第十一章:失われた者達のために

本、本、本の街

 これは私の心、私の記憶。私達が森の世界の次に辿り着いた街は、巨大な書店や書庫がそこら中に置かれた、まるで街全体が大きな図書館であるかのような、本に溢れた世界だった。

 これは私の心、私の記憶。私達は心にも体にも大きな傷を受け、その街で療養の日々を送っていた。だが、あまりにも大きな犠牲は活力を奪い去り、心身の回復は酷く遅れていた。


 


 街の小さな通り、大きな本棚がトラックで運ばれている。その後から大量の本を乗せたもう一台のトラックが追随する。この通りは本来、人の往来が激しいが、本が運ばれている最中だけは、皆建物の壁に張り付き、本が運び終わるのをじっと待つ。


 本棚を運ぶトラックの運転手が通りの真ん中でおろおろと狼狽えている老人に向かって、大声で怒鳴り散らしている。老人はトラックのクラクションと運転手の罵倒を浴びせられ、他の人々と同じように建物の壁際へと追いやられた。


 この街では、人より本が優先される。目の前で転んだ子供は見て見ぬ振りだが、手元から落ちた本は直ぐ様拾い上げる。そんな街だ。


(下らない。本を読んでいれば、過去に戻ることでもできるのか? 人を生き返らせることができるのか? この街の奴等は本の奴隷だ。その紙切れを全部焼き尽くして、解放してやりたいよ)


 リシュリオルは街の小さな診療所の窓から、書店に運び込まれていく本を見ながら思った。そして、先に起きた悲劇とは全く無関係なこの街の住民達に対して、邪険な考えをぶつけている自分に嫌気が差し、息を漏らした。


「リシュ、入っていいか?」


 突然、ノックの音と共にかすれた声が部屋の外から聞こえてきた。


「どうぞ」


 リシュリオルが入室を許可すると、簡素な造りの木製の扉が気の抜けるような音を立てて開かれた。開かれた扉の先には、よれよれの白衣を着た男性が立っており、窓際にいるリシュリオルのことを虚ろな目で見つめていた。


 この男性はリシュリオルがこの本の街で最初に出会った人物だった。




 森の街での異界喰らいとの戦いの後、リシュリオル達が目を覚ますと、カルウィルフが意識を失っている間の事を話してくれた。グレスデインの覚悟と未だ生きている異界喰らいの事を。


 正体の分からない異界喰らいの追跡を逃れる為にも、すぐに他の異界へ行く必要があったが、幸運な事に次の扉への鍵は既にカルウィルフの手の中にあった。それは、カルウィルフがグレスデインから受け渡された刀そのものだった。


 カルウィルフは「伯父さんがまた俺達を守ってくれた」と言っていた。


 リシュリオル達はすぐに森の世界から次の異界への扉へと進んだ。その扉の先にあったのが、この男性が営んでいる診療所だった。


 男性は最初は急に現れたリシュリオル達を愕然と見つめていたが、彼女達の負った傷を見ると、すぐに手当をしてくれた。そして、傷が完治するまでの間、この診療所での寝泊まりを許可してくれたのだ。リシュリオルは彼の行動に心から感謝した。




「ドクター、どうしたんですか?」


 リシュリオルは男性の事をドクターと呼んでいた。ドクターは顎に生えた無精髭を触りながら、呆けた顔でリシュリオルの質問に答える。


「あー、リハビリついでに、夕食の食材を買ってきてほしい。銀色の二人には頼みにくいから、お前に頼む」

「……分かりました。二人は相変わらずの調子ですか?」

「ああ。いろいろあったんだろうが、部屋にこもりっきりじゃあ、治る怪我も治らん」

「また、私からも言っておきます」

「頼む」


 ドクターはリシュリオルに食材の代金を渡した後、あくびをしながら部屋を出ていった。リシュリオルはドクターの丸まった背中が扉の先に消えた後、壁にかけてあった白い外套を羽織り、部屋を出た。


 リシュリオルは診療所を発つ前に、アトリラーシャとカルウィルフの部屋に行ってみることにした。まずは、リシュリオルがいた部屋の隣りにあるアトリラーシャの部屋へ向かう。


 彼女の部屋の前に立ち、扉を数回ノックする。部屋の中からの反応は無い。リシュリオルは軽くため息を吐いた後、部屋の中にいるであろうアトリラーシャに向かって声を掛けた。


「アトリラーシャ。ドクターに頼まれて、これから街に行くんだ。よかったら一緒に行かないか?」


 しばらくの沈黙。リシュリオルがアトリラーシャの返答を待ち切れず、その場から動き出そうとした時、彼女の声が部屋の中から聞こえてきた。


「……ごめん、今はそういう気分じゃないんだ」


 案の定、駄目だった。リシュリオルは「分かった」と少しだけ傾いた扉に言い残して、今度はカルウィルフの部屋の前に立った。あまり期待はしていなかったが、アトリラーシャと同じように街へ出向く事を伝えた。


「悪い、そんな気分じゃないんだ」


 彼の部屋からもリシュリオルの予想していた通りの答えが返ってきた。仕方なくリシュリオルは一人でドクターの頼み事をこなす為に、街へ赴くことにした。




 ドクターに買ってくるよう頼まれた食材は、全て診療所から少し離れた駅前の店で買えるものだった。リシュリオルはまだ痛みの残る脚をゆっくり動かしながら、駅へと向かった。


 急ぎの用でも無いので、じっくりと街の景色を眺めながら、駅までの道のりを進む。道行く人の大半が本を片手に持ち、何かを探すように歩き回っている。相変わらず、この街の人間は本が狂おしいほど好きらしい。


 彼らが普段何をしているのか、ドクターに尋ねたことがあるが、彼らは皆、落ち着いて本を読める場所を探しているのだそうだ。日当たりの良い公園のベンチ、薄暗いカフェの端っこの席。この街の人間は、働きもせず、読書をする為の最適なスペースを探すことに、情熱を注いでいるらしい。


 そんなことで、どうやって経済を保てるのか不思議に思うが、この街は国から手厚い保護を受けている為、貧しさに飢えることは無い。大量の書物という知識を守る為に、国は大量の金をこの街に注ぎ込んでいる。この街に住む人々もただの穀潰しという訳ではなく、街の住民となるための厳しい試験を通り抜けた者達なのだという。これもドクターから聞いた話だ。


 駅前の広場にも、きょろきょろと本を抱えながら、辺りを見回している人々がいた。本当に、暇そうで羨ましい。リシュリオルは心の中でぼやきながら、目的の店へと向かった。


 その店は、広場から駅へ向かう大通りの一角にある。店に置かれているのは食材やそれを調理するための器具。そしてやはり本。本はこの街の大部分を構成しているのだ。店があれば、本はある。リシュリオルは何度かこの店に来たことがあるので、店主とは既に顔見知りだった。軽い挨拶を交わした後、ドクターに頼まれていた食材をかごに入れていく。


 リシュリオルが夕食後にいつもデザートとして食べている果実を物色している時、やけに聞き覚えのある声が近くから聞こえてきた。


「先輩、社長に果物でも買っていきましょうよ。そして、毒でも入れてやりましょう」

「だ、駄目です。イルさん。怒られたからってそんなことしちゃ駄目ですよ」


 リシュリオルが声の方へと振り向くと、いつもの調子で話すイルシュエッタとリーリエルデがいた。イルシュエッタもすぐに彼女の姿に気付き、「あ、弟子がいる」と呟きながら、リシュリオルの顔に向かって、指を差した。 

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