社長

 リシュリオル達は巨大書庫に向かう大橋を渡り切り、書庫に入る為にくぐる大きな門の下でイルシュエッタ達を待っていた。水路から流れ込んでくる涼しい風を浴びながら、門を行き交う人々を眺める。そして、隣に立つアトリラーシャと今日の夕食のメニューについて話していた。


 しばらくして、書庫の方からやつれた顔のイルシュエッタとリーリエルデが現れた。イルシュエッタがため息をつきながら、リシュリオルに駆け寄る。


「お待たせ。ちょっと社長を説得するのに手こずってね。でもまあ、なんとか話をつけられたよ。私の給料は犠牲になったけど」


 苦笑を浮かべながら話すイルシュエッタ。リシュリオルの隣に立つアトリラーシャに気付き、手のひらを差し出す。


「あなたがアトリラーシャ? リシュから話は聞いてるよ。よろしくね」

「よろしくお願いします」


 深々と頭を下げ、イルシュエッタの手を握るアトリラーシャ。この人にそんな態度は取らなくてもいいと、リシュリオルは礼儀正しく対応する彼女を横目で見ながら思った。

 

「どこかの誰かと違って、礼儀正しいねぇ。……そうだ! アトリも私の弟子にならない?」

「いいですね! よくわからないけど!」

「やったぁー! 弟子二号獲得!」


 リシュリオルは舌打ちした。イルシュエッタの言う『どこかの誰か』というのは、きっと自分のことだろう。「礼儀正しくなくて悪かったな」と心の中でリシュリオルは呟いた。


 その後も、イルシュエッタとアトリラーシャはアホらしい会話を続けていた。波長が合うのか、初対面だと言うのに二人はすぐに打ち解けていた。


「……じゃあ、皆さん。行きましょう」


 仲良くハイタッチをしているイルシュエッタとアトリラーシャをよそに、リーリエルデは巨大書庫の入り口へと歩き出した。彼女も相当にくたびれているようだ。いつもなら、イルシュエッタのふざけたやり取りを傍らで楽しそうに見つめているが、この時は違った。社長とやらにこっぴどく叱られたのだろうか。


 巨大書庫の入り口の壁には、書庫内の地図が貼り付けてあった。リーリエルデはこの建物の構造をあらかた説明した後、彼女の上司がいるという部屋へと案内を始めた。


「社長はある部屋で調べ物をしているので、これからその部屋に向かいます」


 そう言って、リーリエルデは巨大書庫に足を踏み入れた。書庫に入る為の大きな扉を開くと、長い廊下が現れた。廊下の左右には等間隔に扉が付いており、この書庫で働く職員の手によって、忙しなく開閉を繰り返していた。


「古いお城を改装しているので、建物の一部しか電気が通っていないんです。だから、この廊下も壁にかけられたランプくらいしか明かりがありません」


 リーリエルデがこの書庫について淡々と説明する。確かに、彼女が言う通り書庫内部は薄暗く、リシュリオルも最初に廊下に足を踏み入れた時、床に本が積まれていることに気付かず、それに躓きそうになった。


 廊下を歩き続ける一行。所々で扉が開け放たれており、部屋の中が見えた。巨大書庫という名の通り、天井まで伸びた背の高い本棚が何列にも並び、その全てに大量の本が敷き詰められている。部屋によっては、まだ本の整理が終わっていないのか、書庫の職員達が、何冊もの本を腕に抱えて、本棚の前を右往左往していた。


 リシュリオルは視線を前を歩くリーリエルデの背中に戻し、彼女にこれから会う社長という人物について尋ねてみた。


「聡明で真面目で、異界の未来について真剣に考えている人ですよ」と、リーリエルデが自慢げに答えた後、イルシュエッタが続けて「気難しくて怒りっぽい。面倒な人だよ」と付け足した。そのまま二人は社長の人物像について、あーでもないこーでもないと言い争いを始めた。


「イルさんは社長のこと、分かってないんですよ!」

「先輩こそ、あの人を見る目にフィルターがかかってるんですよ。目を覚ましてください!」


 二人の説明はちぐはぐだったが、『社長』という人物の想像はなんとなくついた。


 その後も、リーリエルデはイルシュエッタと口喧嘩をしながら、書庫の案内を続けた。二人の語気が限界まで強まりかけた時、社長がいるという部屋に辿り着いた。


 リーリエルデが部屋の扉をノックする。しかし、返事が返ってくることはなかった。一呼吸置いて、もう一度ノックをしたが、反応は変わらない。


「どうしたんでしょう?」

「きっといつもの通り、本を読むのに夢中なんですよ」


 イルシュエッタが苛立ち気味に思い切り扉を叩いた。扉は重厚な木製で、非常に丈夫そうだったが、イルシュエッタの有り余るパワーを受けて、ガタガタと震えた。


「社長、いませんかぁ? 開けますよぉー?」


 イルシュエッタが扉を勢いよく開くと、部屋の中から強い光が溢れ出した。その部屋には大きな一枚の丸窓が取り付けられており、そこから大量の陽光が入り込んでいた。薄暗い廊下との明暗差のせいで、部屋の明るさに慣れるまでには、それなりの時間を要した。


 イルシュエッタの腕に力が入り過ぎていたのか、扉を開けた衝撃で部屋の中の本棚から数冊の本が落ちた。本棚の下には一人の男性が立っていた。棚から落ちた本は、彼の頭に当たり前のようにぶつかった。突然の出来事だった為か、男性は大きくよろけて、受け身も取れずに床に尻餅をついた。


「大丈夫ですか、社長!」


 やはり、彼は社長だった。リーリエルデが急いで社長の元に駆け寄る。加害者と言ってもいいイルシュエッタは、扉の近くから指を差してげらげらと笑っていた。社長は本のぶつかった頭に触れながら、リーリエルデの手を借りて、立ち上がる。


「大丈夫だ、リーリエルデ。……それより、イルシュエッタ!」


 イルシュエッタの名を叫ぶ社長の目つきは恐ろしく鋭かった。その視線は、まるで研ぎ澄まされた刃物のようで、常日頃から脳天気でいるイルシュエッタも、その身体を硬直させた。


「は、はい」

「……どうやら貴様は、街中を平然と歩ける環境が嫌いと見える」

「いやぁ、そんなことはぁ、……無いですよ」


 社長の視線がイルシュエッタから、彼女の隣に立つリシュリオルとアトリラーシャに向かう。


「最悪の処分だけはしないでおいてやる。客人の前だからな」

「へへっ、ありがとうございまぁす」


 反省の色が全く見えないイルシュエッタの感謝の言葉は、社長の目つきを再び鋭い刃物へと変えた。


「あまり調子に乗るなよ」

「……はい」


 社長はドスの利いた声でイルシュエッタに釘をさした後、リシュリオル達の元へゆっくりと歩み寄った。目の前に立つ彼の姿は、一言で言って、容姿端麗だった。きめ細かな白い肌に、シルクの様に微かに透き通る金髪。瞳は晴れ渡る空のような濃色の碧眼だった。


「私はルギオディオンだ。よろしく頼む」

「……いえ、こちらこそ」


 彼、ルギオディオンはリシュリオルの人生において、最も優れた容姿を持つ男と言えた。リーリエルデが惚れるのも頷ける。現に今も、ルギオディオンの背中越しに立つ彼女の顔には、普段見せない惚けた表情が浮かんでいた。


 そして、心底嬉しそうなリーリエルデの隣に立つイルシュエッタは、ルギオディオンに見えぬよう、彼の背中に向かって、中指を立てていた。清々しい程、悪意に満ちたイルシュエッタの表情と、塔のように突き上げられた中指を見て、リシュリオルは思わず苦笑してしまった。

 

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