再会と葛藤

 リシュリオルはイルシュエッタの姿を見た途端、その場から逃げようとしたが、すぐに彼女の素早い両腕に捕まった。


「なんで逃げるの?」


 じたばたと暴れるリシュリオルを抱きかかえながら、イルシュエッタは楽しそうに笑顔で尋ねる。リシュリオルにとってはイルシュエッタは今会いたくない人間の候補の上位にいた。彼女の思いつきの行動に付き合う気分では無かった。


「べ、別に……」


 リシュリオルはイルシュエッタと顔を合わせないように視線をそらす。


「お久しぶりです、リシュ」


 イルシュエッタの隣に立つリーリエルデが礼儀正しくお辞儀をする。リシュリオルは優しく微笑む彼女につられて、イルシュエッタに抱きかかえられた状態のまま、頭を垂れた。


「久しぶり」


 自分とリーリエルデとの態度の違いに不満があるのか、イルシュエッタはふくれっ面をしていた。


「リシュは今何をしてるの?」


 イルシュエッタはリシュリオルを抱きかかえたまま、尋ねてきた。リシュリオルは自身の身体を締め付けているイルシュエッタの腕を叩いて、答えた。


「とりあえず、下ろして」

「逃げない?」

「逃げない」


 イルシュエッタの腕がゆっくりと解かれていき、リシュリオルは地に足を着いた。


「それで、何をしてるの?」

「いろいろあって、怪我をしたから療養中」


 リシュリオルは包帯の巻かれた脚を二人に見せた。イルシュエッタはその脚をまじまじと見つめていた。


「誰にやられた? 私の弟子に傷を負わせるなんて、なかなかの手練じゃん」


 どうして事故などではなく『誰かの仕業』だと、分かったのだろう。リシュリオルにはその理由が分からなかったが、質問に対しては、彼女にあまり嘘は通用しないと分かっていたので、怨敵の正体を素直に答えた。


「異界喰らい」


 リシュリオルがそう答えた時、リーリエルデの顔は青ざめた。イルシュエッタも何処か具合の悪そうな表情をしていた。


「話には聞いたことあるけど……。また、面倒そうなのとやり合ったね。……勝てたの?」

「いや、勝てなかった。完全な敗北だ。……大きな犠牲もあった」

「……そう」


 イルシュエッタはそれ以上の追求はしてこなかった。彼女はいつも道化のように明るく振る舞っているが、人の暗い感情には敏感だった。


「……リシュ、まだ異界喰らいと戦うつもり?」

「奴らを絶対に野放しにしておくわけにはいかない。私が死ぬまで何度でも戦ってやる」


 異界喰らいを打ち倒さんと意気込むリシュリオルを見て、イルシュエッタは鼻で笑った。


「それじゃあ、駄目だな」

「何が」


 リシュリオルは仏頂面でイルシュエッタの事を睨んだ。


「死ぬまで、なんて考え方は良くないね。死ぬ覚悟が必要な戦いより、確実に勝てる戦いを挑んだ方がいい。勝てない戦いをするくらいなら、逃げたほうがいい」


 イルシュエッタは淡々と、落ち着いた口調で話した。その彼女の冷静さが、リシュリオルの癇に障った。


「あいつら相手にそんな戦いをできるわけが無い。イルシュエッタは分かってないんだ。奴らの強さが!」


 語勢が強まる。


「戦ってもいないあんたに何が分かるんだよ! いつもヘラヘラ笑いやがって、ムカつくんだよ!」


 異界喰らいとの戦い以降、何処にも吐き出すことができなかった鬱憤が爆発し、ヒステリーに変わる。リシュリオルは甲高い声でイルシュエッタの事を罵倒し続けた。


 怒り狂うリシュリオルをなだめようと、リーリエルデが彼女に触れようと手を伸ばした。しかし、リシュリオルの怒りは収まることを知らず、リーリエルデの慈悲の手をはじき飛ばした。


 赤く腫れたリーリエルデの手の甲を見て、イルシュエッタは舌打ちした。そして、リシュリオルの暴れる右手を骨が砕ける程に力強く握り締め、怒りに満ちた顔で彼女を睨みつける。


「負け犬がぎゃあぎゃあ吠えるなよ。自分の無能を相手の能力を言い訳にして、誤魔化すなんてみっともないね。……ああ、そうか。その戦いでくたばった犠牲とやらが、リシュの無能を通り越す程のどうしようもない役立たずで、リシュの足を引っ張ったんだね。なら、勝てなくても仕方がないな」


 イルシュエッタの冷徹な言葉が、リシュリオルの堪忍袋の緒を切った。左手が勝手に動き出し、イルシュエッタに一直線に向かう。彼女はその拳を容易く残った片手で受け止めた。


「あの人は役立たずなんかじゃない! あの人がいなかったら、私も死んでいた!」

「なら、リシュがその人の足を引っ張ったんだ。よく思い出してみなよ。負けた理由がある筈だ」

「……」


 何も言い返せなかった。イルシュエッタの言う通り、自分の突発的な行動があの敗北を生んだ要因の一つであることは確かだった。冷静にあの戦いの事を思い返している内、全身から力が抜けていき、リシュリオルはその場にへたり込んでしまう。


「……どうすればいい、奴らに勝つには」

「まずは敵を知ることだ。……いろいろ手伝ってあげるよ。ちょうど知り合いの知識人がこの世界にいるから、その人に異界喰らいの事を聞いてみよう」


 イルシュエッタの表情は元の笑顔に戻っていた。地べたに座るリシュリオルの手を引き、無理矢理立ち上がらせる。


「さっきは言い過ぎたね、悪かった」

「こっちこそ、……ごめん。リーリエルデも」

「いえいえ」

 

 二人の関係が壊れずに済み、リーリエルデは安堵した。しかし、先程のイルシュエッタの言葉を思い返し、その安息も束の間となる。


「イルさん、『知り合いの知識人』って誰の事ですか?」


 そう尋ねるリーリエルデの顔からは血の気が引いていた。


「そんなの決まってるじゃないですか。社長です」

「これ以上厄介事を持ち込んだら、殺されますよ。少なくとも確実に給料は減りますよ」

「大事な弟子が困ってるのに、放ってはおけないですよ」

「し、知りませんよ、私」


 やけに怯えるリーリエルデを見て、リシュリオルは不思議そうに聞いた。


「社長っていうのは? イルシュエッタより強いのか?」

「社長は社長だよ。私達の上司。先輩が大好きな――」

「それは知ってる」

「なんだ。知ってたのか。でも、先輩が夜な夜な書いてる痛々しい愛の日記の事は知らないでしょ」

「イルさん!」


 イルシュエッタの言葉はリーリエルデの叫び声によって遮られた。彼女の顔は、今度は真っ赤に染まっていた。リーリエルデの赤い顔を見て、イルシュエッタは苦笑しながら、辿々しく話を続けた。


「えー、えーと、……社長は私より強いよ。なにせ、私の財布を握っているからね。それに、いろんな人間とのツテがあって、下手な事をするとその人達に追われる羽目になる。私も色々計画はしてるけど、そいつらが邪魔でね〜」

「計画って?」

「暗殺とか」


 今度は、目の色を変えたリーリエルデがイルシュエッタの胸ぐらを掴み、がくがくと揺らした。


「イルさん、そんなこと本気で計画してたんですか!」

「嘘です、冗談です。首を絞めないで」


 今日のリーリエルデは忙しかった。取り乱す彼女を見て、リシュリオルは二人の上司である『社長』に会ってみたくなった。そして、彼女の日記の中身を、あとでイルシュエッタに聞いてみようと思った。

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