を行い、獲物の捕らえ方や効率的な食事の方法を独自に学んだ。しかし、『食事』の回数が増える毎に空腹を抑えられなくなり、軽率な行動が増え、男に不審がられるようになった。


 シェエンバレンは男が自分に不審感を抱いている事に気付いており、異界の事を学びきった時か、男に自分の正体を知られた時が、『独り立ち』の機会になるだろうと考えていた。そして、その転機は彼が思うよりも早く訪れた。


 男はシェエンバレンをわざと一人にしておき、彼が自分に隠れて何をしているのか調べる為に、その跡をつけた。


 シェエンバレンの悪行は、男が思っていた以上におぞましい物であった。男がシェエンバレンの姿を見つけた時、彼は一人の人間を生きたままバラバラに切り刻み、その肉を貪っていた。


 男は、目の前で血と肉に溢れた凄惨な空間を作り上げている者が、自分が引き連れていた少年なのだと、すぐに理解することはできなかった。


 止めなくてはならない。男は自らの手でシェエンバレンを始末しなくてはならないと、血にまみれた彼の背中を見つめながら考えた。


「いるんだろ?」


 背中を向けたまま放たれたシェエンバレンの突然の呟きに、男は動揺した。しかし、すぐに呼吸を整え、平静を取り戻した後、物陰から姿を現した。


「いつからこんなことをしていた」

「最初からさ。腹の中に物を収められるようになってからだ」シェエンバレンは背中をこちらに向けながら、答えた。


「どうしてこんなことを……」男は一面が赤く染まった部屋の光景を見渡しながら聞いた。


「どうして? ……美味いから。それ以外にあるのか? ……人間ってやつは美味いものだったらなんでも喰うだろ? 生命の頂点に立った俺達人間の食事は、ただ命を繋ぐ為だけが目的じゃない。質を求めている。よりよい味を。……人間は家畜を必要以上に肥え太らせて、肉の味を良くしようとしたりするだろう? それと同じように俺も良質な味を求めてるんだ。俺の舌を唸らせるような最高の味を。……まあ、俺が美味いと思うのは、豚や牛じゃないがな」シェエンバレンは話を終えると、赤黒い肉を口の中に放り込み、咀嚼し始めた。


「お前の考えを聞けてよかったよ。でも、……お前は人間なんかじゃない。イカれた怪物だ。怪物が人間の事を語るな」


 男が侮蔑の言葉をシェエンバレンの背に向けて言い放つと、人喰いの怪物は男の方へと振り返った。その表情は酷く歪み、狂気に満ちた笑みがこびりついていた。


「せっかく質問に答えてやったのに酷い言い草だな。別に俺は、どうして人を喰うのかとか、誰が人間だとか人間じゃないとか、そんな下らない理屈について語り合いたい訳じゃない。お前もそうだろ?」


「ああ。お前をここまで歪ませたのは、俺の責任だ。後始末はしなくちゃならない」

「いいや、俺はあんたと会う前から少しも変わっちゃいない。生まれた時からこうなんだ。責任を負うべきは俺の両親だな。……あー。でも、二人共俺が喰っちまってた。……うーん、そうだなぁ。次に責任を負うのは俺に魂をくれた神様かな。信仰心の無い俺にはそいつの影すら見えないが」


 シェエンバレンがげらげらと下卑た笑声を撒き散らす。吐き気がした。こいつをこのまま放っておけば、何を起こすか分からない。これ以上の犠牲が生まれる前に、こいつの息の根を止めなければならない。


「どうだっていい。お前にはここで死んでもらう」男は懐から拳銃を取り出した。

「あんたには無理だ。俺を殺すことなんてできない」


 突如、シェエンバレンの肉体が変貌する。黒い体毛が全身を覆い、鋭い牙に長い爪を生やした獣人のような姿に変わった。男は初めて見るシェエンバレンの異様な力に驚愕した。


「なんなんだ、お前は……。まるで、本物の化物だ……」

「さっき言ったろ? 人間だとか化物だとか、そんなことはどうでもいいんだよ!」


 シェエンバレンは一瞬で男との間合いを詰め、喉をかき切った。男は喉から大量の血を吹き出しながら、その場に倒れ込む。


「さあ、『食事』の時間だ」


 シェエンバレンは倒れた男の肉を貪り始める。そして、最初に齧りついた腹の肉を噛み砕いている内に、あることに気付いた。


「……美味い、普通の奴の何倍も! 異界渡りだからか? 格別の味だ!」


 その後も、シェエンバレンは男の肉を夢中で喰い漁った。男は喉からの多量の出血により、比較的、楽に息絶えることができた。シェエンバレンの食事が始まってから少しの時間で、彼の身体は光の粒子へ変わり始めた。少しづつ消えていく男の身体を観察しながら、シェエンバレンは独り言を呟きながら考えた。


「異界渡りは死ぬと消えるのか。……俺だけでは、異界渡りを効率的に喰う事はできない」


 シェエンバレンは男を喰い殺した後、同業者を集めることにした。自分と同じように、人を殺すことを何とも思わないような残虐さと、病的な執着を持つ人間を。




 シェエンバレンが最初に仲間にした男はジェタリオと言い、彼は砂漠の街に住む商人一家の次男だった。シェエンバレンは資金を得る為に一家を襲おうと、周辺の調査をしていた際、この次男が街に違法な麻薬をばら撒いていることを知った。


 ジェタリオは自分が行っている黒い商売を家族には秘密にしていた。だが、彼の兄が麻薬売買の現場を偶然目撃してしまう。ジェタリオの兄は売人の一人に詰め寄り、商売を仕切っている人間を暴いた。その際に、ジェタリオは麻薬売買に関わっていることを実の兄に知られてしまう。


 ジェタリオは兄に違法な商売から手を切るように説得されたが、彼はこの大量の金が動く商売をやめる気は全く無かった。むしろ、自分が金を稼ぐ上で邪魔になる家族を謀殺することに決めた。シェエンバレンはジェタリオのこの企みを嗅ぎ付け、彼に近付いた。


「お前の家族を始末してやるから、俺の仕事を手伝え」


 ジェタリオはシェエンバレンの提案を簡単に承諾した。守銭奴は金の掛からない物事が好きらしい。


 シェエンバレンは約束通り、ジェタリオの家族全員を一夜にして殺害し、証拠となる死体を全て喰らった。後日、ジェタリオと落ち合う予定だった場所に赴くと、ジェタリオは十数人の野盗を従えて待っていた。


「お前の仕事に付き合う気なんて無い。悪いが、死んでくれ」


 ジェタリオは最初から、シェエンバレンとの約束を守るつもりなど無かった。しかし、シェエンバレンはこの裏切りを知って、怒りや悔しさを感じたりはしなかった。むしろ、歓喜した。彼が求めている人材はこのジェタリオのように狡猾で冷酷な人間だったからだ。そして、こういった手合は案外手篭めにしやすいことも知っていた。


 シェエンバレンはジェタリオが用意した野盗共全員をミンチにして、一纏めの大きな球体に作り変えた。ジェタリオはシェエンバレンの虐殺が始まってから、すぐに何処かに逃げ去っていたが、シェエンバレンは事前にジェタリオの身体に香り付けを行っており、彼の行く先はすぐに突き止めることができた。


「約束は守るもんだろ」


 シェエンバレンはジェタリオに会うやいなや、約束を破った罰と言って、彼の右眼を抉り取った。そして、彼を暴力で服従させる形で、無理やり異界の旅に連れて行った。


 最初はシェエンバレンを見る度に怯え震えているだけのジェタリオだったが、人喰いの副産物として生まれる金が想像以上に大きい事を知ると、すぐに協力的になり、麻薬をばら撒いていた時に見せていた卑しい笑みを浮かべた。

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