呪われた運命

 廃ビル群のスラムに一人の男がその身を隠していた。男の名はベッツバルタ。彼はとある異界渡りを殺害した容疑で、街の自治組織に追われていた。


 ベッツバルタは元々、軍部に協力を行っている企業の下で兵器開発を行っていた。彼は与えられた仕事を卒なくこなす優良な社員で、出世にはあまり縁はなかったが比較的幸せな生活を送っていた。だが、ある日を境にその生活が一変する。


 それはベッツバルタがいつも通り、仕事に勤しんでいた時のことだった。会社内で大規模な爆発事故が発生し、彼もそれに巻き込まれてしまう。


 爆発によって発生した黒い煙と大量の瓦礫の中を彷徨っていると、ひしゃげた分厚い扉を見つける。ベッツバルタは恐る恐る扉の先を覗いてみると、そこには無数の手足を持った奇妙な生き物が蠢いていた。


 ベッツバルタはその生き物を目の当たりにした瞬間、見てはいけない物を見てしまったと確信した。生き物から生える無数の手足は明らかに人間の物だった。そして、その無数の人でできた異形の生き物は爆発に巻き込まれて死に絶えた人間の亡骸を食らっていた。


 ベッツバルタは目の前の異様な光景を見て、愕然と立ち尽くした。彼はこの時、すぐに逃げていればよかったと後悔することになる。狼狽えるベッツバルタの存在に気付いた異形の生き物は、気色の悪い紫色の体液を撒き散らしながら、彼に襲いかかった。


 しかし、ベッツバルタに迫る異形の生き物は数発の発砲音の後、大きな音を立てて地面に倒れ伏した。


「どうして俺たちが……。ここの奴らは管理が甘いんだよ」

「全くだ。面倒事だけはいつも軍に押し付けやがって」


 二人の男が互いに愚痴を言い合っていた。ベッツバルタはすぐにその二人の男が軍に所属する兵士であることに気付いた。二人はベッツバルタもよく知っている銃器を持っており、それは軍にだけ支給される非常に強力な代物だったのだ。二人の兵士は倒れた異形の生き物の傍らにいるベッツバルタの姿を見つけ、何やら話し込んでいる。


「おい、見ろ」

「分かってる。バッジを付けてないな」


 ベッツバルタが恐怖で萎縮し、地面にへたり込んでいると、二人の兵士は彼の元に素早く駆けつけ、銃を構えた。


「見たよな、こいつ。どうする?」

「どうするって……、始末するしかないだろ」


 銃口がベッツバルタの額に向けられる。彼は祈った。無意味なことは分かっていたが、それしかできることはなかった。だが、彼の祈りが信じてもいない神にでも届いたのか、地面に倒れ込んでいた異形の生き物が兵士の一人に襲いかかり、彼の額から銃口が離れた。


 ベッツバルタは兵士達が襲われている隙に、自身の職場である研究室に向かい、彼が開発に携わっていた兵器の一つを持ち出し、企業から身を隠すため、スラムへと逃げ込んだ。


 自分が異界渡り殺害の容疑をかけられていることを知ったのは、スラムに来てから数日後のことだった。法外な値段で食品を売っている店のラジオから自分の手配情報が流れていた。企業は自分を逃すつもりなど無いのだと、ベッツバルタは確信した。


 ベッツバルタは企業からの追手を逃れる為、気休め程度の効果しかないとは思っていたが、髭を伸ばし、顔を土で汚し、浮浪者に身を扮した。


 スラムに隠れ住んでから、ベッツバルタは過去の何事も無い普通の生活を懐かしく思い出したり、自分の人生を狂わせた企業に怒りを燃やして叫んだり、何もかもがどうでも良くなって面白くもないのに、高笑いしたりした。


 何をしても最後には心の中に虚しさが満ち溢れ、自分の置かれた現実を再認識し、絶望するだけだった。まるで、素晴らしい夢から覚めてしまったように。

 

 そんなどん底にいたベッツバルタにも、心が安らぐ時があった。スラムに初めて訪れた時から、彼に親切にしてくれた兄弟がいた。彼がスラムに辿り着き、住む場所も食べるものも無く右往左往していると、その兄弟がスラムでの生活について色々と教えてくれた。


 それ以来、その兄弟とは頻繁に行動を共にするようになった。ベッツバルタは彼らとの生活をそれなりに気に入っていた。歪な関係ではあるが、家庭を築いているような気がしていた。


 だが、ベッツバルタの些細な幸せもすぐに消え失せてしまう。


 ある日、ベッツバルタは兄弟と、寄せ集めの建材を廃ビルに取り付けて作った家で夕食をとっていた。食事中、外の様子がやけに騒がしくベッツバルタが窓からスラムの様子を伺うと、自治組織に所属する自警団の連中が大きな声を上げて、練り歩いていた。


「ベッツバルタ! 出てこい!」

「隠れても無駄だぞ!」


 自警団の連中はベッツバルタを探し回っていた。ベッツバルタは兄弟に迷惑を掛けまいと、真実を話し、彼らの家から離れることを決めた。


「私は企業から追われる身だ。このスラムにも企業からの追手が来てしまった。これ以上、君たちに迷惑は掛けられない。だから、すぐにここを出ていくことにするよ」

「大丈夫なんですか?」

「何か僕たちにできることは?」


 ベッツバルタを心配する兄弟。彼らの純粋な思いやりの心にベッツバルタの胸の内から喜びと切なさが同時に込み上げてきた。


「心配ない、大丈夫だ。……今までありがとう」


 ベッツバルタは兄弟に感謝の言葉を告げた後、すぐに彼らの家から立ち去った。そして、どこに行くあても無かったが、ただひたすらに、がむしゃらに走った。必死に足を動かしながら、研究室から持ち出した『兵器』を作動させる。


 うなじに接続された端子から連続的な痛みが送られてくる。次第に痛みは消え、薄暗いビルの影にいる小さな羽虫の動きが見えるようになり、遠く離れているはずの自分を探す自警団の声が聞こえるようになった。ベッツバルタは一度物陰に潜み、深呼吸し、心を落ち着かせる。


「さて、これからどうしようか」


 ベッツバルタは誰かに話しかけるように独り言を呟いた。乾いた笑いを浮かべながら。兄弟の家から離れていけばいくほど、彼を取り巻いている全ての物事が彼を奈落の底に貶めようとしている気がした。自分の今の状況に涙が出そうになるが、歯を食いしばり、それをこらえる。

 

「私が何をしたって言うんだ?」


 自問自答するが答えなど出ない。答えは出なかったが、代わりに自身を追い詰めようとする者たちに対して、凄まじい怒りが込み上げてきた。


 彼は決意する。最後まで抵抗を続けること。呪われた運命に立ち向かうことを。

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