地下の秘密

 シェエンバレン達は彼らの店がある公園へと戻る道程を歩いていた。自分の思い過ごしだったのだろうかと、ネイリットが考え始めた頃、シェエンバレンが一人だけ歩みの方向を変えた。他の三人は欠伸をしたり、眼をこすったりしながら、眠そうに公園へ戻っていく。


 ネイリットは、公園へ向かう道を逸れたシェエンバレンを追うことにした。一睡もせずに長い夜を過ごしたというのに、彼は何処へ行くのだろうか。ネイリットの胸の内から再び疑惑が沸き起こる。


 シェエンバレンが仲間と別れて向かった先は『古書街』と呼ばれる区画だった。古書街はその名の通り、この本の街の中でも最も古い書物が納められ、古代の遺跡や近代の建築が立ち並ぶ、歴史の深い区画である。地下には未だに無数の遺跡が埋まっているらしく、それらの保護の為に土地の開発が遅れていると、ネイリットは聞いたことがあった。


 昼間には荘厳な古建築群を目当てに多くの観光客が屯している古書街も、今は閑散としており、立ち込める霧が静寂を強調していた。シェエンバレンはこんな人気の無い場所にどんな用件があるのだろうか。様々な考えを巡らせながら、ネイリットは彼の背中を追い続けた。


 シェエンバレンは遺跡の発掘が行われている地域に入っていった。この地域は、遺跡保護の為に、中途半端な道路開発が進んでしまい、新旧二つの道路が入り混じった複雑な街並みになっている。遺跡を見る為にこの地域に訪れた観光客が、道に迷ってあたふたとしている所をよく目にした。ネイリットも地図が無ければこの地域に、足を運びたくはなかった。


 迷路のような路地を迷うこと無く進んでいくシェエンバレン。彼はレンガ造りの壁の中にいきなり現れた鉄格子の扉の前に立ち止まり、誰かに見られていないかを警戒するように、周囲を見渡し始めた。ネイリットはすぐに身を隠し、シェエンバレンの視界から逃れた。しばらく隠れていると、鉄格子の扉が開く音が聞こえた。


 ネイリットは少しだけ時間を置いた後、シェエンバレンが進んでいった鉄格子の扉に近付き、この扉の先にあるものが何なのか推測できるものがないかを探した。扉の先の壁に黄色い看板が取り付けてあり、大きな黒い文字で『落盤事故発生の為立入禁止』と書かれていた。看板の更に奥には地下へと向かう道幅の狭い階段が見えた。等間隔に小さな電灯が天井へと取り付けられていたが、明るさが足りておらず、階段の奥は暗闇に包まれていた。


 こんな場所にどんな用件があるというのか。シェエンバレンへの不信感が更に強まる。それと同時に、彼と初めて出会った時に感じた恐怖の感覚が蘇ってきた。この先に進むことを心が拒んでいた。ネイリットは怯える自分を鼓舞する為に、拳を力強く握りしめ、小さな声で「大丈夫」と呟いた。


 階段へと足を下ろす前に、ネイリットは再び通信端末を取り出し、カルウィルフにこの場所を伝えるメッセージを送った。そして、生暖かい空気を吐き出す地下への階段をゆっくりと下りていく。まるで化物の口の中に自分から入り込んでいるような感覚だった。


 階段は一本道だったが、ぐにゃぐにゃと曲がりくねっていた。薄暗い地下にいることも相まって、この階段が一体どこに向かっているのか、ネイリットには全く想像もできなかった。


 不安と不信を胸に抱え、恐る恐る階段を下り続けていると、突然左右に伸びる通路へと抜けた。その通路は今までの狭苦しい階段と違い、見える限りでは真っ直ぐで広々とした通路だった。アーチを描くレンガ造りの天井と壁には薄っすらと苔が生えている。通路の中央の凹みに、細く水が流れていることから、ネイリットはここが比較的近い時代に造られた地下水路の遺跡だと判断した。


 ネイリットは首を横に振りながら、左右の水路の行き先を確認した。階段から見て右側の水路には、ネイリットの立っている手前まで大量の瓦礫が押し寄せてきていた為、それ以上先には進めそうになかった。地下への入口にあった看板の落盤事故というのは、これのことだろう。


 ネイリットは再び左側を見つめた。壁伝いに付けられた電灯では、水路全体を照らすには光量が乏しく、真っ直ぐ伸びた水路の奥までは、見通すことはできなかった。階段から離れて、左側に数歩進んでみたが、水路の先に見える暗闇が晴れることは無かった。


 シェエンバレンはこの水路をどこまで進んだのだろうか。この水路の先には一体何があるのか。様々な疑問を思い浮かべながら、ネイリットは弱々しい光を放つ電灯の下を歩き続けた。


 ぬるく湿った空気が頬を撫でる。心地の悪い感触。歩みを進めるたびに聞こえる靴音、微かな水音。いつもなら耳を素通りしていくような物音が、今は嫌というほどよく聞こえた。それなりの距離を歩いたはずだが、暗闇は未だ晴れない。お先は真っ暗。五感で感じる全ての物がネイリットを孤独にさせ、孤独は恐怖に繋がった。それでも、彼女は真実を知るために震える足を必死に動かし、前へ進み続けた。


 しばらく壁沿いを歩いていると、水路の奥、闇の向こうに光が灯っているのが見えた。ネイリットは暗闇の恐怖を和らげるために、光の先へと急いだ。長く続いた水路が途切れ、目の前に開けた円形の広場が現れる。ドーム状の天井には、大きな照明が取り付けられており、地下であることを感じさせないほど眩しい光が頭上から降り注いでいた。


 久し振りの明るく開放的な空間に、ネイリットの心は安らいだ。しかし、それも束の間の出来事だった。

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