戦場の廃ビル

 アトリラーシャはビルの屋上から、双眼鏡で逃げ回る犯人の姿を見ていた。


「あの兵器の力はすごいな。皆の居場所が分かっているみたいだ。……だけど」


 犯人の男は迫りくる自警団員たちとの衝突を避けるように逃げ回っていた。一見すれば、上手く立ち回っているように見えるが、実際はアトリラーシャの手のひらの上で踊っているに過ぎなかった。


 アトリラーシャは無線機を通してグレスデインやリシュリオル、自警団員たちに犯人の居場所を的確に伝え、少しずつ犯人を確保する為に用意した廃ビルへと誘導していた。向かって欲しくない方向には大量のワイヤーと刃物を使ったトラップが仕掛けてあり、犯人もそれに気付いていたのか、その方向に向かうことはなかった。


 犯人確保への道のりは順調だった。犯人の位置は既に捕獲用の廃ビルの入り口の前にあった。グレスデインや自警団員たちが犯人にじりじりと詰め寄る。目の前にはビルの壁、左右には彼を捕らえようとする追手。犯人はたまらず、廃ビルの中へと逃げ込んでくれた。


「ビルの中に入ったね。もう逃げ道なんてないよ」アトリラーシャはビルの屋上からほくそ笑んだ。



 

 ベッツバルタはビルの中に入った時点で、自分が追い詰められていることに気付いていた。ガラスが割れ、風が吹き抜ける窓から外の景色を見回すと、このビルの周囲には同じ高さのビルが隣に一つあるだけだった。その隣のビルとの間にも、無数のワイヤーが張られており、飛び移ろうものなら四肢はバラバラに分断されるだろう。ベッツバルタは確信する。このビルの中で自分は終わるのだと。


 しかし、彼の決意が揺るぐことは無かった。最後まで戦うつもりだった。うなじに取り付けた兵器の出力を上げる。首から全身にかけて激痛を感じたが、同時に自分でも恐ろしくなる程、身体に力が漲った。


 更に追い詰められることになるのは分かっていたが、ベッツバルタはビルの上階へと向かった。階段の踊り場に差し掛かると、背後から差し込んでくる光に気付き、ふと足を止める。


 振り返ると、破れた窓から煌々と輝く満月が見えた。それは人生の中で何度も見てきた物だったが、月とはこんなにも美しいものなのかと、今更に思った。しばらく静かな月夜に浸る。しかし、彼の元に近づく足音がそんな細やかな愉楽すらも掻き消してしまう。


 ベッツバルタは踊り場から階段を駆け上がり、左右に伸びる廊下を見渡した。すると、右側の廊下に青みがかった黒髪の男がこちらの様子を伺うように睨んでいた。既に上階に追手が追いついていた。


 たしか名前はグレスデイン。このビルに入る前に他の追手がそう呼んでいた。眉間に皺を寄せた男、グレスデインはおもむろに口を開く。


「大人しくしろ、ベッツバルタ」

「ははは、無理な相談だ」


 ベッツバルタは何がおかしいのか、高らかに笑った。そして、うなじに取り付けられた兵器の力を全力で使い、身体能力を向上させる。ベッツバルタは姿勢を低く保ったまま、思い切り床を蹴り出して、グレスデインに向かって、凄まじい勢いで突進した。


 グレスデインはその身を翻し、ベッツバルタの突進を難無く躱した。直後、数本のナイフをベッツバルタの胴に向かって投げつける。ベッツバルタは上体を捻り、ナイフを避けようとしたが、ナイフはその軌道を大きく変え、右足に突き刺さった。


(ナイフの動きが変わった! 異界渡りという奴か)


 ベッツバルタの血が床に飛び散る。右足に走る、熱を帯びた痛みに耐え、すかさずグレスデインへと向かい、攻撃を仕掛ける。しかし、ベッツバルタの必死の攻撃はかすりすらしなかった。


(この男、戦い慣れている。このままでは……)


 ベッツバルタは一度大きく後退し、グレスデインから距離を取った。態勢を整えなければ。


「あんたはこの街の人間じゃないんだろ?」

「そうだ。だからどうした」

「もし私がこの街の企業の秘密を知ってしまい、口封じの為に濡れ衣を着せられていると言ったら、どうする?」


 グレスデインは一瞬、間を置いてからベッツバルタの質問に返答した。


「悪いが、私にはどうすることもできない」冷厳に言い放つグレスデイン。

「そうだよな、そうだよな。はは……」


 ベッツバルタは乾いた笑い声をビル内に響かせた。力なく笑いながら、右手でうなじに触れ、兵器の出力を最大に設定する。最大出力の負荷は尋常ではなく、気絶しそうになる程の激痛が幾度となく彼を襲った。


 兵器の影響により腫れ上がった筋肉がベッツバルタの体躯を増大させた。彼は獣のような雄叫びを上げ、グレスデインに殴りかかる。グレスデインは素早く後退し、凄まじい筋力から繰り出される打撃を避ける。振り下ろされたベッツバルタの拳は廊下の床をぶち抜いた。


 あの拳をまともに喰らえば、ただではすまないだろう。グレスデインは腰につけた鞘から刀を抜いた。生半可な覚悟ではこちらが危ない。相手の手足をいずれか一本程度、切り落とす気でいなければ殺される。


 ベッツバルタは大きく腕を振りかぶり、グレスデインに迫った。グレスデインは襲い来るベッツバルタ目掛けて、数本のナイフを投げる。しかし、ベッツバルタは先程ぶち抜いた床から拾い上げたのか、無数の瓦礫をばら撒き、向かってくるナイフを弾き落とした。


 ばら撒かれた瓦礫の一つがグレスデインの足に命中する。大きな傷ではなかったが、最初のように素早い動きはできなくなった。


 ベッツバルタの追撃が迫る。両拳による素早い連打。なんとか全てを躱し切るが、こちらから攻撃を加える隙は無かった。今度はグレスデインが大きく後退り、息を整え始めた。


(恐ろしい兵器だ。ただの人間をここまで強化するとは)


 ベッツバルタが再び走り寄ってくる。グレスデインは無数のナイフを浮かべ、衛星のように自身を中心にして公転させた。ベッツバルタは先程と同じ瓦礫を投げつける戦法を仕掛けた。


 勢い良くグレスデインにぶつかろうとする瓦礫は、彼の周囲を飛び交うナイフによってスライスされ、小石程度の破片に変わっていく。勢力を失い、細切れになった瓦礫の破片がグレスデインの身体にぶつかったが、パラパラと乾いた音を立てるだけで彼に傷を与えることはなかった。


 ベッツバルタは切り刻まれる瓦礫を見て、グレスデインに近づくことをやめる。だが、グレスデインはそれを許さなかった。自らベッツバルタの目前へと力強く踏み込み、迷いの無い一太刀を放つ。


 それは完璧な一刀の筈だったが、直前のグレスデインの踏み込みによって、足場が崩壊し、彼の放った刃はベッツバルタの手のひらを浅く切り裂くだけだった。そして、グレスデインは崩壊した床の瓦礫と共に下階へと落ちていった。


 ベッツバルタはグレスデインが下階へ落ちていく間に、その場を離れ、更に上階へと向かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る