情熱の黒い炎、もう一つの大火

 全てが終わりに近づいていた。決して良い意味ではなく、悪い意味で。


「皆さん、もう策はありませんか?」絶望に沈む空気の中、突然アリゼルが声を上げた。

「何も無いのですね?」再び声を上げるアリゼル。

 この状況から竜を倒す術など誰も思いつきはしなかった。街にいる人間達が今から逆転劇を起こせる、そんなことも期待できなかった。


 アリゼルは誰も口を開かないことを確認してから、言った。

「仕方がない、最後の手段と行きましょうか」


 俯いていたリシュリオルが顔を上げた。

「最後の手段? 奴を倒せる方法がまだあるのか?」

「はい。ありますよ」


「どんな……方法なんだ?」

「私が奴に取り憑くんです。昔、一度だけこの方法で竜を殺したことがあります。精霊との相性が悪い宿主は必ず死に至る。そして、大体の場合、竜と精霊は相性が最悪ですから、きっとあの竜もこの方法なら倒せる筈です」


 アリゼルの言葉を聞いて、リシュリオルの表情が曇る。……それが最後の手段だと?


「……竜に取り憑くなんてことは、最初からできたことなんじゃないのか?」

「ええ、まあ、そうですね」


「どうして、やらなかった……」リシュリオルはその目を見開き、息を切らしながら話す。

「少々、痛い思いをすることになるので――」

 リシュリオルがいきなりアリゼルの言葉を遮るように、目前まで詰め寄った。

 

「どうして、先生が死ぬ前にやらなかったんだ!」リシュリオルの怒りの叫びが木霊した。

「落ち着け、リシュ!」ラフーリオンがリシュリオルの身体を抑えつける。


「……言い訳がましいですが、聞いて下さい。精霊が相性の悪い者に取り憑いた時、宿主に大きな損害を与えますが、私達精霊にも全く影響が無いわけではありません」

「その『影響』というのは何なんだ?」リシュリオルを落ち着かせながら、ラフーリオンが尋ねる。


「まず、時間の感覚に異常が発生します。体感時間がどんどん長くなっていく。そして、その感覚は徐々に悪化していきます。一秒が十秒に、一分に、一時間に……」

「それがなんだよ! なんで先生を助けなかったんだ!」リシュリオルがうるさく喚き散らしたが、アリゼルは淡々と話し続けた。


「次に身体の内部から全身へと、激痛が流れ始めます。人間の痛覚という物がよく分からないので、この例えが合っているかは分かりませんが……。多分、体内を金属線が泳ぎ回っているような感覚です」

「……想像もしたくないな」ラフーリオンの顔が歪んだ。周囲の仲間達にも嫌悪の表情が浮かんでいた。


「そして、いくら宿主との相性が悪くても、何かに取り憑いた精霊には実体があります。あの竜は私を諦めさせるために、様々な攻撃を仕掛けてくるでしょう。一番の問題は、奴が並大抵の竜ではないこと。きっと私が取り憑いても、すぐには死なない」

「竜が死ぬのには、……どれくらいかかるんだ?」リシュリオルが尋ねる。アリゼルに当たり散らすのは、もうやめていた。


「私がこの方法で竜を仕留めた時は、体感で三百年程掛かりました。外界では数年程しか経過していなくて驚きましたよ」高笑いするアリゼル。


 ラトーディシャがリアノイエの肩を借りながら、アリゼルに歩み寄った。

「その竜はどのくらいの強さだったんだ? そして、アドラウシュナ相手なら何年かかる」


「あなたのお兄さんの片腕くらいの強さですかねー。正直な所、あの大きな竜がいつ力尽きるかは分かりません。体感時間はどんどん変わってしまうので」

「片腕……。それって、千年とかそういう話になるんじゃ……」ゼールベルが目を丸くしている。


「きっと、もっともっと長い。まあ、私は最上、最高、最強の精霊ですから、あんな鎧トカゲ如きには負けませんよ」アリゼルはまた高笑いした。


 その場にいた皆が沈黙した。アリゼルが犠牲にならなければ、アドラウシュナを倒せないという現実に打ちひしがれていた。


「では、そろそろ行くとしますか――」ふわふわと宙に浮き上がっていくアリゼル。

「駄目だっ!」リシュリオルの声により、アリゼルは飛び立つのをやめる。


「そんなの勝てない! 黒炎でも、あの光でだって、死なない奴に勝てるわけない! もう先生の敵なんていいよ! 皆で逃げればいい!」リシュリオルはアリゼルを留めようと必死に説得しようとする。アリゼルはリシュリオルの言葉を聞いて、空中から彼女の側へと降り立ち、穏やかな口調で話し掛ける。

「リシュ、私のことを信用できないのですか? それにあの竜のことだ。全員を始末するまで追いかけてきますよ」


「何がなんでも駄目だ! アリゼルだってそんなことしたくないんだろ?」リシュリオルが懇願するようにアリゼルに問いかける。


 一瞬だけ、アリゼルが硬直する。


「クソガキが……」苛ついた声が小さく聞こえた。

「え?」聞き慣れない荒々しい語気に、リシュリオルは呆然としていた。


「この、クソガキがっ!」アリゼルの重く鋭い鉄拳がリシュリオルの顔面にめり込んだ。リシュリオルの身体は宙に浮き、少し離れた場所にいたラフーリオンの足元まで吹き飛んだ。ラフーリオンは口をぽかんと開けたまま、足元に倒れたリシュリオルを見た。


「黙って聞いていれば、都合のいいことばかり言いやがって! こんなことしたい訳がないだろ、この短絡脳の馬鹿がっ! だが、私がやらなきゃ、全員死ぬんだぞ! それでもいいのかお前は!」切れる偉大なる精霊。


 その場にいた皆が沈黙した。今度は豹変したアリゼルの様相に対してだったが。


「……おっと、皆さん。お騒がせしましたね」今まで通りの態度に戻るアリゼル。軽く一礼した後、殴り飛ばしたリシュリオルの元へと近寄る。


「殴ってすみません、リシュ。……お詫びと言ってはなんですが、私の力の一部をあなたに預けておきます。その髪飾りのリボンに」

 アリゼルの指先がリシュリオルの髪についていたリボンに触れる。指先が触れた瞬間、リボンは一瞬だけ赤い光を放った。


「黒炎も一応、使えはしますが、火力には期待しないで下さい。……おや、泣いているのですか?」

「お、お前に殴られたから……」顔を片手で抑えながら、もごもご話すリシュリオル。


「私が消えた後、そうやってめそめそと泣いていたりしてはいけませんよ。さっさと次の異界に赴いて、一人前の異界渡りになって下さい」

「わ、分かってるよ!」リシュリオルは嗚咽をこらえるような、苦しそうな声で怒鳴った。


 アリゼルは視線を上げて、ラフーリオンへと向かい合った。

「ラフーリオンさん。リシュのこと、お願いします」

「分かった」ラフーリオンは一言で、アリゼルの頼みを受け入れた。


「では、皆さん、行ってきます。暫くしたら、また帰ってきますよ」アリゼルは素早く宙へと飛び去り、皆の元から離れた。


 漆黒の影が灰色の曇り空を割いていくのが見えた。




 雪降る空を高速で翔けるアリゼル。アドラウシュナの巨体へと徐々に近づく。


 どうして、こんなことをしているのだろうか。アリゼルはふと思った。ディイノーカ、彼への償いの念か。それとも、リシュリオル、彼女の激しい情動に触れていたせいだろうか。

 人間と精霊、共生に近い関係にあるが、結局は相容れない存在同士だ。人の思いで、精霊の心情が変わるなど、ありえない話だな。

 

 アドラウシュナの姿が目前に現れる。相手もこちらの存在に気付いたようだ。巨大な腕を振るい、アリゼルの身体を薙ぎ払おうとする。だが、既にアリゼルは実体を失っており、アドラウシュナの腕はアリゼルの身体をすり抜けていくだけだった。


 そのことに気付いたアドラウシュナがニタニタと笑みを浮かべながら、尋ねる。

「精霊一匹だけで何をしに来たんだ?」

「新しい宿主を探していましてねー。ちょうど大きなトカゲが目の前にいたので、取り憑いてみようと近くに寄ってみました」


「何?」アドラウシュナは訳が分からない、そんな様子で一瞬考え込んだ。そして、アリゼルがやろううとしていることに感づく。

「お前、まさかっ!」もう遅かった。アリゼルはアドラウシュナに既に取り憑いていた。


 気が狂うような激痛がアドラウシュナの肉体へと走る。あらゆる攻撃をものともしなかった氷の竜が、全身に襲いかかる凄まじい苦痛によって、絶叫した。しかし、アリゼルもそれは同じだった。尋常ではないほどの痛みで、思わずうめき声を上げる。


「この行動! お前にとっても壮絶な痛みを伴う筈だ! いくら名のある精霊だとしても、その精神は長くは持たない!」


「情熱ですよ」

「何だと?」


「情熱です。あなたのような胃の中が枯れてしまうほどに、反吐が出る邪悪を滅ぼせると思うと、燃えてくるんですよ。心は力。私の心が燃えている内になら、私は戦い続けられます」

「クソみたいな理屈を俺に語ってんじゃねぇ!」激しい痛みと怒りで、この世のものとは思えないような声で喚くアドラウシュナ。


「……この言葉、言われる方は尋常ではない程にムカつきますが、言う方は気分がいいですねー。ディイノーカの気持ちが少し分かりました」ケラケラと楽しそうに笑うアリゼル。


「笑うなぁあ!」アドラウシュナの猛烈な攻撃が始まる。大量の氷の刃がアリゼルの身体に突き刺さった。

「その程度ですか?」全身が串刺しになっても、アリゼルは一切動じなかった。


「くそっ! くそっ! 一人では何もできないカスの精霊如きがふざけた真似をしやがって! どんなことをしてもお前を仕留めてやる! 氷塊の中だ! お前をあの中で消し去ってやる!」アドラウシュナはアリゼルの身体を掴み、氷塊に向かって移動を開始する。 


「……一人で何でもできると勘違いして、自分以外の全てを葬り去ろうとしているあなたよりは幾分かはマシですよ」冷たく笑いながら、アリゼルは言った。


 アドラウシュナは半分ほど崩れかけていた氷塊の中に戻ると、崩壊した箇所を修復し、自身とアリゼルを冷たい檻の中に閉じ込めた。

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