姉弟の伯父
ホテルに戻ると、アルフェルネが受付のテーブルの向こうでしかめっ面をしながら、父親であるベルフリスに何やら文句を言っていた。
先にリシュリオルの姿に気付いたベルフリスは苦笑を浮かべ、声を出さずに『諦めろ』と口を動かした。そして、これから起こることを危惧してか、そのまま何処かに消えていった。
おずおずとホテルに入るリシュリオルの姿を見た途端、アルフェルネはけたたましい声で『リシュ!』と彼女の名前を叫んだ。受付からリシュリオルの元へ一直線に向かってくる。
「何をしていたの?」
「……客の荷物が盗まれたから、取り返しにいってた」
「また危ないことに首を突っ込んで! どうして私に何も言わなかったの? あなたはいつもいつも――」
アルフェルネの長い説教が始まる。銀色の姉弟は申し訳無さそうに、肩をすぼめて平謝りするリシュリオルの背中を見ていた。
廊下から誰かの足音が聞こえたので、ちらりと視線を逸らすとげらげらと指を差して笑っているイルシュエッタがいた。
(くそっ、あとで覚えていろよ!)リシュリオルは心の中で怒りを燃やす。
愉快そうに笑うイルシュエッタが去った後、入れ違いで目つきの鋭い中年男性の姿が現れる。アトリラーシャとカルウィルフの伯父だ。彼は姉弟の伯父らしいが、二人と違って髪は薄っすらと青みがかった黒色で、瞳は濃い青色だった。
自身の伯父の姿に気が付いたアトリラーシャは、アルフェルネの説教に囚われていたリシュリオルの手をいきなり引っ張った。
「すみません、お姉さん! ちょっとリシュと急ぎの話があるので!」アトリラーシャはそのままリシュリオルの手を引いて伯父の所へ向かっていった。
「本当にすみません!」カルウィルフも深く頭を下げた後、姉の後を追う。
連れ去られていくリシュリオルを目で追いながら、アルフェルネは呆然と立ち尽くしていた。
アトリラーシャは自身の伯父の前に立つと、声を強張らせて言った。
「お、伯父さん! みんなで話したいことがあるんだけど……」
「誰だ? その子は……」彼女の伯父が眉間に皺を寄せて、リシュリオルの顔を凝視する。
「いいから、部屋の場所教えて!」アトリラーシャは彼女の伯父から部屋のナンバーを聞き出し、すぐにその部屋へと向かった。
「それで、君は一体何者なんだ?」
アトリラーシャとカルウィルフの伯父が部屋に入って早々、リシュリオルに尋ねる。相変わらず、険しい表情を保っていた。リシュリオルは一呼吸置いてから、自己紹介を始める。
「私はリシュリオルと言います。異界渡りです。今は訳あってこのホテルで働いていますが……」
「そうか。……私はグレスデインと言う。もう聞いているだろうが、そこの姉弟の伯父だ」芯のある低い声で話すグレスデイン。その声には鋼鉄のような厳格さが備わっていた。
「お願い、伯父さん! リシュを私達の旅に連れて行ってあげて。彼女、私が鍵らしいの。ちゃんと同意も得てるから」手のひらを顔の前に合わせて懇願するアトリラーシャ。
「伯父さん! 姉さんの言うことなんか聞くこと無い。姉さんのせいで何度も痛い目を見てきただろ?」アトリラーシャの隣に並び、カルウィルフが姉の願いを非難する。
「お前達は黙っていなさい」
グレスデインは静かな落ち着いた声で話したが、得も言えぬ威圧感によって銀色の姉弟は口をつぐんでしまった。
「リシュリオル、君はどうして私達の旅に付いていくことを決断したんだ?」
グレスデインの鋭い眼光がリシュリオルを見据える。姉弟が怯んでしまうのもうなずける。彼の口から放たれる一言一句から、のしかかるような重みを感じた。
「それは……」リシュリオルは何かを言いかけたが、考え込むように両目を瞑り、黙り込んでしまう。
取ってつけたような曖昧な答えでは、この人はきっと納得しないだろう。正直に話すべきだ。
リシュリオルの様子を心配したアトリラーシャが、黙り込んだままの彼女に話しかけようとした時、彼女の口がゆっくりと開き始める。
「……少し前に一緒に旅をしていた人がいました。その人は訳あって異界を渡れなくなってしまい、私とは別の道を辿ることになりました。……彼は多分、その異界に今もいると思います。きっと最期まで。……私は彼の最期の時が来るまで、彼に危害を加えるような人間が近付くことを少しでも避けたい。だから、あなた達の仕事を手伝いたいんです」
リシュリオルはこれ以上のことは何も言えなかった。純粋な真実の気持ちだけをグレスデインに伝えたかった。これで駄目なら諦める気でいた。
リシュリオルが話し終えても、グレスデインは暫くの間、口を開くことをしなかった。ただその刃のように鋭い視線をリシュリオルに向けていた。
「……分かった。君の同行を許可しよう」
グレスデインの返答を聞き、リシュリオルの緊張の糸が解けた。
「伯父さん、どうして!」口をつぐんでいたカルウィルフが納得がいかない様子で、グレスデインに詰め寄った。
「彼女がふざけた理由で私達に付いていくつもりだったら、すぐにこの部屋から出ていってもらうつもりだった。しかし、違うだろう? 誰かを守る為の刃はなかなか折れないものだ」そう話すグレスデインの口元は少しだけ緩んでいた。
「それは……」
口ごもるカルウィルフ、伯父の言葉に対して、何も言い返せずに俯いてしまう。その反面、アトリラーシャは満面の笑みを浮かべ、喜んでいた。リシュリオルの身体に横から抱きついてくる。
「やったね、リシュ!」
アトリラーシャの嬉しそうな笑顔を見ると、自然と笑みがこぼれた。
グレスデインが咳払いをして、その場の空気を落ち着かせた。その後、先程の微笑みを消した厳しい顔つきで、警告するように話し始める。
「だが、私達には仕事以外にも異界を渡る目的がある。そのことについては、追い追い話していくことにしよう。君が私達の目的について知ることになった時、再び決断してくれ」
リシュリオルにはグレスデインがどうして旅の目的について、そこまで勿体ぶって話すのか、理解できなかった。
ふと、隣に立つアトリラーシャの顔を見ると、沈んだ表情をしていた。更に視線の向きを変え、カルウィルフの方を見ると、彼の表情からは強い憎悪の念を感じた。
皆の様子から、何かただならぬ目的があることにはすぐに感づいた。
「グレスデインさん、あなた達の旅の目的というのは……」
リシュリオルは好奇心に負けて、尋ねてしまった。好奇心以外にも理由はあった。これから共に旅をする仲なのに、自分だけが訳も分からず、呑気に彼等の旅に付いていくのは気分が悪かった。
「それは追い追い話していくと言っただろう。それより君はここのホテルの従業員なんだろう? 先程話していた女性の所に行かなくていいのか?」
少しだけ意地悪く話すグレスデインの顔には、再び微笑みが浮かんでいた。彼の視線は部屋に置かれた時計の方を向いていた。
リシュリオルは彼の視線に誘導されて、時計を見る。既に夕食の準備が始まっている頃だった。
「あっ……。し、失礼します!」リシュリオルは足早に部屋を出て、アルフェルネの元へ向かった。
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