夜明け

 長い事情聴取が終わり、グレスデインとリシュリオルはアトリラーシャやカルウィルフと合流することにした。アトリラーシャのいるビルの位置がリシュリオル達とカルウィルフのいる地下水路の丁度中心にあることから、彼女の元に集まることになった。


「お疲れ様! みんな無事で何よりだね」アトリラーシャの元気な声が深夜のビル街に響き渡る。

「姉さん、俺の鼻は無事じゃないぞ。本当に最低な臭いだった!」カルウィルフが姉に向かって怒鳴る。地下水路は相当な環境だったらしい。ほんのりと彼からも『臭い』が香ってくる。

「はは、ごめん、ごめん……」アトリラーシャは鼻をつまみながら、突っかかってくる弟に面倒くさそうに謝った。


 愚痴るカルウィルフを適当にあしらい、アトリラーシャはリシュリオルに近寄る。リシュリオルは先程の出来事、グレスデインから聞いた姉弟の過去を思い出し、彼女から一瞬目を背けた。


「リシュはどうだった? 初めての仕事は」

「……」


 リシュリオルはアトリラーシャの顔を見て、沈黙してしまう。彼女の暗い過去を知ったことで、どんな風に話せばいいか分からなくなってしまった。彼女の満面の笑みからは痛々しさを感じた。


「どうしたの、リシュ? 何かあった?」


 リシュリオルが黙り込んでいると、彼女は心配そうにリシュリオルに目線を合わせて、再び質問をしてくる。


「アトリ、リシュも疲れているんだろう。少し休ませてやれ」グレスデインが気を利かせて、アトリラーシャの質問を遮ってくれた。

「え? うん、分かった……」何処か腑に落ちない様子だったが、アトリラーシャはこれ以上の質問はしなかった。


 アトリラーシャを落ち着かせた後、グレスデインが不意に周囲を見回し始める。そして、重々しい表情で囁くように皆に告げた。知ってはいけない秘密を明かすように。


「アトリ、カル。話さなくてはならないことがある。あのビルで起こったことを。リシュリオルには既に全てを話してある。彼女も協力すると言ってくれた……」

「何のこと?」

「伯父さん、もしかして……」


 アトリラーシャはグレスデインの意図をつかめていない様子だったが、カルウィルフは目を見開き、グレスデインの顔を見つめた。彼はグレスデインの態度から、ビルで何があったのか察しているようだった。


「異界喰らいだ。奴がいた」


 グレスデインの口からその名が出た途端、アトリラーシャとカルウィルフの顔から血の気が引いた。アトリラーシャは先程までの明るい表情を消し去り、自身の身体を抱きかかえ、身震いしていた。

 グレスデインは淡々とあの部屋で起きたことを語った。何度聞いても、おぞましかい話だった。血生臭い話を聞き終えたカルウィルフは、切迫した形相で伯父に詰め寄っていく。


「奴は今どこに! 探さないと! 今すぐに始末するべきだ!」


 カルウィルフは怒り、叫んだ。だが、過去の恐怖の記憶に未だ縛られているのか、その声は僅かに震えていた。


「落ち着け、カル。異界喰らいは既にこの世界にはいないだろう。奴は今までそうやって痕跡を残さずに、犯行を続けてきた筈だ。そして、奴は今、一人では無い。共犯者がいる。敵の情報が曖昧なままでは、私は戦いに挑むことはしない」


 グレスデインは恐怖と怒りで乱れるカルウィルフを説得しようとした。


「ずっと奴を追ってきたんだ! ここで引き下がるわけには行かないだろ! 今すぐに探せば、見つかるかもしれない!」


 カルウィルフは必死に食い下がったが、不意に放たれたアトリラーシャの声によって、彼の行動は制止された。


「……カル。伯父さんだって私達と同じくらいに異界喰らいを倒したいと思ってるよ。伯父さんが奴を追わないのは、私達の誰にも欠けて欲しくないから。敵は今までずっと犯行を繰り返して、逃げ回ってきたんでしょ? 思いつきの作戦なんかじゃ、きっと勝つことなんてできないよ」


 アトリラーシャは優しくなだめるように話した。姉の言葉を聞いたカルウィルフは地面に向かって悪態を吐き捨てた後、しばらく何も言わずに皆に背を向けていた。リシュリオルはカルウィルフの激情を目の当たりにして、大切な人を失ってしまった時、己の無力さを酷く後悔したことを思い出した。


 しばらくの間、四人は気まずい空気の中、立ち尽くしていた。ビルの隙間を吹き抜ける冷たい夜風に当たっていると、不意に血に塗れたあの部屋でのグレスデインとの会話の内容がリシュリオルの頭をよぎった。それは、ベッツバルタからの頼みのことだった。リシュリオルはこの空気を変えるために、思い切ってグレスデインに聞いてみることにした。


「グレスデインさん、さっき、あの部屋で最後に話していたこと、教えてくれませんか?」

「ベッツバルタのことか。……彼の死の間際にこれを託されたんだ。然るべき人に渡してくれと。企業に反する意志を持つ者にと。中身は企業に関わる機密情報らしい。……お前達、心当たりはないだろうか?」


 グレスデインは手のひらに小さな端末を取り出し、皆に見せた。すると、何かを考え込んでいたアトリラーシャが閃いたように『あっ!』と声を上げた。

 

「伯父さん、それ貸して!」


 アトリラーシャはグレスデインの手のひらに置かれた端末を彼の許可もなく素早く持ち去り、先程、彼女が屋上にいたビルへと向かった。


「おい、待て! アトリラーシャ!」


 グレスデインの制止の声に振り向きもせずに、アトリラーシャはビルの中に消えてしまった。


「くそっ」


 グレスデインは悪態をつきながら、アトリラーシャを追って、ビルの中へと入っていった。リシュリオルとカルウィルフもわけも分からないまま、彼に付いていく。


 ビルの階段を数回駆け上がると、このビルの主であるボードゲーマーの老人と話しているアトリラーシャを見つけた。あの端末は既に老人の手に渡っているようだった。


「それ、企業の機密情報です。私達が追っていた男の人が持っていたそうです」

「……その人は?」

「死んでしまいました……」

「そうか……。意志は継がなくてはならない。その人の命を無駄にしない為にも」

「……お願いします」


 アトリラーシャがリシュリオル達に気付き、手を振った。その直後、彼女の隣に立っていた老人も会釈をしてきた。リシュリオル達はお辞儀をしながら、アトリラーシャと老人の元に駆けつける。


「この方は?」グレスデインが目を細め、尋ねる。

「この人は、悪い企業と戦ってる正義の味方だよ。この周辺は、企業の酷い実験で廃ビルだらけになっちゃったんだって。この人は実験が行われる前から、このあたりに住んでたんだよ」アトリラーシャが大袈裟な身振りを交えて、老人の事を紹介した。


 リシュリオルはこの時、やっと老人の正体に気付いた。彼はこの街の企業に立ち向かう組織を束ねる者だった。彼の周りにいた武装した男達は企業と戦う兵士だったのだ。


「屋上を借りるためにゲームをしたのはこの人! その時にこの街の事を色々と聞いたんだ。街を支配している企業のことも。……ベッツバルタさんのことは、私も気付けなかったけど」アトリラーシャは申し訳無さそうに俯いた。


「それは君のせいではない。全ては企業の悪逆によって起こされたことだ。人を人とも思わない奴らの利己的なやり方は許されない!」


 老人は声を荒らげ、怒りの表情を皆に見せた。それは見せかけの怒りではなく、人道を貫く者の高潔なる怒りだった。老人の瞳に宿る闘志は、彼の企業への激しい嫌悪の念を表していた。


「……大きな声を出してしまった。すまない。……この端末のこと、どうか私に任せてもらいたい。この街の在り方を変えたいのだ。いや、変えてみせる」


 老人は端末を握りしめ、拳を震わせた。不意にグレスデインが老人の元へ足を進める。


「私はあなたに今、初めて会いましたが、……あなたになら、この街を変えられるような、そんな気がします。端末はあなたに託します。……ベッツバルタ。どうか、彼のような者がこれ以上現れぬように……」

「ありがとう。この街に君達が再び訪れた時、理不尽な運命に貶められる者をこの街から消し去ることを誓おう」


 グレスデインと老人が固い握手を交わした後、四人はビルを離れた。そして、薄明に包まれた街中を歩きながら、彼らの宿泊しているホテルへと戻った。




 ホテルに向かう道中、隣を歩いていたアトリラーシャが急に立ち止まり、リシュリオルの背後に回った。振り返ると、もの言いたげな顔をするアトリラーシャの潤んだ銀色の瞳がリシュリオルの顔を見つめていた。何かあったのか、と尋ねる前にアトリラーシャは口を開いた。


「……私、怖かったんだ。伯父さんの口から、異界喰らいの話が出てきた時、昔のことを思い出しちゃった。ものすごく憎い筈なのに、それなのに身体の震えが止まらなかった。カルウィルフを止めたのは、私のこともあったんだ。私自身の心の弱さが戦うことを拒んだ」


 アトリラーシャの常に見せていた活力に満ちた姿はそこには無かった。身体を縮め、萎れていた。彼女が弱音を吐く所を初めて目の当たりにした驚きで、リシュリオルは何も言えず、顔を曇らせる彼女を見ていた。しかし、彼女は何も言わずに立ち尽くすリシュリオルに構わず、話を続けた。


「あのお爺さんは、この街を変えるって言ってた。私もこんな弱い自分を変えられるかな? 強くなれるかな?」


 アトリラーシャの問を聞いて、リシュリオルは過去の自分のことを思い出した。自分も彼女と同じように恐怖の記憶に縛られ、身動きができなくなる可能性があった。だが、とある精霊が自分の心を、強引ではあったが、強く成長させてくれた。きっと、今のアトリラーシャにも誰かの手が必要なのだ。そうしなければ、彼女の精神は悪い方向に進んでしまうだろう。


「……きっと変われるさ。私も手伝うから、一緒に強くなろう」

 リシュリオルは照れくさそうに、アトリラーシャから少しだけ視線をそらしながら答えた。リシュリオルの答えを聞いたアトリラーシャは目を見開いた後、すぐにいつもの笑顔を取り戻した。


「ありがとう、リシュ!」


 アトリラーシャは感謝の言葉を告げると、リシュリオルの手を引っ張って、前を歩くグレスデインとカルウィルフの元へと走り出した。四人の背中が並んだ瞬間、ビルの隙間から眩しい光が差し込み、皆の足が止まった。


「朝日だ。夜が明けた」誰かがそっと呟いた。


 リシュリオルは群青の空を橙色に変えていく太陽の光に祈った。

『どうか、彼女の心を染めている夜を照らす日の出が訪れますように』。


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