希望の火は……

 激しい光の爆発が収まり、皆がその目に見たものは、未だ広大な雪原に立ちはだかる巨大な竜の姿だった。

 アドラウシュナは『兵器』の光を浴びても、鎧の一部が剥ぎ取れただけで倒れることはなかった。

 

「ははは、もう終わりか? ……人間共!」アドラウシュナのけたたましい笑い声が、街にまで届いた。


「まだだ! まだ終わりなんかじゃないっ!」ラトーディシャがアドラウシュナの頭上から一気に急降下し、光が直撃した胴体へと向かう。アドラウシュナの胴体には、鎧の下にある焼け焦げた肉が見えていた。


「あそこに『こいつ』を打ち込めば!」赤色の液体が入った大きな瓶を手に持つラトーディシャ。


 しかし、『兵器』による光で破壊された鎧は、凄まじい速度で修復されていた。


「間に合わないのか!」光が与えた傷口は目前にあったが、鎧の修復速度はラトーディシャよりも速かった。もう塞がってしまう。奴を倒す、またとない機会を失ってしまう。


「ラトー、それを貸せ!」背中に乗るリシュリオルが手を差し伸べながら、叫んでいる。

「何をする気だ?」長い首を背中に向けて、リシュリオルを見る。

「いいから!」


 ラトーディシャは瓶をリシュリオルに渡した。リシュリオルは受け取った瓶を布で包み左の手の平に乗せ、瓶の側面に右手を添える。そして、右手から炎を放出、爆発させ、その勢いで瓶をアドラウシュナの傷口へと吹き飛ばした。


「行けッ!」


 吹き飛んだ瓶は鎧の修復よりも速く、アドラウシュナの傷口にめり込み、割れた。瓶の中に入っていた赤い液体がアドラウシュナの肉に染み込んでいく。


「何をしていやがる!」アドラウシュナの腕がラトーディシャに迫った。機敏に動き回り、振り回される巨大な両腕を躱すラトーディシャ。攻撃を躱しながら、アドラウシュナから距離を取る。


「もう終わりだ、アドラウシュナ。お前の身体に毒を流し込んだ。僕自身の血液から作った毒だ。もうすぐお前の身体は乾いた土のようにひび割れて崩れ落ちる」 


「毒? お前の血で作った毒だと?」アドラウシュナの攻撃が止まる。

「そうだ! 竜を殺す毒。それは同じ竜の血から作られる。この毒を作るのには長い時間がかかったが、お前が眠っている間に完成させた」


「……」アドラウシュナは鎧に包まれた頭部を静かにラトーディシャに向けていた。両者は互いに目を合わせながら、黙り込んでいた。暫くすると、邪悪なる竜の嘲笑が沸き起こり、沈黙を破った。


「本当に本当に本当に、ラトーディシャ! お前は愚かな奴だよ!」アドラウシュナが下卑た笑い声を発する。

「何が可笑しい!」ラトーディシャは笑い続けるアドラウシュナの様子を見て、動揺する。


「その毒なら俺も作ったことがあるよ、本当に効果があるか実験したことがある。ラトー、父親が消えた時、最初に食ったものを覚えているかぁ? あの鈍臭い母親と、ご馳走を、大きな肉を食ったろぉ?」

「な、何を言ってる……」動揺を拭えないでいるラトーディシャ。


「俺は混ぜたんだ! 母親が食っていた肉に毒を混ぜたのさ! 効果は言うまでもない! お前自身が知ってるよなぁ。お前の母親は砂になって、綺麗サッパリ消えちまった。毒の効果を知った俺は最初の眠りについた時に竜の血の毒への抗体を体内に生成した。だから、この毒は俺には効かない! お前の下らない努力も水の泡だな!」アドラウシュナの汚く、いやらしい高笑いが雪原に響き渡る。


「毒が……効かない? もう、これ以上の手は……」ラトーディシャは絶望し、空中で硬直していた。

「ラトー、ラトーディシャ、しっかりしろ!」リシュリオルがラトーディシャに必死に呼びかける。


「もう一つ、教えてやる。お前があの時、母親と食った肉は何の肉だと思う?」

「……」アドラウシュナの質問に何も答えぬまま、ラトーディシャは過去の記憶を掘り返そうとする。


「俺達が住んでいた雪原には、獣一匹いやしない。浅い部分にある地脈からエネルギーを吸い取って、ほそぼそと生きていた。あの肉は、父親が消えて寂しがっていた母親を慰める為に、俺が用意したんだ。大量の力を蓄えている心臓を取り除いた後、丹精を込めてな。すぐにはバレなかった。しっかり準備した甲斐があったよ。……もう一度聞くぞ。あの肉は『何』の肉だと思う? 物分りがいいお前なら分かるよなぁ」


「……殺してやる」ラトーディシャは静かに呟いた後、アドラウシュナの巨体に真っ向からぶつかりに行った。

「落ち着け! ラトー!」リシュリオルの声は、もうラトーディシャには届いていなかった。


 「美味かったかぁ? 父親の肉は」アドラウシュナはラトーディシャの怒りに満ちた感情を更に燃え上がらせる為に、下衆な問いで彼を挑発した。


「黙れ! 殺してやるッ、アドラウシュナ!」ラトーディシャは遂に激高した。頭の中に巡っているものは憤怒と憎悪だけだった。

「やめろ、ラトーディシャ!」リシュリオルはラトーディシャを止める為に叫び続けたが、彼は怒りに任せて、無意味な攻撃を繰り返した。

 

 ラトーディシャのでたらめな攻撃はすぐに終わりを告げる。アドラウシュナの腕がラトーディシャの身体を捕らえ、握り締める。


「くそっ、畜生ッ!」ラトーディシャはアドラウシュナの腕の中でもがき、殺意をむき出しにして、叫び続けた。


「小うるさい蝿が。蝿は、糞の人間共と戯れてろ」アドラウシュナは大きく腕を振りかぶり、街に向かってラトーディシャを放り投げた。




 街の最先端で待機していたラフーリオンとゼールベルは異界渡りの力を使って、勢い良く飛んできたラトーディシャとリシュリオルを受け止めた。

 二人は疲弊し、もう戦える状態ではなかった。リシュリオルは何とか立ち上がることはできたが、腕がうまく動かせなくなっていた。ラトーディシャも竜の姿を保つことができなくなっていた。


「まだだ。……まだ戦える」ラトーディシャが満身創痍の身体をゆっくりと起こし、アドラウシュナに向かって、ふらふらと歩きだした。

「待て、ラトー」ゼールベルがラトーディシャの肩を掴む。


「放せよ」ラトーディシャは肩に置かれたゼールベルの手を払いのけて、足を進める。

「おい! 待てって!」ゼールベルの声はラトーディシャの耳には届いていなかった。

 

「殺す、殺してやる……」ラトーディシャは何かを呪うようにぶつぶつと呟きながら、血走った目で遠くにそびえ立つ巨大な竜の姿を見据えている。絶えることのない憎悪の念が、彼から理性を奪っていた。


 今にも倒れてしまいそうな足取りで歩き続けるラトーディシャを誰かが背中から抱きしめた。ラトーディシャは自身の動きを止めている者を振り払おうと、背後へ視線を向ける。彼を留めていたのはリアノイエだった。涙を流しながら、か細い腕で彼の身体を掴んでいる。


「もういいよ、ラトー。……約束したでしょ?」リアノイエが涙声で話す。

「約束……」


「……私の所に戻ってきて。……もう行かないで」リアノイエの腕がラトーディシャの身体を更に強く抱きしめる。

「リア……」ラトーディシャは我に返った。

 そして、他の仲間達の顔を見渡して言った。


「すまない、奴を倒せなかった……」悔しそうに両の拳を握りしめていた。


 皆に灯っていた希望の火は消えてしまった。もう街の人間達に残されている道は竜に滅ぼされるか、何も無い雪原に逃げることだけだと、誰もがそう考えていた。

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