第十章:獣達が嗤う森

森の中の街

 これは私の心、私の記憶。今、私達は大自然の只中にいる。緑溢れる森の中にいる。その街は大量の木々と草花に侵食されていた。

 これは私の心、私の記憶。その街で出会ったのは植物学者の女性。私は彼女から植物について、多くの事を聞き学んだ。しかし、彼女は忽然と姿を消すことになる。




 異界喰らいを追い、旅を続けていたリシュリオル達は大量の植物に覆われた街に訪れていた。


 そこは、常に植物の侵攻と隣合わせにあるような街で、学校だろうが図書館だろうが、あらゆる建物の外壁に大量の植物が生い茂っていた。


 リシュリオル達が宿泊していたホテルもその例に漏れず、部屋の窓を開けると、瑞々しい木々の葉にすぐに触れることができた。窓から見える景色も地平線まで生い茂る森ばかりだった。


「アトリラーシャ、まだ掛かるのか?」


 リシュリオルは窓際から必死に荷物の整理をするアトリラーシャに尋ねる。


「ごめん……、まだ掛かる。先にエントランスに行っててよ」

「分かった」


 アトリラーシャは恐ろしく適当な荷造りをする為、新しい宿に泊まる度、この荷物整理を行っている。今回もぐちゃぐちゃに荷物を押し込んだ鞄を開いて、あれが無いこれが無いと騒いでいた。


 リシュリオルはベッドの上に荷物を広げるアトリラーシャを横目に部屋を出た。


 下りのエレベーターを待っている間、廊下の壁に付いていた小さな窓から、この世界の景色をぼーっと眺める。


(森ばかりだ……)

 

 当たり前のことを心の中で呟く。


「森しか無いでしょ?」


 突然、背後から声を掛けられた。驚いて振り返ると、緑色の帽子を被った淑やかな佇まいの女性が微笑んでいる。


「急に話しかけてしまって、ごめんなさい。……驚いた?」

「す、少しだけ。……あなたは?」

「私はハルフロニア。ハルって呼んで」

「私はリシュリオルと言います。……ええと、リシュでいいです」


 リシュリオルが名乗ると、ハルフロニアはより一層強い微笑みを浮かべ、リシュリオルに質問を投げかけた。


「それじゃあ、リシュ。この街の景色を見て、あなたはどう思う?」

「……森がとても多いです」


 一瞬、何と言うべきか迷ったが、率直な感想を言った。ひねくれたことを言う必要も無い。少しだけ、笑われるかもしれないが……。


 リシュリオルの予想通り、ハルフロニアは『凄く当たり前のことを言うのね』と言って、くすくすと笑った。しかし、直ぐに彼女の態度は豹変する。突き刺すような真剣な眼差しをリシュリオルに向けて、話し始めた。


「一見すると、この世界には森しか無いかもしれないけど、森の中に入って、木々の葉や枝の先まで観察すれば、他の場所には無い物が見えてくるわ。見たことも無いような樹皮の模様や葉の形。普通は極地にしか生息できない植物もこの森でなら生きられる。この森は本当に特別なの」


 ハルフロニアはこの街の周辺の森について熱く語った。植物のことなど、リシュリオルにとってはあまり興味の無い分野の筈だったが、ハルフロニアの熱弁のせいか、エレベーターのベルに気付かない程、彼女の話に聞き入っていた。

 そんな二人の元に荷物の整理を終えたアトリラーシャが近付いてくる。


「リシュ、まだエントランスに行ってなかったの? ……それに、そっちの人は?」

「彼女はハルフロニアさん。少し話を聞いていたんだ。ハルフロニアさん、彼女はアトリラーシャです。私と一緒に旅をしています」


 リシュリオルの紹介の後、アトリラーシャはハルフロニアに向かって、笑顔で会釈した。ハルフロニアも彼女に習い、軽く頭を下げる。


「それで、どんな話をしていたの?」


 アトリラーシャが聞いてくる。リシュリオルはコホンと軽く咳払いをした後、先程まで話題にしていた植物について語り始める。


「えーと、この世界の森における鈴蘭の毒性の変化について話していた。地域によって毒の強さが違うらしい。花粉に触れるだけで痺れるような強い毒が持っているものもあれば、逆に全く毒を持たない鈴蘭もあるらしいんだ。標高とか土壌環境が毒性の違いを生んでるそうだ」


 アトリラーシャは一欠片も崩れない真顔で、鈴蘭の話をするリシュリオルの顔を見ていた。あまりにも興味の無い話題だったので一瞬、思考が停止した。


「……へ、へぇ。鈴蘭ねぇ。……た、楽しそぉ」

「アトリも聞くといい。勉強になるぞ」

「う、うん。またいつか……」

 

 エレベーターに乗ってからもハルフロニアとリシュリオルの植物トークは続く。エレベーターがエントランスに着くまで、アトリラーシャは死んだ魚の様に口を開き、天井の模様を目で追っていた。


 エントランスに着いた瞬間、アトリラーシャはエレベーターをいち早く抜け出して、グレスデインとカルウィルフの姿を探した。二人はロビーで今後の予定について話し合っているようだった。


 アトリラーシャはエレベーターの中にいるリシュリオルに向かって、『先に行ってるよ』と言い置いてから、ロビーの方へ駆け出した。


 リシュリオルはハルフロニアと共にエレベーターから出ると、植物の話をしてくれたことについて、彼女に礼を言った。


「ありがとうございました。ハルさん。とても勉強になりました」

「いえいえ、こちらこそ私の話に付き合ってくれてありがとう」

「……失礼ですが、あなたは何者なんですか? これだけ植物の知識を持っている人に、今まで会ったことが無い」

「私はいろんな世界を渡りながら、植物を研究しているの。異界渡りって奴ね」


 ハルフロニアの言葉にリシュリオルを目を見開いた。


「そうだったんですか? 実は私も異界渡りなんです。今は異界に関わる犯罪の取締をしています。さっきのアトリラーシャも仕事の同僚みたいなものです」

「なんだか立派な仕事をしているのね。植物を探して、ふらふらしてる私とは大違い」


 そう話すハルフロニアはしゅんと俯いて、リシュリオルから視線をそらした。


「そんなこと……。ハルさんの話はとてもためになりました。またどこかであなたに出会えた時はもっとお話を聞かせて下さい」


 リシュリオルの賛辞を聞いて、ハルフロニアは嬉しそうに顔を上げた。


「ありがとう、リシュ。私の知識が役に立つなら光栄よ」


 リシュリオルはハルフロニアと握手を交わした。彼女はこれから森の中へ調査に向かうと言って、ホテルのエントランスを後にした。ハルフロニアと別れたリシュリオルは慌てて仲間の元へと急いだ。


 ロビーに置かれた柔らかそうなソファにグレスデイン達は皆、ぐったりと座り込んでいた。リシュリオルが彼らの元に着く頃には、話の方はついているようだった。


「来たか」グレスデインがリシュリオルの気配に気付き、顔を上げる。


「すみません、遅れました」

「今後の予定については既にこちらで決めてある。……いつもと変わらないがな。この街で何か事件が起きていないか確認し、異界喰らいの情報を集める」

「分かりました。……その後なんですが、何も無ければ、少しだけ自由に行動させてもらってもいいですか?」


 リシュリオルの質問にグレスデインは、一瞬だけ動きを止めた。


「……構わないが、何かあるのか?」

「ええ、森の中に入ってみようと思って。さっき出会った人に色々と植物について教えてもらったので、その知識を実践しようかと……」

「分かった。この街の森は広く濃密だ。何が起こるか分からないから注意しろ」

「はい、気を付けます」


 その後、一行は街の警察署に向かい、事件について調べたが、特にめぼしい情報は見つからなかった。その後、リシュリオルはグレスデインに伝えた通り、森の中に入り、ハルフロニアから聞いた知識を検証しに向かった。


 アトリラーシャも誘ったが、彼女は来なかった。『遠慮しておきます』と言って、引きつった笑みを浮かべていた。

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