第十二章:インタビュー

別れは突然に

 これは私の心、私の記憶。新たな決意を胸に私達は本の街に滞在していた。再び獣達と戦う為に。悪意の連鎖を止める為に。

 これは私の心、私の記憶。時の流れは早く、旧い仲間はこの世界を立ち去ることになった。私達の栄光を願いながら。




 リシュリオルはアトリラーシャ、カルウィルフの銀色の姉弟と新しい仲間であるネイリットと共に巨大書庫の門の下で、道行く人々を眺めていた。何度も何度も、本を抱えた職員や荷台に無数の本を乗せたトラックが行き交っている。


 目に入る物は、本、本、本。


 相変わらず、この街の人々は本の為に生きている。だが、彼らのこの生き方が案外役に立つことも分かった。彼らはリシュリオル達が必要としている書物を、断片的な情報だけで、どこからか引っ張り出してくるのだ。


 最初は気に入らない事が多かったこの街も、一年以上過ごしていると、その一つ一つに慣れていく。


 そう、いつの間にか一年以上もこの街の世話になっていたのだ。そのことに気付いたのは昨日、異界喰らいの情報を集める事に手を貸してくれていたルギオディオンの身体の末端が薄っすらと光を帯び始めたからだ。


 それは、一つの異界に留まりすぎた者の身に起こる『最初の現象』だった。リーリエルデが酷く慌てていたのが印象に残っている。当の本人のルギオディオンは、光を放つ自身の身体を軽く一瞥しただけで、すぐにまた書物を読み漁り始めた。


 彼曰く、この現象は「大した問題ではない」らしい。光の粒子化は、たとえその発端の現象が現れても、すぐに次の異界に向かわなければならない程、進行する速度は早くないそうだ。だが、リーリエルデがしつこく次の異界の扉を通る事を勧めた為、今日の昼過ぎにルギオディオンは既に開いているという扉へと向かうことになった。

 

 リシュリオル達が門の下にいたのは、そんなルギオディオンを見送る為だった。


「待たせたな。荷造りに時間が掛かってしまった」


 ルギオディオンが大量の荷物と共に現れた。全身に荷物を括り付けた彼の姿を見て、アトリラーシャが吹き出す。


「ルギさん。荷造りが下手なのは、私と同じですね」

「アトリ、お前は確かに荷造りが下手そうだ。……だが、私のは違う。必要な物が多すぎるのだ」

「じゃあ、この犬は何に使うんですか?」


 アトリラーシャがルギオディオンの腰にロープで縛り付けられたへんてこな表情をした犬の像を指差しながら聞いた。


「それは……」


 ルギオディオンは犬の像を見つめて、何やら深く考え込み始めた。小さく低く唸り声を上げながら。しかし、巨大書庫の方からルギオディオンを呼ぶ声が聞こえてきたため、彼の思考は停止された。


「社長! 待って下さーい!」


 リーリエルデとイルシュエッタが巨大書庫の方から走ってきた。リシュリオル達の注目は、不思議な犬の像から慌てた様子でこちらへと駆けてくる二人に向く。結局、ルギオディオンが変わった顔の犬の像を身に付けている理由を知ることは叶わなかった。


「やっと来たか。何をしていた」

「あんたの机を整理してたんですよ!」


 イルシュエッタがルギオディオンに向かって怒声を浴びせる。


「社長、作業机の上を見ましたか? 作りかけの試作品と工具がそのまま置いてありましたよ……」

「そうか」

「とりあえず、机の上に置いてあったものは全て持ってきました」


 リーリエルデは大きな工具箱とルギオディオン以外の人物には到底理解できそうにない複雑な形状の機械装置を手渡した。


「悪かったな、リーリエルデ。いつも助かるよ」

「……い、いえ。当然のことをしたまでです」


 リーリエルデが頬を赤く染め、恥ずかしそうに俯いた。そして、どこからか誰かの舌打ちが聞こえてきた。


 改めて、ルギオディオンがリシュリオル達の方へ振り向くと、カルウィルフが口を開いた。


「ルギオディオンさん、ありがとうございました」


 深々と頭を下げるカルウィルフ。彼とルギオディオンはやけに気が合うらしく、本来の目的を忘れて、訳の分からない議論をこの二人だけで繰り広げる事がよくあった。


「気にするな、カル。私も久々に話しがいのある人間に出会えたと思っている。お前との議論はなかなかに楽しめた」

「俺もあなたのような聡明な人に出会えてよかったです。また、お話を聞かせてください」

「お前の知的欲求と礼儀正しさを、どごぞの阿呆に見習わせてやりたいよ。……なに、互いに生きていれば、再び相まみえることもあるだろう。……だから、死ぬなよ」

「……はい」


 二人は握手を交わしあった。そして、握り締めた手を開くと、ルギオディオンはリシュリオルのそばへと歩み寄った。 


「リシュ、お前の能力は奴等にとって切り札になりうる。戦いの中心はきっとお前になるだろう。素早く正しい判断をしろ」

「はい。できる限りのことはやってみせます」


 ルギオディオンが膝を折り、リシュリオルの耳元に顔を近づけた。


「それと、あの銀色の二人は少し不安定な部分がある。何かあった時はお前が力を貸してやれ」

「……はい」


 リシュリオルが小さく返事をすると、ルギオディオンは口元を緩めた。そのまま真っすぐ立ち上がり、彼女に背を向けて、リーリエルデの方へと歩いていった。


「……私には? なにかないんですか?」


 ネイリットがルギオディオンの背中に話しかける。彼は苦い顔をしながら渋々と振り返り、眉をひそめ、彼の言葉を待つネイリットを見た。

  

「何かお言葉を下さい!」


 いつも大事そうに被っているキャスケットを胸の前に持ち、期待に目を輝かせるネイリット。ルギオディオンが先程、犬の像を持っていく理由を考えていた時のように、口元に手を当てながら低く唸る。


「……うーむ」

「何も無いんですか!」


 ネイリットの両腕がルギオディオンの襟元を掴み、自分より二回り以上大きな彼の身体を大きく揺らす。


「うぐっ。ま、待て。お前はその直情的な性格に気を付けろ。軽々しい行動はいつか痛い目を見るぞ」

「す、すみません」


 ネイリットは掴んでいたルギオディオンの服を手放し、ぺこぺこと頭を下げた。彼女の腕から解放されたルギオディオンは乱れた襟を直しながら、続けて忠告を伝えた。


「そういえば、ネイリット。仕事の方は大丈夫なのか? お前の先輩がこの前、後輩が仕事をしないと愚痴っていたぞ」 

「ケイさんが? でも、愚痴っていただけなんですよね? 怒ってなければ大丈夫ですよ」

「お前……。本当にいつか痛い目を見るぞ……」


 ネイリットの言う『ケイさん』というのは、彼女の務める異界を巡る報道機関の一員であるケイツェンという女性だ。そして、ルギオディオンの言う通り、彼女の先輩である。

 

 ケイツェンは度々、異界喰らいの調査に没頭するネイリットの事を探しに巨大書庫に現れることがあった。しかし、ネイリットはケイツェンに見つかったとしても、ブーツの力を活かして、颯爽と彼女から逃げようとする。その為か、リシュリオルはネイリットを追いかけながら、息を切らすケイツェンの姿しか見たことがなかった。


「大丈夫です、大丈夫です。ははは」


 脳天気に笑うネイリットの背後にはいつの間にか、例の『ケイツェン』が立っていた。その気配に気づいたネイリットはすかさず、ブーツの力を発動し、その場から逃げ去ろうとしたが、時すでに遅し。彼女の身体はケイツェンの腕の中に収まった。


「た、助けてー」

「いつも私の後輩がお世話になっています。今、ウチの職場が大変慌ただしい状況の為、このまま彼女を連れて行きます」

「どうぞ」


 皆、声を揃えて答えた。


「では」


 ケイツェンはキリッとした目つきを一向に向けたまま丁寧に一礼した。ネイリットの姿はケイツェンと共に市街地へと繋がる橋の先へと消えた。

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