人と善
贖罪の旅。
それは、ラフーリオンがとある異界の街にいた時の出来事。
隣街に向かう為の行路に野盗が現れるという噂がその街には流れていた。ある日、ラフーリオンは街の人々が隣街に行くと話しているのを耳にし、噂のこともあり、彼等に付いていくことにした。
道中、噂通りに野盗が現れ、ラフーリオンは野盗を返り討ちにしてやった。街の人々は安心して隣街まで向かうことができた。
隣街での用事を済ませ、街へと戻る。ラフーリオンが野盗を追い払ったおかげで、何事もなく帰路を往くことができた。だが……。
街は炎に包まれていた。ラフーリオンが戦った野盗は、街に残っている人員を調べるための尖兵だった。野盗達の狙いは最初から街そのものだった。
ラフーリオンはその場に残っていた野盗達全員を殺害した。そして、野盗の拠点を調べ上げ、彼等の全てを壊滅させた。
多くの犠牲者が出た。犠牲者の中には宿がなく困っていたラフーリオンのことを快く家に泊めてくれた親子がいた。
(最初から、全員殺しておけばよかったんだ……)
映像が切り替わる。
先程とは別の異界での出来事。
たまたま泊まることになった宿屋の娘が病に冒されていた。街の医者に話を聞くと、その病を治すには特殊な成分を含む水が必要になるという。しかし、その水は街から遠く離れた地域でしか湧き出ることのない珍しい物らしい。
ラフーリオンは水を採りに向かった。山を越え、海を渡った。長く険しい道のりだったが、無事に水を持ち帰り、娘の病を治すことができた。宿屋の夫婦が何度もラフーリオンに感謝の言葉を告げた。
再びこの異界の街を訪れる機会があったので、ラフーリオンは宿屋に行ってみることにした。彼の姿を見た宿屋の夫婦は悲痛に塗れた表情で言った。
「娘は流行病を患い、去年亡くなりました」
(俺には誰も救えないのだろうか。……俺は呪われているんだ)
映像が切り替わる。何度も何度も切り替わる。彼の贖罪の行為が全て無意味であったかのように、悲惨な結末を迎えた出来事がスクリーンに映し出された。
そして、また映像が切り替わる。
真っ暗な部屋で項垂れるラフーリオン。
(もう贖罪は終わりだ。全て終わり。あとは君の元へ……)
映像が切り替わる。
明るめの茶髪を後ろに結んだ女性がラフーリオンに話し掛ける。
「師匠! 久し振りだね」
「元気無いですね。何かあったんですか?」
「え? 異界渡りの最終地点? どうしてそんなこと聞くんですか?」
「……」
彼女は涙を浮かべながら、何処かに消えた。
(イルシュエッタ……。あの時、俺は何と言った? とにかく酷い言葉をぶつけてしまったことだけは覚えている。……俺は最低だ)
映像が切り替わる。
ハット帽を被った背の高い男を話すラフーリオン。
「ラフ、俺にはお前を止めること出来ないみたいだな」
「もう、勝手にしろよ」
「勝手に野垂れ死んじまえ」
彼はラフーリオンに背を向けて、何処かに消えた。
(ゼールベル……。お前は良い友人だったよ。最後まで俺を引き留めようとしたのはお前だった)
映像が切り替わる。
黒髪の少女。ラフーリオンを睨みつけている。
「……ラフーリオン。さっさと私を異界に連れて行け」
最初は新しく科せられた『呪い』なのだと思ったが、旅を続ける内に彼女となら贖罪の旅をやり直せるかもしれないと心の片隅で考えるようになっていた。
彼女の側にいると、罪悪感で沈んだ心が軽くなっていく気がした。贖罪の呪いの鎖を解いてくれる気がした。
「リシュリオル……」
流れ続ける少女との旅の映像を見ていたラフーリオンは不意に呟いた。そして、彼の呟きと共に夢の世界の形が湾曲し、崩壊していく。
目が覚めたら全てを話そう。これが最後の機会になるかもしれないから。
ラフーリオンは目を覚ました。ゆっくりと身体を起こし、自分の居場所を確認する。薄暗い部屋に置かれたベッドの上。それだけしか分からない。ベッドの近くに置いてあったランプのスイッチに手を触れ、ランプの明かりを部屋の中に照らした。
沢山の本棚が並ぶ部屋。あまり使われていないのか、本には埃が積もっていた。適当に本棚に入っている本のタイトルを確認すると、全ての本が医療に関わるものだった。本棚から視線を逸し、部屋全体を見回す。壁際にソファーが置かれており、その上でリシュリオルが寝息を立てていた。
彼女の寝顔をじっと見つめる。ランプの光に当てられたせいか、ラフーリオンが起きてから程なく、リシュリオルは目を覚ました。彼女の視線は部屋の中を照らすランプに向かった後、自ずと近くのベッドの上にいるラフーリオンへ動いた。寝ぼけ眼のリシュリオルと目が合う。
「起きたのか」
「ああ。俺はどのくらい眠っていたんだ?」
「二日位だ。よっぽど疲れていたんだろうな」
「溜まっていた疲労が全て吹き飛んだ気がする。生まれ変わった気分だ」
ラフーリオンはベッドから抜け出した後、窓際に向かい、カーテンを静かに開いた。窓から街の景色を望み、自分が何処にいるかを探る。
「ここは、何処なんだ?」
「お前が急に倒れて、偶然通りがかった医者の夫婦が助けてくれたんだ。ここはその夫婦の家」
「そうか……。迷惑を掛けたな」
夜の街を見続けるラフーリオン。明かりが付いている家は無い。街を照らす光は夜空から降り注ぐ月光だけだった。静かな夜。長話をするには絶好のタイミングかもしれない。
ラフーリオンは振り返り、リシュリオルを見る。彼女は何処か不安そうにラフーリオンの様子を伺っていた。
「リシュ、まだ寝るのか?」
「……いや、もう寝ない。目が覚めたから」
「なら、たまには俺と話をしないか?」
「……分かった」
ラフーリオンはリシュリオルに自分の過去のことを話した。メイレアーネのこと、彼女の病のこと、彼女に手を掛けたこと。その償いのために旅を続けたこと、その旅で身も心もすり減ってしまったこと。様々な人に出会い、別れたこと。リシュリオルに出会ったこと。
リシュリオルは最後まで何も言わずに、ラフーリオンの話を聞き続けた。彼が全てを話し終えた後もリシュリオルは沈黙を続けていた。
しばらくすると、誰かが廊下を歩く音が聞こえた。木製の床を叩く音がリシュリオルの沈黙を破る。
「きっと奥さんだ。昨日も今ぐらいに私を起こしに来た」
部屋の扉がノックされ、リシュリオルが『どうぞ』と返事をする。すると、扉が軋んだ音を立てて開かれ、一人の女性が部屋の中に入ってきた。
「おはよう、リシュ。朝食ができたわよ。……あら、お連れの方、目を覚ましたのね」
「……どうも」ぎこちなく挨拶するラフーリオン。
「ずっと寝ていたからお腹が空いているでしょう? さあ、一緒に朝食を食べましょう。自己紹介も兼ねて!」
「分かりました」
二人は言われるがままに、部屋を出て朝食を食べに向かった。
朝食を食べている間、ラフーリオンは自身の事を大まかに話し、介抱してくれたことについて、礼を言った。
夫婦は二人揃って『どういたしまして』と屈託のない笑顔で答えてくれた。
朝食を終えた後、あまり長居するのは良くないと思い、二人はすぐに夫婦の家から出発することにした。ラフーリオンは夫婦との別れ際に手持ちの金をできるだけ渡そうとした。しかし、夫婦はそれを受け取ろうとしなかった。
「どうして何の得もないのに、見ず知らずの旅人をここまで親切に扱ってくれたのですか?」ラフーリオンは思わず聞いてしまった。彼等は自分を助けてくれた命の恩人だというのに。
夫婦はきょとんとした顔を見合わせた後、ラフーリオンへと視線を戻す。そして、朗らかな笑みを浮かべながら、夫の方が語り出した。
「私達は昔、海岸沿いに住んでいたことがあったんだ。その時に、家の屋根にぽっかりと穴が空いてしまってね。たまたま通りがかった君達のような異界渡りの旅人さんが綺麗に直してくれたんだ。でもね、数日後に大きな嵐が来て、家はそれに飲み込まれてしまった……」
「……」ラフーリオンは気の毒そうに彼の話を聞いていた。
今度は妻の方が口を開く。
「結果的には旅人さんがしてくれたことは無駄になってしまったかもしれない。けれど、結果だけが全てじゃないと、私達は思ってる。私達はあの旅人さんがしてくれたことを決して忘れていないわ。……自分が助けた誰かがその善意を覚えていて、別の善意に繋がったら……。そう考えたら、なんだか素敵じゃない? ……この世の中を生きていくには、甘い考えなのかもしれないけどね」
「いえ、そんなことは……」
ラフーリオンの過去の記憶が凄まじい速度で浮上し始める。今まで自分がやってきたことは全て無駄だったのだろうか。この夫婦が言うように何処かで誰かが自分の善意を受け継いでいるかもしれない。
人は愚かで冷酷な部分が目立つ生き物だ。しかし、今まで人という種が生き延びてきたのは、きっと何処かに『善』があったからではないだろうか。『善』が無ければ人は皆、悪魔と同じだ。悪魔には何かを引き渡すことも、受け継ぐこともできない。『善』が人から人を繋いできたのではないだろうか。
誰かが『善』を循環し続けなければならない。そうしなければ、人という種は保てない。きっと異界渡りは、世界の『善』を動かす為の歯車なのだ。『善』という鍵を渡し、また新しい『善』という鍵を渡すために次の異界への扉を開いていく。……だが、俺という歯車はもう回らなくなってしまった。
いつの間にか、涙が頬を伝っていた。夫婦が心配そうにラフーリオンに話しかける。
「すみません、大丈夫です」ラフーリオンは涙を拭い、離れた場所で街の景色を眺めるリシュリオルを一瞥した。すぐに夫婦の方へ振り向き直し、口を大きく開いた。
「ありがとうございました。この御恩は忘れません」
ラフーリオンは深くお辞儀をした後、リシュリオルの元へ向かおうとした。しかし、直ぐに身を翻して、夫婦に強引に金を手渡した。二人は呆然とラフーリオンの行動を見つめていた。
「やっぱり、このままじゃ俺の気が済みません。これは渡しておきます。治療費だと思って下さい。……それでは、本当にありがとうございました!」
最後の礼を告げ、ラフーリオンは夫婦から逃げるようにリシュリオルの元へ走り出した。
「待たせたな、リシュ」
「遅かったな。……何を話してたんだ?」
「お礼を言っていただけだ」
ラフーリオンの目元が赤くなっていることに、リシュリオルは気付いていたが、見て見ぬふりをして、異界の扉の気配へと向かった。ラフーリオンは颯爽と坂道を下りていく彼女の背中を追った。
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