誓いの果て
グレスデインの身体に空いた穴からは大量の血液が滝のように溢れ出ていた。刀を地面に突き刺し、今にも崩折れそうな身体を支えている。
「無理するなよ、苦しいだけだろ?」
異界喰らいは口元を歪めながら、グレスデインに最後の一撃を見舞おうと歩み寄る。
「伯父さん!」
カルウィルフの伯父を呼ぶ声が工場内にこだまする。しかし、彼の前には継ぎ接ぎの男が立ち塞がり、グレスデインの元へ行くことを阻んでいる。
「させるかぁっ!」
怒涛の叫びと共に、大量の黒炎を己の限界まで吐き出すリシュリオル。全盛期に比べれば、大した火力にはならないが、異界喰らいの動きを止めるくらいは出来るはずだ。
しかし、咄嗟の判断だった為か、精度が足りなかった。リシュリオルが放った炎の塊は異界喰らいをかすめ、工場の奥へと消えていった。
「残念だったな」
異界喰らいは地面を這いずるリシュリオルを嘲笑した後、再びグレスデインの元へ歩み寄った。彼にとどめを刺す為、異界喰らいが大きく腕を振りかぶったその瞬間、先程に黒炎が向かった方から、巨大な爆発音が聞こえてきた。
爆発音は一度に留まらず、何度も何度も聞こえてきた。高熱を帯びた爆風と共に化学薬品の臭いが流れてくる。きっと、リシュリオルが放った炎が工場で使われていた薬品に引火したのだろう。
幾度となく起こる爆発はその激しさを増し、大地を揺らした。異界喰らいが狼狽えている隙を狙い、グレスデインは力を振り絞り、刀を強く握りしめた。そして、異界喰らいの腹を切り裂く。素早く再生する自身の傷口に触れながら、表情を憤らせる異界喰らい。
「てめぇ、さっさと――」
異界喰らいの言葉は今までで最も大きな爆発音によりかき消された。そして、爆発と同時に凄まじい速度で吹き飛んできた棒状の金属片が異界喰らいの胴体を貫き、その勢いで異界喰らいの身体は地面に磔になった。
片腕を切り落とされていた為、金属片を身体から取り除くことができず、必死に残った方の腕を動かす異界喰らい。周囲には炎が迫り、異界喰らいの再生の速度を上回る勢いでその身体を焼き尽くそうとしていた。
グレスデインは昆虫標本のようになり、もがき苦しむ異界喰らいを一瞥した後、周囲の様子を確認した。
先の爆発により、工場内は大量の炎で溢れ返り、目に見える物全てが赤く染まっていた。炎がそこら中の可燃性物質に連鎖的に引火しているのか、爆発音が四方八方から聞こえてくる。
脇腹に負った傷口を抑えながら、グレスデインはふらふらと炎の中を歩き出した。
(皆を助けなくては)
激しく燃え盛る炎と立ち込める黒い煙で、最悪の視界だったが、ある程度の位置を覚えていた為、地面に這いつくばっているリシュリオルを見つけることができた。
「リシュ、大丈夫か……」
声を掛けても反応が無い。彼女は意識を失っていた。グレスデインはリシュリオルの身体を肩に担いで、アトリラーシャとカルウィルフがいた扉の方へと向かう。
重くなっていく足を必死に動かしながら、炎の中を歩いた。何度か意識を失いかけたが、何処からか聞こえる自身を呼ぶ声によって、彼はなんとかこの世に留まることができた。
「伯父さん! リシュ! いたら、返事をしてくれ!」
声の主はカルウィルフだった。ぐったりとうなだれる姉の身体を抱えて、必死に叫んでいる。二人共無事なようだった。
「……ここにいる」
グレスデインは叫び続けるカルウィルフに近寄り、微かな声で答えた。
「伯父さん……。それにリシュも……」
カルウィルフの目には涙が滲んでいるように見えた。
「異界喰らいは? あの弾丸の男もどうなった?」
「異界喰らいは炎の中で動けなくなった。じきに焼き尽くされるだろう。もう一人は、何処かに消えた。奴らにはそこまで強い結束はないようだ。……運が良かった」
安堵のため息を吐くカルウィルフを見た後、グレスデインは周囲を見回す。
「あの継ぎ接ぎの男はどうした?」
「炎は苦手だ、とか言って外に逃げていった」
カルウィルフが開け放たれた扉を指差す。
「そうか……。私達もここから出よう」
グレスデインがそう言って、扉に向かい、歩き出した時だった。
「――ウオオオオオオオオォォッ!」
炎の音をかき消す程にけたたましい雄叫びが、グレスデインの背後から聞こえてきた。彼が振り向くと、炎の中に佇む異界喰らいの姿があった。
「運命は! 俺に味方したようだ。あのまま片腕が無い状態で磔にされていたら、焼け死ぬ所だったが、爆風がどこかに吹っ飛んだ俺の手足を運んできてくれた……」
グレスデインが切り落とした異界喰らいの手足は醜く歪んていたが、しっかりと繋がっていた。今もなお、激しく再生を続けながら、元の形に戻ろうとしている。
「そんな……」
カルウィルフは炎を割くように向かってくる異界喰らいを見て、呆然と呟いた。
「刺さった棒きれを抜くのに腹を引き千切ったせいで、かなり消耗してはいるが……。数人の死に損ない程度なら、この身体でも簡単に始末できる」
異界喰らいはニタニタと笑いながら、更に距離を縮めてくる。グレスデインは迫る異界喰らいではなくカルウィルフへと視線を向けた。そして、静かに、深く、何かを決意するように、呼吸を整えた。
「カルウィルフ。……リシュを頼む。お前なら、女の子二人くらい運べる筈だ……」
グレスデインは肩に担いでいたリシュリオルの身体をゆっくりと地面に下ろした。
「何を……、言ってるんだ。……伯父さん」
カルウィルフの問いには答えず、グレスデインは刀を鞘から抜き取り、異界喰らいに立ち向かうように構える。
「伯父さん……、答えてくれ……」
懇願するように答えを求めるカルウィルフ。その声は弱々しく震えていた。グレスデインはカルウィルフに背を向けたまま、彼を突き放すように言った。
「カルウィルフ、お前なら分かるはずだ。賢明なお前になら。……今、私達が奴と戦っても勝ち目は無い。そして、四人で逃げ切る事もできないだろう。……だから、私が奴を食い止める。その間に、お前達は街まで逃げるんだ」
淡々と話すグレスデインの冷静さに対して、カルウィルフの心は熱く激しい感情に覆い尽くされていた。呼吸は荒々しく加速し、自身の震える身体を片腕で強く抱きしめる。
「俺はまだ伯父さんと一緒に旅を続けたい! 姉さんとリシュと一緒に、皆で……!」
「駄目だ。お前達を守る事が、お前達の存在が、私の弟に立てた誓いの証なんだ」
「なら! 最後まで守ってくれよ!」
「カル……」
しばしの沈黙の後、グレスデインはカルウィルフの方へと振り向き、腰に帯びていた刀を投げ渡した。カルウィルフが受け取ったその刀の鞘には三日月を象った装飾が施されていた。
「これは……」
「……カル、その刀はお前の父さんが打った物だ。私が異界へ旅立つ時、記念の印だと言って手渡された。何度もその刀を振るってきたが、今でもその切れ味は変わらない。……それをお前に託そう。先程のお前の願いへの答えにはならないだろうが……」
工場の建屋が激しい音を立てながら、焼け落ちていく。そして、異界喰らいの姿も目前に迫っていた。
「相談は終わりか? さあ、やろうぜ!」
異界喰らいの長く伸びた爪が襲いかかる。グレスデインが咄嗟に放った薙ぎ払う斬撃がそれを弾き飛ばす。
「行け! カルウィルフ! 行くんだ!」
グレスデインの叫びがカルウィルフの決意を固めたのか、彼はアトリラーシャとリシュリオルを抱えて、扉へと駆けていった。
「そうだ……、それでいいんだ……」
グレスデインは扉の向こうへと消えていくカルウィルフ達の姿を傍目で見送った。異界喰らいもそれに気付き、扉の方へと視線を向ける。
「逃がすかよ!」
異界喰らいはカルウィルフを追うために体勢を変えようとした。だが、グレスデインが異界喰らいの前に立ちはだかり、彼の刀が異界喰らいの追撃を許さなかった。鋭く疾い突きが異界喰らいの胸を貫く。
「異界喰らい! 貴様にあの子達を追わせはしない!」
「どけっ! 死に損ない!」
異界喰らいの爪がグレスデインの肩を切り裂いた。それでも、彼は刀を握りしめ離さなかった。異界喰らいは何度もグレスデインの身体を切り裂いた。何度も、何度も。しかし、彼は異界喰らいを留めているその刀を離すことはしなかった。
グレスデインの全身が血に塗れた頃、遂に彼は倒れた。刀を握っていた右手の先は光の粒子に変わり始めていた。
「ようやく、くたばったな。しかし、時間が掛かり過ぎた。残りの奴らにはもう逃げ切られたか」
そう吐き捨て、異界喰らいは扉に向かってゆっくりと歩き始めた。消えゆく意識の中で、グレスデインはその後姿を見つめていた。
死ぬことに恐怖は無い。覚悟はできていた。皆を守ることもできた。だが……。
「リシュ……、君との約束は果たせそうにない……。アトリラーシャと……カルウィルフと一緒に……皆で釣りか。きっと、楽しいだろうな……」
グレスデインは両目を閉じた。
湖の畔で、四人で肩を並べ、他愛の無い会話をしながら、釣りに勤しむ光景を思い浮かべて微笑した。
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