決意の風

 ネイリットが異界喰らいを追う理由を、重苦しい口調で語る。


「私が異界渡りになる前、私には親友がいたんだ。彼女とは本当に仲が良くて、毎日一緒に遊んでた。ある日、私が彼女の家に泊まりに行ったんだ。一緒に星を見ようって言ってね……」


 ネイリットの話を聞くうち、カルウィルフの胸の中で過去の記憶の昏い部分がざわめき始めた。ネイリットはゆっくりと口を動かし、話し続ける。


「彼女の家に着いて、玄関のチャイムを鳴らしたけど、誰も出てこなかった。玄関の扉が開いていたから、気になってそのまま家の中に入ったんだ。そして、リビングのカーペットの上に赤黒い塊がそこら中に落ちているのを見つけた……」

「……もういい。話さなくていい」


 ネイリットは青白い顔をして、震える自身の身体を両腕で抱き締めた。カルウィルフは弱っていくネイリットの様子を案じて、彼女の言葉を止めた。


「どうやら、君は俺と同じ境遇らしい。俺も両親と伯父の命を奴に奪われた」

「そう、だったんだ……」

「そして、俺は奴と一度戦っている」

「本当なの? 異界喰らいと戦って、生き延びるなんて。カル、結構凄いね」

「いや、奴の強さは俺一人なんかじゃまるで歯が立たない。俺が今生きているのは、伯父さんのおかげだ。あの人が命を懸けて助けてくれたんだ……」


 カルウィルフの言葉を聞いたネイリットの表情が曇る。聞いてはいけなかった、そんな顔をしていた。二人の間にしばしの沈黙が流れる。その静寂を破ったのはカルウィルフだった。


「俺は正直な所、奴にはもう勝てないと思ってる。それ程、実力に差があった。……ネイリット。ジャーナリストの端くれなら君も奴の強さをよく知っているだろ?」

「ええ」

「なら、どうして奴を追う? ジャーナリスト如きの君に何ができるんだ。君の足の速さには眼を見張るものがあるが、それで奴の爪や牙を防げるのか? 奴の首を落とせるのか? いや、首を落としても、奴は死なないかもな……」


 カルウィルフは乾いた笑い声を上げた。異界喰らいに戦いを挑む気力を失った弱い『自分』を、自身の無力を棚に上げ、ネイリットに対して八つ当たりをする最低な『自分』を、嘲るように笑った。


 ネイリットはそんなカルウィルフを真剣な眼差しで見つめていた。怒っているのか、哀れんでいるのか、それとも、その両方か。彼女の瞳には様々な感情が浮かんでいるように見えた。


「……さっきの話には続きがあるんだ。私の親友は手紙を書いていた。中身は彼女の夢の事、写真家になる事。彼女はその夢を叶える為に家を出ないといけなかった。それを私に伝えたかった。お別れになるからってね」


 再び過去の悲劇を話し始めたネイリットの両目には、微かに涙が浮かんでいた。カルウィルフは口をつぐんで、彼女の話に耳を傾ける。


「私のいた世界では、二つの大国があらゆる分野で競い合い、何度も戦争が起きていた。彼女は互いの国で暮らす人々の幸福な生活の光景を写真に収めて、両方の国でそれを展示するんだと手紙に書いていた。文化や人種が違う国同士でも相手の国の幸福な生活を知れば、きっと戦う気も起きなくなるって。……そんなこと、子供の考える夢物語だけどね」


 ネイリットが微笑む。彼女のその笑顔には消えることのない悲哀の情が漂っていた。彼女の親友はもう夢を見ることすらできない。そのことに、カルウィルフの胸が痛んだ。ネイリットは話し続ける。


「違う形でもいいから、彼女の夢を叶えてあげたかった。それで私は、ジャーナリストになろうとした。互いの国の幸福の形を伝えられると思ったから。でも、すぐに戦争は終わった。お互いに疲れていたんだろうね。平和条約が締結されたんだ。……私がどうこうする前に彼女の夢は叶った。それでも、私はなんだかやり切れなくて、異界渡りになった。いろんな世界のいろんな幸福の形を大勢の人に知ってもらう為に」


 今度のネイリットの笑顔には決意の念が現れていた。しかし、すぐにその笑みも消え去り、怒りや悲しみといった負の感情が吹き出す。


「でも、現実はそんなに甘くなかった。どんな世界に行っても、辛いことの方が多いんだ。悲運な事故、悪意のある犯罪、大きな戦争。最初は凄く辛かった。でも、夢を諦めたくなかったから、この仕事を続けた。そうして仕事を続けてるうち、異界喰らいの犯行現場を見ることになった。一面の赤い世界を。私はすぐに親友を殺した奴の仕業だと思った。そこで被害者の遺族に話を聞いたんだけど、その人は最後にこう言ったんだ。『あの子のような犠牲者をこれ以上出さないでください。あの子の死を無駄にしないでください』って」


 再び、ネイリットの顔に強い決意の表情が浮かぶ。真っ直ぐで芯のある確かな意志を感じられた。


「その時から私は絶対に諦めたりしないと決めた。異界喰らいの犠牲者達の遺志を絶やすわけにはいかない。この遺志を誰かが継いでいかなければならない。そうしないと奴は永遠に止まらない。……カル、あなたはもう戦わなくていい。けど、奴に命を奪われたすべての人々の為にも、どうか私に奴の事を教えてほしい」


 カルウィルフはしばらく何も言えずにいた。確固たる意志を持つネイリットの言葉が、彼の胸に突き刺さった。


(『もう戦わなくていい』、だと? 異界喰らいと戦うために今まで剣術を学んできた俺が、ジャーナリストの女の子にこんなこと言われて、悔しくないのか?)


 今までの自分の言動を思い返す。

 

(もう勝てない? 実力差がありすぎる? そんなの俺が弱いだけだ。彼女に酷い言葉をぶつけて、俺は、どれだけ情けない人間なんだ)


 自分の惨めさに涙が出そうになる。もちろんそんな物は意地でも漏らしたりしないが。ここで泣いたら、本当にどうしようもない軟弱野郎だ。彼女のように腹をくくらなければならない。


「ネイリット、異界喰らいのことを話そう。そして、俺もまだ奴と戦い続ける。君と一緒に戦いたい」

「カル……、ありがとう……」


 二人は互いの手を取り合い、その意志を重ね合った。ここから再び、カルウィルフの異界喰らいとの戦いが始まるのだ。




「私はまだこの世界にいるつもりだけど、カルはどうするの?」

「まだ異界喰らいとの戦いで折れた腕が治ってないんだ。しばらくはここにいるよ」

「そっか、じゃあ話をするのはまた明日で大丈夫だね。……今日はもう遅いから」


 ネイリットはカルウィルフから視線を逸らし、遠くに聳える山々を見つめた。太陽は既に山際に差し掛かっており、橙色の夕焼けが二人の姿を染めていく。弱まる日差しは、街に流れる空気を冷やす。涼しい風が黄昏れる二人の間を縫うように吹き抜け、その心地よい肌寒さが戦いに挑む気勢を更に強くする。


 しかし、屋根の下の路地から突如として響いた、とても聞き慣れている声がその引き締まった空気をぶち壊した。


「カルー! 屋根の上でナンパなんてやるじゃん! ナイスシチュエーション!」

「そろそろ夕飯だぞー、降りてこーい! あと、そんなところにいても少しもかっこよくないぞー!」

「……そうかな?」

「うん。バカっぽい」


 アトリラーシャとリシュリオルが屋根の上に向かって、恥ずかしげも無く大きな声で叫んでいる。


「だ、誰?」


 ネイリットが不思議そうに下の二人を指差しながら、カルウィルフをじっと見つめた。

 

「俺の姉さんと友達……」


 カルウィルフは顔を両手で隠していた。とても泣きたい気持ちだった。でも、彼は強い男なので、一滴も涙は流すことはしなかった。

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