姉と弟

 アトリラーシャが記入した受付用紙を確認すると、彼女以外の名前が書かれていた。先程、ホテルの外に向かって呼び掛けていた者達の名前だろう。


 一人の少年が息を切らしながら、ホテルのエントランスに入ってきた。彼の髪と瞳も銀色に輝いていた。少し遅れて、厳しい表情を保った中年の男性が現れ、疲れて項垂れている少年の後ろに立ち、何か言葉を告げていた。


 少年は男性の言葉に耳を傾けた後、大きくため息を吐き、アトリラーシャに向かって怒鳴った。


「姉さん! 荷物を出口に置きっぱなしだ」


 『姉さん』ということは、彼はアトリラーシャの弟だろう。銀色の髪と瞳から想像はできたが、よくよく見ると顔立ちもそっくりだった。ついでに出口の方も見てみると、二つの革製の鞄が無造作に置かれていた。


「そうだった。忘れてた!」


 アトリラーシャが受付から離れようとした時、出口の近くにいた男が彼女の物と思われる鞄を素早く持ち去っていった。


 その様子をアトリラーシャは啞然として見ていたが、リシュリオルは反射的に受付のテーブルを乗り越え、盗人の男を追い掛けた。


 男は人影の少ない路地裏へと逃げていった。リシュリオルの足の速さは並ではなく、すぐに盗人との距離を縮めた。そして、男の腕を掴むと同時に地面へと投げ倒した。

 

「観念しろ」


 リシュリオルが男の腕を捻り上げると、大きな呻き声を上げて、鞄をその手から離した。騒々しい呻き声が聞きつけたのか、物陰から彼の仲間らしき男達が現れる。皆、刃物や銃などの武器を構えている。


 この路地裏は、砂の街の中でも治安の悪い場所だが、ここまであからさまに『ガラの悪い連中』が存在しているとは知らなかった。


 そのガラの悪い連中がニタニタと気色の悪い笑みを浮かべながら、こちらに近付いてくる。そして、この連中の中で最も大柄な男が息の臭そうな口を開く。

 

「そいつを離してくれないか、お嬢ちゃん。勿論その荷物と一緒に」

「断る。大事な客の荷物だからな」リシュリオルは肩に掛けながら、目つきを鋭くさせる。


 大柄な男は面倒くさそうに、わざとらしくため息を吐いた後、リシュリオルに向かって指を差しながら言った。

「やれ。できれば生け捕りにしろ」

 男の命令に従い、周りの連中がリシュリオルに向かって、大勢で襲いかかる。


 リシュリオルは素早く数枚の布を懐から取り出し、敵の手元にその布をふわりと乗せる。直後、布は高速で動き始め、男達から武器を絡め捕った。そして、無数の武器を包み込んだ布はリシュリオルの手元へと帰っていく。


「返すよ」


 リシュリオルは手元に戻った布を振り回し、布の中に入っていた武器を投げ返した。そこら中に刃物や鈍器が飛び散り、男達の身体にぶつかった。偉そうにしていた大柄な男の太腿にもナイフが深く突き刺さっていた。


 大柄な男は泣き叫びながら、まだ立ち上がっている者達に何度も『撃て』と命令を繰り返した。


「銃はやめた方がいい。私も調整ができないんだ」


 慌てて騒ぎまくる男の姿を見て、リシュリオルは焦った顔で忠告した。大柄な男は聴く耳も持たずに命令を続け、遂に無数の銃口から弾丸が放たれた。


 リシュリオルは発砲音が鳴った瞬間に、一枚の大きな青い布を翻しながら、狭い路地へと逃げ込んだ。布は壁を作るように広がり、狭い道を塞いだ。


 リシュリオルを狙って撃ち込まれた弾丸が布にぶつかる。布は弾丸に突き破られることなく驚異的な弾性を発揮し、全ての弾丸を跳ね返した。


 青い布の向こうから阿鼻叫喚の声が聞こえてくる。


 あまり見たくはないが、一応布の向こうで何が起こったかを確認する。男達は皆、痛みに悶えながら、地面に伏せていた。そこら中に血の跡が付着している。予想通りの光景だったが、奇跡的に死者は出なかったようだ。


 リシュリオルがアトリラーシャの鞄を手に持ち、その場から立ち去ろうとした時、倒れていた男の一人が急に起き上がり、銃を構え始めた。


 リシュリオルは弾丸を防ぐ為に、頭の左側に縛り付けている髪飾りのリボンに触れ、それに宿った精霊の力を使おうとした。だが、彼女が炎の壁を作り出した瞬間、男の手に小さなナイフが突き刺さり、握りしめていた銃は地面に落ちていった。


「危ない所……でもなかったみたいだね」背後からややおどけた声が聞こえたので、振り返る。


 声の主は銀色の少女、アトリラーシャだった。消えゆく炎の塊を見つめていた。きっとリシュリオルの跡を追ってきたのだろう。二人は路地から離れて、人気の多い大通りへと戻る。


「あなた、名前はなんて言うの? あの布の動き、異界渡りだよね? それとも炎が見えたから、精霊憑き?」立て続けに質問をしてくるアトリラーシャ。

「名前はリシュリオル。異界渡りだ。この炎は私に憑いていた精霊から貰ったものだ」


 リシュリオルはまた髪飾りに触れて、小さな炎を右手に浮かべる。アトリラーシャはゆらゆらと揺れる炎に見入った。銀の瞳に炎の波が映り込む。


「すごいね、リシュは! ……でも、こんなにすごい異界渡りなのに、ホテルの受付をしてるんだ」


 アトリラーシャは真っ直ぐな目で、リシュリオルの顔を覗き込む。

『どうして異界を渡らないの?』彼女の目はそんな風に、聞いている気がした。

 

「……少し色々あって」

「鍵が見つからないとか?」


「いや、鍵は目の前に……」言い掛けてから『しまった』と思った。慌てて視線を反らしたが、逆効果だった。アトリラーシャは先程よりも強い視線をリシュリオルの顔に向けた。


「……私が鍵なんだ」

「まあ……そういうことになる」


 アトリラーシャはリシュリオルの顔を観察するように見つめ続けた。彼女の硝子の様に透き通る銀の瞳に見つめられると、心の中を覗かれているような気がして、なんだか居心地が悪かった。


 突然、路地に足音が反響する。周囲を警戒するリシュリオル。しかし、現れたのは敵ではなく、先程ホテルにいたアトリラーシャの弟だった。今の所、彼のことは息を切らしている姿しか見ていない。


「姉さん、こんな所にいたのか!」

「カル! こちら、私の荷物を取り返してくれたリシュリオル。とっても強いんだよ。……ああ、この子は私の弟でカルウィルフって言います」


 弟にリシュリオルを、リシュリオルには自身の弟を紹介するアトリラーシャ。

 

「すみません。この度は姉がご迷惑を……」平謝りするカルウィルフ。何度も頭を下げる。

「当然のことをしたまでだ。謝る必要なんて無い」


「いいね、リシュ! その心意気はいいよ! 正義の味方って感じ!」リシュリオルの右手を両手で握り、上下に振るアトリラーシャ。


「お前も謝れ!」

 アトリラーシャの頭を押さえつけるカルウィルフ。隣同士に並んだ姉弟は髪の長さ以外は本当にそっくりだった。


「いや、いいって。本当に……」

 バラバラな性格から繰り出される二人の言動に狼狽えるリシュリオル。


 アトリラーシャは自分の頭を押さえつけていた弟の手を払い除けて、リシュリオルに目線を合わせる。


「リシュ! あなたの鍵は私なんだよね? なら私達と一緒に来ない?」

「何言ってる、姉さん! 俺達の目的に、彼女は関係無い!」


 カルウィルフが急に声を張り上げて、怒鳴る。今までに見たことの無い必死な形相だった。だが、彼の声を無視して、アトリラーシャは話し続ける。


「私達は普段は異界に関わる犯罪者を捕まえて、異界の治安を守る仕事をしているの。リシュの強さならきっとやっていけるよ!」


「……」黙って話を聞くリシュリオル。異界に関わる犯罪……。


「リシュリオルさん、姉の言うことは無視して下さい。姉はすぐに思いつきで行動する人なので。後先を考えていないんです」

 カルウィルフがアトリラーシャの言葉を否定する。アトリラーシャは弟の言葉を再び無視して話し続ける。


「これは、リシュが決めることだよ。異界渡りが鍵をどうするかは本人にしか決められない」

 今までずっと表情を緩ませていたアトリラーシャの真剣な眼差しが突き刺さった。その鋭い視線がリシュリオルを深く考え込ませる。


(イルシュエッタの下らない命令のこともあるが、それよりも、私は『あの人』の安息を守りたい。彼に誰かの魔の手が忍び寄ることを少しでもいいから防ぎたい。……だから)

 

「一緒に着いていくよ。腕には多少自信がある」

 返答を聞いたアトリラーシャがリシュリオルの身体に抱きつく。

「やった! リシュ、これから一緒に頑張ろう!」


 唐突な抱擁によって、アトリラーシャの身体が密着する。間近に迫る彼女の顔と吐息のせいで、リシュリオルは気恥ずかしくなった。

 

 楽しそうにはしゃぐアトリラーシャとリシュリオルの顔を交互に見た後、カルウィルフが険しい表情をしながら口を開く。 


「リシュリオルさん、考え直して下さい。もし、姉が鍵だというなら次の異界に行ったら、すぐに別れる方がいい。俺達についてくる必要なんてない」


 カルウィルフの言葉に対して、ふくれ面で愚痴をこぼすアトリラーシャ。

「カルはどうしてそんなこと言うかなぁ。仲間が増えるのは良いことだと思うけど」


「……なら、伯父さんにも聞いてみよう。この件は、俺達だけで勝手に決められることじゃない」

「ぐっ、カルは卑怯だよね」


 にやりと笑うカルウィルフの提案により、渋い表情に変わるアトリラーシャ。何か都合の悪いことでもあるのだろうか。


「さあ、ホテルに戻ろう。伯父さんもきっと待ちくたびれている」

 カルウィルフは足早にホテルへ戻り始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る