祝福

 ペンションへの帰路、店終いの準備を始める露店の店主達の姿を横目で眺めていると、大通りから外れる細い路地を見つけた。地図を確認すると、その道は大通りと並行に並ぶ細道に繋がっているようだった。


 リシュリオルの胸の内から急に冒険心が湧き始める。同じ道を二度歩くのも面白くないと思い、リシュリオルはその路地を通って帰ってみることにした。


 結果的に言えば、この帰路の選択こそが正解であった。鍵の気配があったのだ。


 その細い路地の一角には、小さな染物屋があり、話好きな女性の店主がいた。

 リシュリオルがその店に入ろうとした時、彼女はカウンターテーブルにもたれながら、間の抜けた顔でショーウィンドウ越しの景色を眺めていた。


「こんにちは」


 リシュリオルの声を聞いた店主はハッと驚いた様子で顔を店の扉へと向けた。そして、慌ててカウンターテーブルにもたれていた身体を起こして、立ち上がった。


「……いらっしゃい。いやぁ、見苦しいところをお見せしちゃったね。この時間はお客さんが少ないから、ぼっーとしてたよ」


 店主は気の抜ける笑顔で言った。リシュリオルも砂の街のホテルで働いていた時に似たような経験をした事を思い出し、小さく笑った。


 鍵の気配を辿りながら、店の中を見て回る。店主の方をちらりと見てみると、退屈そうに大きなあくびをしている。彼女からは鍵の気配は感じない。やはり、この店の商品である染物が異界の鍵なのだろう。


 小さな店だったが、売られている染物の数は非常に多く、異界の鍵を探すのには多少難儀した。

 そこら中の布を手に取り、首を傾げるリシュリオルの姿を店主は不思議そうに見つめていた。


 しばらくして、リシュリオルは確実に異界の鍵と判断できる布を見つけ出した。それは淡い紫色に染められた生地だった。非常にきめ細かく縫われていたが、薄っすらと透けており、布を通る光が布と同じ薄紫色に変わった。……単刀直入に言えば、美しい染物だった。


 リシュリオルは薄紫の布を手に持ち、店主の元へ向かった。


「すみません、これをお願いします」


 店主がもたれていたテーブルに布を置く。店主はリシュリオルの持ってきた布を見て、嬉しそうに話し始めた。


「お嬢さん、お目が高いね。その商品はねぇ、特殊な染料が使われていて、布に触れている金属の酸化を防ぐ効果があるんだ。ここらへんは金属加工が盛んだからねぇ、結構重宝されてる染物なんだよ」


 余程、布や染料について語りたかったのか、店主は畳み掛けるように話し続けた。リシュリオルも布を扱う者の端くれ、多少は話についていけたが、店主がこの世界の布の壮大な歴史について語り始めた頃には、わけも分からず相槌を打つだけになっていた。


 店主の話はその後も勢いを増し続け、留まることを知らなかった。彼女の長話の途中、ふとショーウィンドウの方を見てみると、辺りは暗くなり、路地を照らす街灯の光がぽつんと儚く灯っていた。


「……おっと、ごめんねぇ。専門分野の事だから、つい熱くなっちゃったよ。お話に付き合ってくれた代わりにお代は安くしてあげる」


 店主の機関銃のような長話は耐え難いものだったが、結果的に胃袋の隙間を埋める為に浪費した財布の中身をこれ以上減らさずに済んだ。


 リシュリオルは異界の鍵となる布をかなりの安価で購入した。店主に礼を言い、店を出ると、薄暗い路地を急いで通り抜けて、ペンションへと戻った。




 ペンションの入口の扉の前には、カルウィルフとグレスデインが突っ立っており、何やら二人で話し込んでいた。


 急いで二人の元に駆けつけるリシュリオル。そして、予定よりも遅くなってしまった事を詫びた。


「すみません。異界の鍵の事で遅れてしまいました。……これが見つけた鍵です。ある染物屋で買ったのですが、店の人が金属の酸化を防ぐとか言ってました」


 リシュリオルは染物屋で購入した薄紫の布をカルウィルフとグレスデインの前に掲げた。二人は穴が空く程にその布を凝視し『うーん』と唸り声を上げた後、先程のように話し込む。


「またか」

「まただね」

「まだあるのだろうか?」

「姉さんも見つけているかな?」


 二人の会話の意図が読めず、首を傾げるリシュリオル。


「どうかしたんですか?」


 リシュリオルの質問により、二人の会話は途切れた。そして、三人は顔を見合わせ、沈黙する。最初に口を開いたのはグレスデインだった。


「……実は、私とカルも鍵を見つけた。私が見つけたのは、これだ」


 グレスデインは革製のロールケースをリシュリオルの目の前に掲げた。なめらかな光沢を持つそのケースは、厚手で丈夫そうな革が使われていた。繊細で均一的な縫い目からは優れた裁縫技術が見て取れる。


「俺はこのナイフだ。しかも、叔父さんの持ってきたケースとサイズがぴったり」


 カルウィルフは懐から十本の小さなナイフを取り出した。そのナイフは刃から柄まで一つの金属から削り出されており、夜空から降り注ぐ月光を吸い込み、純白の輝きを放っていた。


 三人は各々が見つけてきた鍵を見比べながら、再び沈黙した。しばらくそうしているうちに、別の鍵の気配が三人の元に近付いてきた。それは、アトリラーシャだった。


「ただいま! 最後まで粘ったけど、何にも見つからなかったよぉ」


 笑顔を浮かべたアトリラーシャが手を振りながら駆け寄ってくる。三人は彼女の顔を睨みつけるように見つめた。


「え、な、何? 何か悪いことした?」


 アトリラーシャは三人から刺すような視線を送られ、困惑していた。今の状況がさっぱり理解できていない様子だった。


「それにしても皆、何を持ってるの?」


 アトリラーシャは三人の手から三つの異界の鍵をさっと奪い取り、それぞれの品物をまじまじと観察する。


「このナイフ、凄いね! こんなに綺麗に一本のナイフを削り出すなんて……。この純白の光沢もどうやって出してるんだろ? それに、リシュの持ってたこの布、結構な高級品じゃん! 金物屋がみんな欲しがる奴だよ! ……このレザーケースも偉い職人さんが造った五十年は使えるとか言う奴でしょ? 名前が刺繍されてるよ! ……みんな、どこからこんなもの掘り出してきたの?」


 アトリラーシャが三人の持ってきた品物に感激していると、突然その場にいた全員の身体に、とある感覚が一陣の風のように流れ込んだ。


 異界の扉が開いた。


 皆が唖然としている中、グレスデインが唐突に高笑いし始めた。リシュリオルは普段寡黙な彼がいきなり大きな声を上げて笑い出したので、僅かに恐怖した。

 銀色の姉弟も変わった物でも見るような目で、グレスデインのことを見ていた。


「ど、どうしたの? 叔父さん」アトリラーシャは恐る恐る尋ねた。


「異界の扉もたまには気の利いたことをすると思ってな。……それはお前への誕生日プレゼントだよ」

 グレスデインの言葉にカルウィルフが続けて話す。

「姉さんへのプレゼントが今回の扉を開く鍵だったのか」

 リシュリオルは先程の嬉しそうなアトリラーシャの姿を思い返して、安堵した。

「喜んでくれたようで良かった。何をあげればいいか困っていたから……」


「な、なに? 誕生日プレゼント? これ、私が貰っていいの?」アトリラーシャは状況が未だ飲み込めていないようで、あたふたとしていた。


 グレスデインは慌てふためく彼女の肩に手を置いて、優しく声を掛けた。

「ああ、お前へのプレゼントだ。誕生日おめでとう、アトリラーシャ。……一日遅れてしまったがな」

「おめでとう、姉さん」

「アトリラーシャ、おめでとう」

 

 三人から祝福を受けたアトリラーシャの頬には一筋の涙が伝っていた。それに気付いた彼女は直ぐに服の袖を顔に擦り付けて、涙を拭き取った。


「ありがとう、みんな! 大切にするね!」


 この時のアトリラーシャの太陽のようなの笑みをリシュリオルは忘れられなかった。




 ――昨日、グレスデインがリシュリオル達に会う直前のこと。彼は弟夫婦の墓前にいた。


「久しぶりだな……。二人は相変わらず元気だ。それに、新しい友人もできた」


「やはり、二人はあの事件のことを酷く憎んでいる。復讐など本当は止めたいが、できるだけ二人の意思は尊重するつもりだ」


「だが、安心してくれ。二人のことは必ず私が守ってみせる」


「必ず……」

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