酒飲みの料理人
事務所を出た途端、ネイリットは自分の腕を掴むケイツェンの手を振り払い、周囲の人の目にもくれず、怒鳴り散らした。
「ケイさん、なんで止めたんですか!」
「あんた、あのままリーダーに噛み付いていたら、本当に首が飛んでたよ。そしたら、あんたのやりたいこと、何もできなくなるだろ?」
「それでもいい! 今なら異界喰らいと戦うことに力を貸してくれる人達がいる。奴を倒すには今しかないんです!」
ケイツェンは呆れた顔で、怒り狂うネイリットの肩に手を置いた。
「馬鹿……。あんたは一体、何の為にジャーナリストの道を進んだんだ? 異界喰らいを仕留める為じゃないだろう?」
「それは……」
ネイリットはケイツェンの問いに答えられず、口ごもってしまう。幸福な光景を世に届けることが彼女がジャーナリストになった理由だった。決して、一人の猟奇犯罪者を追うことが彼女の人生では無かった。
「あんたが奴に特別な因縁があることは私も知ってる。でも、無理にそれを背負うことは無いんだ。今は他の人に任せておこう」
「……はい」
ケイツェンに諭され、先程まで燃えていたネイリットの怒りは、少しずつその勢いを弱めていた。それどころか、嗚咽を漏らし始めており、今にも大泣きしそうな状態になっていた。
「おいおいおい、泣くな泣くな。これから取材を頼みに行くのに真っ赤な目をしていたら、向こうも困るだろ」
「……ずみまぜん」
ネイリットはなんとか涙をこらえると、ケイツェンと共に異界渡りの料理人がいるという公園に向かった。そこはネイリットとカルウィルフが初めて出会った場所だった。
公園には、綺羅びやかな装飾が飾られた異国的な趣のある簡素な小屋が建っていた。そして、その小屋からは香辛料の刺激的な匂いが漂っており、その匂いにつられるかのように、人集りができていた。どうやら、独特の雰囲気を放つこの小屋が例の料理人が営んでいる店らしい。
ネイリット達は無数の人々の中からこの店で働く従業員を探す為に、人集りの外から小屋の周囲を観察していた。すると、両手に皿を持ち、忙しなく動き回る若い男性がいることに気付く。彼は右眼に眼帯を付けていた。ネイリットはその男性の元まで駆け寄り、彼に話を聞いてみることにした。
「すみません。私はとある報道機関の者で、ネイリットと言います。このお店について、少しお話を伺いたいのですが」
「え、話? ごめん、今はちょっと手が離せなくて……。シェエン!」
眼帯の男性が店に向かって大声を上げると、店の扉から野性的な風貌をした男性が現れた。
「……騒々しいぞ、ジェタリオ。どうしたんだ?」
「こちらのお嬢さん達がお話があるってさ!」
ジェタリオと呼ばれた男性の皿を持った手が、ネイリット達の方へ向くと、店から現れた男性の視線がその手に合わせるように動いた。男性のギラついた眼光が二人の記者に突き刺さる。ネイリットはこの男の両の目から発せられる鋭い輝きに言い知れぬ恐怖を覚え、身震いした。何か触れてはいけないような力を彼から感じ取った。しかし、その感覚もただの杞憂だったのだろうか、彼は酷く間の抜けた声と表情でネイリット達に話しかけた。
「はあ……。一体何の話かな?」
ネイリットは拍子抜けし、しばし放心状態に陥ったが、ケイツェンに背中を小突かれて、我に返る。
「……ええと、今、私達は様々な生き方をして活躍している異界渡りについて、取材をしています。それで、もし宜しければ、あなた達からお話を聞かせていただきたいのですが……」
男は懐から一枚の紙切れを取り出し、眺め始めた。しばらく考え込むような仕草をした後、今度はペンを取り出して、紙切れにすらすらと何かを書き始めた。
「今はちょうど客入れ時でね。手が離せないんだ。だから、この紙に俺たちが仕事終わりに集まる場所を書いておいた。時間も書いてあるから、その時になったら来てくれ」
「はい、分かりました。では、その間にこちらも取材の準備を済ませておきます」
「頼むぜ。……あー、まだ名前を言っていなかったな。俺はシェエンバレン。この店のオーナーみたいなものだ。よろしく」
「よろしくお願いします。シェエンさん」
「よかったら、俺の料理も食べてってくれよ。とびきり辛いけど、美味いはずだぜ」
シェエンバレンが近くのベンチに座る客が食べていた真っ赤な料理を指差したが、ネイリットは申し訳なさそうにそれを断った。
「いえ、私は辛いのは苦手なので」
「……そうか、そいつは残念」
しかし、隣に立っていたケイツェンは興味津々に赤い料理を見ながら、言った。
「私はいただきます」
「毎度。じゃあ適当な場所で待っててくれ。すぐに持ってくるよ」
シェエンバレンはそう言ってネイリットに紙切れを手渡すと、後ろ手を振りながら、店の中へと戻っていった。店の扉が閉まったのを確認すると、ネイリットは料理が運ばれてくるまでに、シェエンバレンから渡された紙に書かれている場所と時間をケイツェンと一緒に確認した。
「たしか、ここは……」
「バーだな。とびきり強い酒を出すことで有名だ」
「あの人、お酒を飲みながら、取材を受けるつもりなんでしょうか」
手渡された紙切れを片手に持ち、ネイリットは困惑の表情を浮かべるケイツェンの方を呆然と見つめた。彼女の視線に対して、ケイツェンは何も言わずにため息を吐いた。その直後、眼帯を付けた男性があの真っ赤な料理をケイツェンの元に運んできた。ケイツェンはすぐにそれを口の中へと運び、先程のため息を忘れてしまうような感嘆の声を上げた。
「美味い! 久しぶりにこんなに美味い料理を食べた!」
普段、感情の起伏が少ないケイツェンが笑顔で大きな声を出している姿を見て、ネイリットも思わず笑ってしまう。久し振りにケイツェンの満面の笑みを見たせいか、ネイリットの中にあったシェエンバレンへの恐怖も薄らいでいた。そして、ケイツェンが料理を食べ終えると、二人の記者は取材の準備をする為に事務所へと戻った。
約束の時間が近付き、紙切れに書かれていた場所へと二人の記者は向かっていた。そこはこの街の中でも老舗のバーであり、古くから製造方法が変わっていないという非常に度数が高い酒を売りにしている。なんでも、その酒の入ったグラスにマッチの火を近づけると、ぼうぼうと青い炎が燃え盛るとか。このとんでもなく度数の高い酒を目当てに多くの人がこのバーに訪れるらしい。
バーの扉を開けた瞬間、アルコールの混じった空気が顔にぶつかり、むせ返りそうになる。客席を見渡すと、テーブル席からシェエンバレンがこちらに向かって、グラスを持った手を上げていることに気付く。彼の隣には三人の従業員らしき人物が座っていた。一人は今日の昼に見た眼帯を付けた男性、ジェタリオだった。
二人は彼らが座っていたテーブル席の空いた場所に座り、適当なドリンクを注文した。もちろん、仕事の時にはアルコールは飲まない。そのことにシェエンバレンは「つまらん」と愚痴をこぼした。
ネイリットはテーブルに運ばれてきた一杯目のドリンクを飲み干すと、取材に使う録音機やメモ帳などを取り出した。
「それでは、早速ですが取材をさせて頂きます」
「いいぜ、何でも聞きなよ」
シェエンバレンは赤い顔で自信満々に言った。酒臭い息が顔にかかり、ネイリットの表情が歪む。ネイリットは正直、アルコールの匂いはあまり好きではなかった。嫌悪感を顕にするネイリットの様子を見兼ねて、ケイツェンはわざとらしく咳払いをした。それを耳にしたネイリットは慌てて偽りの笑顔を装い、シェエンバレン達への取材を始めた。
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