美食の森

 リシュリオルは一人、森の中を彷徨っていた。周囲を緑に囲まれた状況は心が安らいだ。ハルフロニアはこういうのを森林浴と言っていた。森には人の心や身体を癒す効果があるらしい。たまにはこうやって孤独に自然と触れ合うのも良い、清らかな空気を肺に取り込みながら思う。


 草木に侵食された舗装路を歩く。森の中には所々に廃屋などの人工物の残骸が見受けられた。かつては、この周辺にも多くの人が住んでいたのだろうか。


 リシュリオルがハルフロニアの話から特に興味を持った植物は、こういったコンクリートなどの人工物が散乱している場所に生息している。


 その植物は、黒みがかった赤色の花を咲かせ、肉のような味と食感を持つ果実が生る。成熟した果実は本物のそれを超える味を持っているそうだ。つまるところ、リシュリオルはその肉のような果実を食すために森の中に入ったのだ。

 

 探究心よりも、どちらかというと食欲の方が行動を起こしたきっかけとしては高い割合を占めていた。今思えば、リシュリオルがハルフロニアの話に興味を持ったのは、こういう食に直結する話題が多かったからだろう。


 だが、きっかけなどはどうでも良いのだ。興味を持ち、そこから継続することが大切なのだと、何処かの誰かが書いた胡散臭い本に書いてあった覚えがある。


 ツタに覆われた廃墟の近くを歩いていると、肉の果実をつける花の特徴である網目状の葉脈が走るハート型の葉を見つけた。だが、この特徴的なハートの形を見つけたからと言って、安易に果実に触れてはならない。この花には猛毒を持つ近縁種が存在するからだ。


 猛毒の近縁種との違いは『毛』だ。毒を持つ近縁種には、葉の裏側や茎などに毛が生えている。こういった植物に生える毛は害虫などの外敵、気温や湿度などの環境的な影響から身を守るために存在している。しかし、この近縁種の花は他の植物とは違う目的の為に、葉や茎に毛を身に付けていた。


 何も知らずにこの花に触れれば、花のあちこちに生え揃っている毛が反射的に動き出し、鋭い爪のようにその指をえぐり取るだろう。そして、それだけではない。切り裂かれた傷口には、毛から分泌される猛毒が体内に侵入し、花に触れた対象を素早く死に至らしめる。


 この花の最もおぞましい点は対象の死後にある。花の側に倒れた死体には次第にハエなどの羽虫が大量に湧き始める。花の目的はこのハエだ。死体の側を飛び交う大量のハエは自ずと、傍らのこの花の茎や葉に触れる。そして、覆われた毛によってハエ達を刈り取り、自身の養分として吸収する。


 要はこの花は食中植物なのだ。虫を集める餌は濃い匂いや派手な色ではなく、自身が毒殺した生物の死骸だが。


 リシュリオルは見つけた花の茎や葉を確認する。何処にも毛は生えていない。この花に毒は無い。

 次に果実が生っている個体が無いかを探す。


(見つけた!)


 握り拳ほどの大きさの艶のある赤い実。一見すればこの果実が肉の食感と味を持っているとは誰も思わないだろう。リシュリオルはその赤い果実を一つもぎ取る。


 この実を食べる上で、気を付けなくてはならない点が一つある。それは、果実の中心部に密集している種を食べてはいけないという事だ。この種は捕食者に寄生するという恐るべき能力がある。大体の場合、これを飲み込んでもその殆どは、胃液に消化されてしまう。


 しかし、稀に胃による消化を免れ、種が腸に向かう場合がある。そうなれば、種が発芽し、腸に根を張り始める。次第にその根は他の臓器へ、その機能を停止させながら広がっていき、やがて捕食者の生命を奪う。


 最期には、死体を突き破ってあの血の色に似た赤い花を咲かせるのだ。


 ふと、リシュリオルは手の上の赤い実を凝視した。この果実をつけていた花は何の死体から生えてきたのだろうか。そんなことを考えていると、気分が悪くなってきたので、これ以上の想像はやめることにした。


 肉の果実を持って、そこらの倒木をベンチ代わりにして座る。そして、鞄から小型のバーナーとガス缶、ナイフやフライパンなどの調理器具を取り出し、倒木の平らな部分に並べた。


 最初に、ガス缶と連結させたバーナーを着火させ、ゴトクの上に薄く油を引いたフライパンを乗せた。


 フライパンを温めているうちに、果実の下ごしらえをする。ナイフを使って果実を半分に切り分けた後、中心部分の種の塊を取り除く。そして、ハムのように薄くスライスし、フライパンの上に乗せていく。香り付けとして、事前に採取しておいた香草を押し込み、蓋をする。


 数分間、放置する。好みの焼き具合になるまで待機。肉の果実が焼き上がる間、森を飛び交う鳥の姿を目で追っていた。木々の間から溢れる日の光の眩しさで、鳥の姿を見失うと、今度は別の鳥を目で追いかける。それを何度も繰り返して、時間を潰した。


 フライパンに押し込んだ香草の香りがほのかに漂い始める。


(そろそろだな)


 蓋を開けると、密封されていた蒸気が顔に吹きかかる。多少の熱さは我慢して、素早く香草の下にある肉の様子を確認する。


 仕上がりは上々。軽く焦げ目が付いた一番好みの焼き具合。


 直ぐにバーナーの火を止め、ナイフの先端で肉の果実をフライパンから拾い上げる。そして、ナイフの先で湯気立つそいつを口の中に放り込んだ。


(美味い!)


 ……だが、本物の肉とは歯ごたえが違うような気がする。その点についてだけは少々がっかりしたが、空腹の胃袋に注ぎ込まれる肉の果実は、自然の中での食事ということも相まってか、本物の肉を超えるような味に感じられた。




 食後、倒木の上に広げた調理器具を片付けもせずに、柔らかい草の上に寝転がった。木々の合間から降り注ぐ光を浴びた。視界を数羽の鳥が行き交うのが見え、先程の鳥を目で追う暇つぶしを再び始めた。


 木漏れ日で温まった身体に睡魔が押し寄せ、鳥を追う眼力が失われ始めた頃、がさがさと葉が擦れ合う音が頭上から聞こえ、眠気を消し飛ばした。草の上に倒れていた身体を勢いよく起こして、周囲を警戒する。


 最初にリシュリオルの目に留まったのは、地面に落ちた緑色の帽子だった。帽子を拾い上げようとした時、リシュリオルの手のひらに生暖かい液体が滴った。直ぐ様、液体の正体を確認する為に帽子を裏返す。


 血だ。緑の帽子には赤黒い血がべっとりと付着していた。この血が帽子を被っていた人間の物なのかは分からないが、只事ではないことには間違いない。


 リシュリオルは散らばっていた調理器具を鞄に無理やり押し込み、すぐにその場から離れた。そして、血の付いた帽子を持って、グレスデイン達のいる街へ急ぎ戻る。


 森の中を走っている時、この緑の帽子の持ち主が思い浮かんだ。同時にとてつもなく嫌な予感がこみ上げてくる。


「ハルフロニアさんっ……」


 リシュリオルは彼女の名前を口走った後、街へ戻る足を早めた。

 

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