旅立ちの準備

 厨房に立つアルフェルネは見るからに不機嫌そうだった。しかし、どんなに機嫌が悪くても、料理の腕は変わらなかった。手早く効率的に次々と料理を皿の上に乗せていく。


 厨房の前でうろうろと彷徨うリシュリオルを見つけたアルフェルネは調理を続けながら、聞いてきた。


「何かあったの? さっきのお客さん達と」

「うん。あの人達に付いていくつもり。……だから、もうこのホテルにはいられない」

「そっか……。まあ、そういう約束だったからね。……料理、食堂まで運んでくれない?」

「分かった」


 リシュリオルはアルフェルネの寂しげな横顔を見ながら、料理の乗った皿を運んだ。二人はその後も、黙々と各々の役割を務めた。


 夕食のベルを鳴らすと、ホテルの宿泊客が食堂に集まり始める。リシュリオルは食堂の入口に立ち、客を指定した席へと案内した。


 銀色の姉弟達が食事をとりに来た。彼等の案内を終えた時、アトリラーシャが微笑みながら、小さく手を振ってきた。リシュリオルもそれに応えて軽く手を上げる。


 次にイルシュエッタとリーリエルデがやって来る。イルシュエッタはニヤニヤと笑いながら、手を振ってきた。さっきのアトリラーシャとのやり取りを見ていたのだろうか。


(この人、どこまでも私を小馬鹿にするつもりでいるんだな。床の上で食事をさせてやろうか)

 そんなふうに思っていたが、事務的に彼女達に席を教えて、何事も無かったように次の客の案内をした。


 イルシュエッタはつまらなそうに鼻を鳴らしながら、席に着いた。そんな彼女の様子を見て、リシュリオルは誰にも見えないようにこっそりとほくそ笑んだ。


 宿泊客の食事が終わると、今度はリシュリオル、アルフェルネ、ベルフリスの三人で遅めの夕食をとった。


 リシュリオルは異界を渡り始めることについて、話を切り出そうとした。しかし、彼女が口を開く前に、アルフェルネがベルフリスにそのことを告げた。


「リシュ、また旅を始めるみたい。銀髪のお客さんがいたでしょ? あの人達と一緒に」


 ベルフリスは食事の手を止めて、アルフェルネとリシュリオルの顔を順番に見る。

「そうなのかい? それは寂しくなるね……」


「すみません。こんな唐突に」リシュリオルはベルフリスに向かって軽く頭を下げた。


「謝ることないさ。最初からそういう約束で、君に手伝ってもらったんだからね」ベルフリスは優しい口調でリシュリオルをなだめた。


「今まで、本当にありがとうございました」リシュリオルは席から立ち上がり、深々と頭を下げた。


 ベルフリスは驚いたように目を見開き、途端に笑い出した。

「君がこんな風に成長するなんて、あの時は想像もできなかったよ」


 アルフェルネもつられて笑い始める。

「あなたと別れる時、とても大変だったこと覚えてる?」


「子供の時なんだ。仕方無いだろ」

 リシュリオルは恥ずかしそうに、顔を背けて、二人の視線を避けた。しかし、小さな泣き声が聞こえたので二人へ視線を戻すと、アルフェルネが涙を零していた。


「ごめんなさい。あまり人のことは言えないわね。今度は私が泣いてしまったみたい。……あなたといる時間が少し長かったから」


 リシュリオルはアルフェルネの目から流れる涙を拭いてやった。


「ありがとう、リシュ……」

「きっとまた会えるよ」

「そうね。きっと、また……」

 

 別れは異界渡りにとっては当たり前のことだ。それはとても辛いことかもしれない。だけど、留まり続けることが正しいとは限らない。成長するには停滞から抜け出すことが必要だ。

 きっとまた会える。今度、会う時にはもっと成長した姿を見せてあげなくては。


 その日の夜はやけに静かだった。色々なことがあったせいで疲れ切っていたため、ベッドに入ると、すぐに寝付くことができた。




 翌朝、リシュリオルはホテルで最後の仕事をした。昨日の夕食と同じ様に、朝食の案内を。

 グレスデインが食堂の扉を通り抜ける時に『朝食が終わったら私達の部屋に来てくれ』と告げていった。


 リシュリオルは朝食を終え、グレスデイン達の部屋に向かう。


 その途中、廊下の窓から街の景色を眺めるイルシュエッタの姿を見かけた。面倒事を仕掛けてきそうだったので素通りしようとしたが、彼女はすぐにこちらの存在に気付いてしまった。


「リシュ。これからの予定は決まったみたいだね」

「ま、まあ……」何をしてくるか分からないので、一歩退く。


「どうして逃げるの? 私ってそんなに信用されてないかな?」悲しげな声で話しながら、イルシュエッタが一歩近付いてくる。リシュリオルは胡散臭さを感じ取り、また一歩退く。


「一つだけ、リシュに再会した時にやっておこうと思っていたことがあるんだ」

「何を?」

「ハグ」

「いや、いいよ……。勘弁して下さい」

「これはリシュの強さを測るためのハグだから。出会った時には私の力に全く敵わなかったでしょ? どれくらい強くなったか確かめてあげる」

「それなら、やってやる。来い!」リシュリオルは両腕を身体にぴったりとくっつける。


 リシュリオルはイルシュエッタの挑発に安々と乗った。だが、今の自分なら彼女の凶悪な抱擁を破ることができると考えていた。


「じゃあ、行くよ」イルシュエッタの両腕がリシュリオルの身体をしっかりと抱く。


 リシュリオルは全身に力を込め、イルシュエッタの腕を弾き飛ばそうとする。少しだけ、彼女の腕の力が緩んだ。


「やるね! 私も本気を出さないとダメみたいだ」


 イルシュエッタの腕に更に力が入る。急にリシュリオルの身体に掛かる力が大きくなる。まるで、万力に挟まれているかの様だった。

 全く身体を動かせなかった。もう強さを測るとかそんなことはどうでもいい。このままでは彼女に絞め殺される。


「ま、待て。イルシュエッタ! もういい!」

「もうギブ? まあ、こんなものか」


 イルシュエッタはリシュリオルの身体から離れると、余裕そうに両手をぶらぶらと揺らした。リシュリオルはその場に膝をつき、息を荒らげていた。


「……やっぱり『師匠』には勝てないな」リシュリオルはイルシュエッタの顔を見上げて笑った。


 リシュリオルの発言に驚いたのか、ぽかんと口を開けているイルシュエッタ。少し間を置いた後、彼女も笑い出した。

「当たり前じゃん。まだまだ『弟子』には負けてられないよ」


 イルシュエッタは膝をつくリシュリオルに手を伸ばす。リシュリオルは彼女の手を借りて、ゆっくりと立ち上がった。


「何をしているの? 二人共」リーリエルデが彼女達の泊まっている部屋から現れた。

「あ、先輩。……師弟の絆を深め合ってたんですよ」イルシュエッタがおどけた調子で話す。

「変なことを言うな!」リシュリオルはヘラヘラと笑うイルシュエッタに向かって怒鳴った。


 二人の様子を見て、リーリエルデは不思議そうに首を傾げていた。イルシュエッタがそんなリーリエルデの隣に並ぶ。


「リシュもまた旅に出るみたいなんだ。だから、先輩から何か言ってあげてよ」


 イルシュエッタからの唐突な提案に戸惑うリーリエルデ。

「と、突然ですね。……ええと……頑張ってね、リシュ。あんまり無茶なことはしないでね……」

「うん、分かった」


「あと体調には気を付けて。健康第一だからね。他人には常に礼儀正しくね。イルさんみたいな態度は駄目だよ」

「言わずもがな」リシュリオルはイルシュエッタの方を一瞥して、鼻で笑った。


「もういいです先輩」イルシュエッタは苦笑を浮かべながら、リーリエルデの話を切り上げさせた。

「そうですか?」

「ええ、もう充分です」


「じゃあ、次はイルさんから何か言ってあげて下さい」

「私からですか……?」


 イルシュエッタは目を瞑って考え込む。しばらくの間、『うーん』とか『えー』とか悩ましく唸り続けていたが、結局その口から出てきた言葉は……。


「強くなれ、我が弟子よ!」


「それしか言うことないのか、私の師匠は」呆れた顔でため息を吐くリシュリオル。イルシュエッタの顔を二度見した後、最大限の侮蔑を込めて、もう一度大きなため息を吐く。


「じゃあ、行ってきます。そっちも元気で」リシュリオルはあっさりと二人に別れを告げて、グレスデインの元へ向かった。


 リシュリオルの背中を見送るイルシュエッタが呟く。

「うーん。今回は引き分けってところかな」

「何の勝負かは分からないですけど、私達もそろそろホテルから出ましょう」


 イルシュエッタとリーリエルデの二人は部屋に戻り、出発の準備を始めた。

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