異界喰らい

 リシュリオルは一人での作戦行動をアトリラーシャから心配され、数人の自警団員を引き連れながら、先行するグレスデインの後を追っていた。ビルの内部に入ってから一時間程経過していた為、彼女はグレスデインに予定していた定期連絡を送ることにした。


 無線機の送受信はすぐに終わり、グレスデインの無線機へと繋がった。


「グレスデインさん、何処にいますか?」

『十二階、北側の部屋だ。すぐに分かる』

「犯人はどうなりましたか?」

『死んだよ。私がとどめを刺した』

「……そうですか。すぐにそっちに行きます」

『リシュ、私達の旅の目的について追い追い話をすると伝えていたことを覚えているだろうか?』

「……え? はい、覚えています」

『その時が来た。……リシュ、私の所に来るなら、どんな物を見てもいい、そういう覚悟をしてから来い』

「……わかりました」


 無線通話が途絶える。リシュリオルが振り返ると、自警団員達が心配そうにこちらを見ていた。リシュリオルは先程の無線通話の中のグレスデインの言葉から、ただならぬ物を感じた為、自警団を置いて、グレスデインがいるという部屋に一人で向かうことにした。


「グレスデインさんが、私にすぐに来るようにと伝えてきました。私は先行して、彼の元に向かいます。自警団の皆さんは注意して、私の後を追ってきて下さい」


 リシュリオルの言葉に自警団員達は狼狽えていたが、彼らから煩わしい質問をされる前にリシュリオルはその場から離れた。


「十二階、北側……。そこまで掛からないだろう」


 リシュリオルはグレスデインのいる部屋の位置を呟きながら確認する。自警団という、足枷の外れた彼女になら、すぐに辿り着くことができる距離だった。


 十二階に着くと、グレスデインが言っていた通り、すぐに彼のいる部屋の位置は分かった。匂いがしたのだ。離れた所からでも分かるほど、濃い血の匂いが廊下に漏れ出していた。グレスデインの言う『覚悟』の意味をようやく理解したリシュリオル。部屋の中にはきっと、日常では見ることの無い、おぞましい光景が待っているのだろう。


 リシュリオルが恐る恐る部屋の中に入ると、むせ返るような血の匂いが彼女の身体を包み、嗅覚を狂わせた。目に映る物の全てが赤く染まっていた。部屋の中央には、返り血を浴びたグレスデインが立ち尽くしている。彼の側に立つ柱には、凄惨な姿をした人影がもたれていた。想像していたよりも、遥かに惨い光景にリシュリオルは吐き気を催し、思わず後退りする。


「来たか、リシュ」


 リシュリオルの足音に気付いたグレスデインが振り向き、話し掛けてくる。返り血の付いた彼の顔を見て、リシュリオルは一瞬恐怖を覚えた。


「私が来た時には既に、この部屋は血に塗れていた。ベッツバルタも瀕死の状態だった」

「一体何が……」

「喰われたんだ。私達が追っていたベッツバルタも、彼が殺したとされていた異界渡り達も。この部屋で、ある者に喰い殺された。延命処置を施しながら、ゆっくりと……」

「誰が、そんな事を……」


 人が人を喰らう。リシュリオルにとって、それは彼女が知る中でも、最もおぞましい行為の一つだった。


「……私達の様な異界に関わる事件を取り扱う者の間では『異界喰らい』と呼ばれている。その正体は未だに分かっていない。巧妙に異界を渡り歩き、無差別に猟奇的に人を喰らう。そして……」


 グレスデインの口調が変わる。怒り、憎しみ、複数の負の感情を露わにして、吐き出す様に言葉を続けた。


「……奴は私達の旅の目的に関わる者だ。……私の弟とその妻を喰い殺した」

「それは、あの二人の……」

「そうだ。アトリとカル、二人の両親だ。私が弟達の家に着いた頃、既に事は終わっていた。アトリとカルは赤く染まった二人の遺体を部屋の隅から何もできず、震えながら見つめていた。……そして、私は見た。窓の向こう、森の中に消えていく異界喰らいの獣の様な後ろ姿を」


 リシュリオルは絶句した。いつの間にか破裂しそうになるほど激しくなっていた心臓の鼓動を落ち着かせるように何度か深呼吸をした後、震える声でグレスデインに尋ねた。


「……グレスデインさん、あなた達が異界を渡る目的は異界喰らいを倒すことですか?」

「ああ、そうだ。『復讐』というやつだよ。……リシュ、これは君には関係の無いことだ。これから、私達と旅を続けていれば、更に多くの血を見ることになるだろう。……それが嫌なら私達とは、この世界で別れたほうが良い」


 リシュリオルは言葉を詰まらせた。確かにグレスデインが言う通り、リシュリオルが彼らの復讐を手伝う理由などは無い。だが、彼女が彼らと旅を始めた理由はかつて共に旅をした者の安息の為。もし異界喰らいが彼の元に辿り着いてしまったら……。想像するだけで身の毛がよだつ。そんな事は絶対に阻止しなくてはならない。

 そして、彼のことだけではない。この部屋の惨状を目前にしたことで、リシュリオルの中で、ここしばらく勢いを弱めていた熱情が再び燃え上がろうとしていた。


「……グレスデインさん、私はあなた達に着いていきます。……こんなことをする奴ら、野放しにしては置けない!」


 彼女の中に燃える熱情は、強い正義の意志だった。私利私欲の為に、他者を弄び、残虐にいたぶる異常者をこの世に留めておくことはできない。リシュリオルの強い覚悟をあらわす、激しい剣幕にグレスデインは一瞬狼狽えた。


「……リシュ、君の覚悟は分かった。私達の復讐の為とは言わない。これ以上、奴らの犠牲になる者が現れないよう、共に戦ってくれ」

「はい。私にできることならなんでも協力します」

「……ありがとう。早速だが、協力してほしいことがある」

「何でしょう?」

「ベッツバルタ、彼のことだ。これから来るであろう自警団の連中には、本当のことは、異界喰らいのことは言わないでくれ。……ベッツバルタに止めを刺す直前、彼からとある頼みを受けた。それを守る為に黙っていてほしい」

「分かりました」


 詳しい事情は分からないが、リシュリオルは頷いた。


 その後、部屋に数人の自警団が現れ、グレスデインやリシュリオルに対して事情聴取を行った。リシュリオルはグレスデインに言われた通り、異界喰らいのことは一言も口にしなかった。部屋の惨状を見た自警団員達は皆、口々にベッツバルタのことを非難した。リシュリオルはそんな彼らの姿を見て、物悲しくなった。

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