決戦の序幕
早朝。この街に来てから、今までに聞いた中で最も大きな異音が街中に響き渡った。氷塊に走っていた亀裂が更に大きく深くなっているのが、宿舎からでもすぐに確認できた。
街の端で氷塊の様子を確認していた者が、ノバトゥナの元へと急いで駆けつけ、亀裂の隙間から竜の姿が見えたことを報告した。
その直後、氷塊に亀裂が入る音とは別の禍々しい叫び声のような物が街に轟いた。竜の咆哮だった。今、この瞬間に竜は目覚めたのだ。
リシュリオルとラトーディシャは急いで、竜のいる雪原に向かった。この二人以外に竜を相手に前線に立てる者は、この街にはいなかった。
ラフーリオン達は二人を街から援護する。
氷塊の亀裂から吹雪が吐き出され、街を覆い始める。そして、再び竜の咆哮が轟く。
亀裂は氷塊全体に走り始めていた。そして、遂に竜を覆っていた氷塊が崩れ落ちていく。崩れていく氷塊の中に、蹲る竜の姿が見えた。
竜は次第に身体を開き始め、その全体像が露わになる。
竜はあまりにも巨大だった。全身に鎧のような甲殻を纏っており、背中から伸びる太いパイプのようなものが地面に突き刺さっていた。
「以前よりも大きい。あんな甲殻も身に付けてはいなかった。翼を地脈からエネルギーを吸い上げることに特化した形状に変化させて、自身の身体の成長を加速させたのか」アリゼルが独り言のように呟きながら、冷静に竜の分析をする。
リシュリオルとラトーディシャはアリゼルの様に落ち着いてはいられなかった。
「話には聞いていたが……。あれが竜なのか? 竜はあんなにも巨大になれるものなのか?」ラトーディシャが驚愕の声を上げている。
「『先生』はどうやって戦ったんだ? あの竜と!」リシュリオルも叫んでいた。
「作戦通りに行動すれば勝機はあります。さあ、行きましょう!」アリゼルは二人を勇気付け、戦う準備をするよう促した。
「ああ、やってやる。ここで引いたら全部終わりだ!」
「その通りだ、リシュ! 今、氷の竜の力を解放する!」
リシュリオルの髪が赤く染まり、長く伸びていく。その髪をラフーリオンから貰ったリボンで纏め上げる。
ラトーディシャは風を巻き起こし、自らの身体を包み込んだ。風は光り輝く吹雪となり、彼の姿が見えなくなる。
吹雪が収まると、そこには竜へと姿を変えたラトーディシャがいた。
「僕の背中に乗れ、リシュリオル!」
「分かった!」
ラトーディシャはリシュリオルを背中に乗せると、雪の舞う空へと飛び立った。
ラトーディシャとリシュリオルは空中から、まだ完全に氷塊から抜け出せずにいるアドラウシュナに接近した。
曇り空の隙間から差し込む光に照らされるアドラウシュナの巨体は、禍々しさと神々しさを混在させていた。
突如、腹の底に響くようなおぞましい笑い声が聞こえてきた。同時にアドラウシュナの甲殻に覆われた頭が空を舞うラトーディシャの方へと向く。
「懐かしい気配がすると思ったら、小さな小さなラトーディシャじゃあないか。まだ生きていたのか?」
「お前を倒す為に、必死に命を繋いできた!」
「なら、その命もここでお終いだな!」アドラウシュナは薄汚い笑い声を放つと同時に無数の氷の矢を甲殻の隙間から撃ち出した。
リシュリオルは黒炎を空にばら撒き、氷の矢を蒸発させる。
「黒炎! あの忌々しい精霊か!」アドラウシュナが黒く燃え盛る炎を見て唸る。
「焼き払ってやる!」リシュリオルの叫びと共に大量の黒炎がアドラウシュナを包んだ。
しかし、炎が消えた後に見えたアドラウシュナの身体には、傷の一つもついてはいなかった。
「ぬるい、ぬるい。……眠っている間、対策したのさ。黒炎を遮断する為の鎧を身に付けたんだ。俺を殺し切れず、無様に死んだ誰かさんのおかげで学んだのさ」
「くそっ! もっと出力を上げれば!」
リシュリオルは歯を食いしばり、精霊の力を再び放とうとする。
「リシュ、無駄な消耗は避けるべきだ。ラトーさんの援護をするだけでも十分です」アリゼルがリシュリオルの行動を制止する。
「だけど――」
リシュリオルの訴えを遮るように、再びアドラウシュナの身体から、大量の氷の矢が噴き出し、ラトーディシャに向かって襲いかかった。
リシュリオルは咄嗟に炎の壁を作り、飛び交う氷の矢からラトーディシャを守る。
「これでいいのか!」アリゼルに向かって叫ぶリシュリオル。
「はい。上出来です」
「助かるよ、リシュ。今は時間を稼ぐだけでいいんだ」
「分かってる。もう『あの作戦』でしか勝つ術は無いんだろ?」
「そういうことです。……そうでなくては困る」
アリゼルの声色が少しだけ変わったことにリシュリオルは気付く。だが、一瞬感じた違和感も直ぐにかき消されてしまう。
アドラウシュナの巨大な腕がこちらに向かってきていた。ラトーディシャはそれを既のところで躱す。
リシュリオルはラトーディシャの背中に括り付けた手製の布の手綱をしっかりと握り締める。この高さから振り落とされたら、どうすることも出来なくなる。
ラトーディシャはアドラウシュナの周囲をぐるぐると回り、リシュリオルは脆弱そうな部分に目星をつけて、黒炎を放つ。
だが、アドラウシュナが長い眠りの中で手に入れた鎧は、炎を完璧に拒絶した。
「炎は完全に通用しない。……本当に、こいつに傷をつけることなんてできるのか?」
リシュリオルは街の方を見る。
「できるさ。あれだけ沢山の精霊が集まれば、凄まじいエネルギーを撃ち出せる筈だ。それでも駄目なら、僕が作ったこれで……」ラトーディシャが赤い液体の入った大きな瓶を手に取り、リシュリオルに見せた。
「……そうだな。きっと上手くいく」リシュリオルは笑顔で頷いた。
リシュリオルとラトーディシャが前線でアドラウシュナの気を引いている頃、街にいる精霊憑き達全員が街のある場所に集まっていた。
その場所には、街の人間達が竜を倒す為に製造した大砲のような形状の『兵器』が設置されており、その『兵器』を発動する準備の為、街の精霊憑き達は精霊の力を注いでいた。
昨日、街の人間とラフーリオン達が計画した作戦。その一つがこの『兵器』を発動させることだった。『兵器』は精霊の力を光に変換することができ、変換された光に強い指向性を持たせて射出できる。つまり、超高熱の光線を一点に撃ち出すことができるのだ。
だが、この『兵器』はエネルギーの充填に時間がかかる。リシュリオル達はその時間を稼ぐ為に、前線でアドラウシュナの攻撃を避け続けていた。
「充填は終わったわ。二人に連絡して下さい!」ノバトゥナが大声で指示する。
「分かった!」ゼールベルはその指示に対して頷いた後、無線機に向かって叫んだ。
「ラトー! 充填が終わった! 一分後に発射だっ!」
ノイズの混じったラトーディシャの声が無線機から返ってくる。
『分かった。奴の頭上に向かって上昇する!』
ノバトゥナがラトーディシャがアドラウシュナを越える高さまで上昇したことを双眼鏡で確認する。そして、大きく息を吸いながら右手を掲げた。
「射てッ――!」
轟音と共に『兵器』から光線が射出された。眩い輝きを放つ一本の光の筋が、巨大な竜に向かって、一直線に突き進んでいく。
そして、凄まじい熱量を持った光の先端が竜の胴体に直撃した。
「何だっ? この光はッ!」
アドラウシュナは激しい光の攻撃に抗うように、叫び声を上げた。リシュリオルの放った黒炎をものともしなかった甲殻の鎧が溶けていく。
『兵器』に蓄えられたエネルギーの放出が終わると、アドラウシュナを中心に猛烈な閃光が走り出し、その場にいた全ての者の視界を眩ませた。
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