それぞれの思い

 ノバトゥナが街の話を終えた直後、耳障りな金属音が街に響き渡った。


 一行は宿舎から出て、竜が眠る氷塊の方を見る。


「亀裂が大きくなっている」ノバトゥナが囁くように言った。

「……アドラウシュナはもう目覚めるかもしれない」ひび割れた氷塊を見て、ラトーディシャが呟く。


「アリゼル」

 リシュリオルがアリゼルの名を呼ぶ。

「竜が目覚める前に奴の話を詳しく聞きたい。奴が目覚める前にこっちも戦いの準備をしなくちゃいけない」

「そうですね。あの竜とまともに戦うには、半端な状態では難しいでしょうから」


「ラトーより強いのよね、あの竜は」アリゼルの話を聞いたリアノイエが不安そうに尋ねる。

「悔しいけど、僕よりも何倍も強いと思う」ラトーディシャが険しい表情で答える。


「ラトーより何倍も強いとなると、闘技場でラトーに数分間殴られ続けたゼルでも瞬殺だな」ラフーリオンが真顔でゼールベルを見る。

「俺で例えるなよ」ゼールベルが不愉快そうに言った。


 ノバトゥナがその場にいる異界渡り達の顔を不安そうに見回した。

「皆さんは、……本当に、私達の戦いに協力してもいいのですか? あの竜は並の相手ではありません。命を懸けて戦うことになるのは確実です」


「僕の旅の目的はアドラウシュナを倒すことだ。勿論、協力する」ラトーディシャが協力に同意する。彼の瞳には底知れぬ怒りの念が渦巻いていた。

「私も先生の敵を討ちたい。協力する」リシュリオルもラトーディシャに続き、協力に同意した。


「ラトーの目的の為なら私も手伝います。できることは少ないかもしれませんが……」リアノイエが震える手を抑えながら言った。

「リア……」

 ラトーディシャは怯えた声で話すリアノイエの姿を見て、彼女を異界に連れてきたことを後ろめたく思った。


「俺は現場には行かないが、できるだけ力を貸そう」ラフーリオンが手を上げながら、話し始める。

「あと、身の危険を感じたら、すぐに何処かに消えるから。……そこの所もよろしく」ラフーリオンは緊張した空気の中でも、変わらない信念を持っていた。


「それでいいよ、ラフーリオンは。その方がラフーリオンらしくて良い」リシュリオルは何処か嬉しそうに、ほのかな笑みを浮かべていた。

「なんだか引っ掛かる言い方をするな」ラフーリオンは口元を緩ませるリシュリオルをじっと見つめた。


「悪いが、俺もラフーリオンと同じようにさせてもらう。まだ伝記を書き続けたいからな」ゼールベルが真面目な顔で話す。

「そういえば、お前、自分の伝記を書いていたんだっけ。忘れてた」ラフーリオンがどうでも良さそうに話す。


「酷いな、ラフ。よく読ませてやってたのに」今度は情けない表情になるゼールベル。

「もし、この戦いでお前が力尽きたら、俺が続きを書いてやるよ。ベストセラー間違い無しの奴」


「お前は……。何処までも酷いよ、お前は」ゼールベルは泣きそうになりながら、肩を落とした。 


 皆の様子を見ていたノバトゥナにアリゼルが話し掛ける。

「ノバトゥナさん、ここにいる皆さんはそれなりの修羅場を乗り越えてきた人達です。心配ありませんよ。手駒として存分に使ってやって下さい」

 アリゼルの高笑いが響く。


「皆さん、ご協力感謝します」ノバトゥナが深々と頭を下げた。

「では早速、先程の場所に戻り、作戦会議といきましょうか」アリゼルが宿舎を指差した。




 宿舎に戻り、エントランスで作戦会議を初めた一行。ノバトゥナはこの街において、重要な役割を担っている人物達を呼び集め、竜が目覚めた時の対処について、ラフーリオン達と共に話し合った。


 ノバトゥナは街の地理や竜との距離、備わっている武器について詳しく説明した。アリゼルは竜と戦った時のことを、ラトーディシャは氷の竜に有効な攻撃手段について話した。


 長い時間を掛け、一行は竜を倒すための作戦を練った。作戦会議をしている最中、竜の目覚めを予兆させる異音が数度に渡り、響いていた。


 作戦の計画が終了した後、ラフーリオン達はそのまま寝泊まりする部屋に案内された。ノバトゥナは各々の個室を用意してくれた。そこまで大きな部屋ではなかったが、新設された施設である為、壁や床に汚れもなく清潔で、ベッドも新品同様でゆっくりと身体を休めるには十分な環境だった。


 リシュリオルは、ベッドの上に仰向けになり、ボッーと天井を眺めていた。何も考えていない時間は心地が良い。だが、そんな時間はすぐに消え去る。


 扉を数回ノックする音が聞こえた。リシュリオルはすぐにベッドから起き上がり、扉の方へ向かう。


 扉を開けると、そこにはノバトゥナがいた。『先生』の知り合い。


「こんばんは、少しお話をしたいのだけれど、……いいかしら」

 ぎこちなく話すノバトゥナ。リシュリオルは、『どうぞ』と一言だけ告げて、ノバトゥナを部屋の中に入れた。


「話っていうのは、……なんですか?」

 リシュリオルもたどたどしく話す。ノバトゥナと話すのは何処か気まずい。二人の間を繋いでいた人間がもう居ないからかもしれない。


「謝りに来たの。あなたに」

「謝る? 何を?」


「ディイノーカのことを……」

 ノバトゥナはディイノーカと一緒に暮らしていた時のことを話した。自分が人質になり、彼が竜と戦わざるを得ない状況に陥ってしまったことも。ディイノーカとの思い出を話すノバトゥナの目には涙が滲んでいた。


「ごめんなさい、私のせいで彼は……」

 涙目で謝るノバトゥナの姿を見て、リシュリオルは胸が苦しくなった。

「……私もノバトゥナと同じだった」


「え?」涙を拭いながら、俯くリシュリオルの顔を見るノバトゥナ。

「私も人質にされていたんだ。だから、……ノバトゥナに会うのが怖かった。何を言われるのかって、思っていた」


 リシュリオルの影の中から、アリゼルが二人の様子を伺うように頭だけを出していた。

「……二人一緒に人質になっていたこと、言ってませんでしたっけ?」


「言ってない」とリシュリオル。

「言ってないわ」とノバトゥナ。

 二人の鋭い視線がアリゼルを突き刺す。


「ははっ、すみません。でも、誰しも間違いはありますよね」愉快そうに笑うアリゼル。


「お前っ!」

 リシュリオルがアリゼルの頭を掴もうとするが、アリゼルはすぐに影の中に逃げ隠れる。


 ノバトゥナはリシュリオルとアリゼルのやり取りを見て、くすくす笑っていた。


「リシュ。どうやら私達はお互いに、思い違いをしていたようね」

「そういうことみたいだ」


「今度は私達で、竜と戦いましょう。あの人が私達を守ってくれたように、次は私達が皆を守るの」

「分かった。私達で……竜を倒そう。先生のような人をもう出しちゃいけない」


 リシュリオルとノバトゥナは互いに竜を倒すことを誓い合った。




 別の一室。ラトーディシャの部屋。窓からアドラウシュナが眠る氷塊を睨みつけていた。


 ラトーディシャは血の繋がりの為か、兄の気配を強烈に感じ取っていた。その特殊な感覚が、臓腑の底から憤怒と憎悪の感情を湧き上がらせる。


(早くその中から出てこい。お前を殺す方法は用意してあるぞ)


 ノックの音がした。


 その音が、ラトーディシャのアドラウシュナへの殺意を解き、視線を扉へと向けさせる。『入っていいよ』と扉に声を掛ける。そして、作り笑いの準備をする。この状況で心から笑えるはずが無い。


 扉を開けたのは、リアノイエだった。視線を足元に落とし、両手で自身の身体を抱きしめている。何かに怯えているような、不安げな表情を見せていた。


「どうしたんだい? ……取り敢えず座りなよ」ラトーディシャはできるだけ明るく、優しく振る舞う。


 ラトーディシャの言葉に従い、リアノイエは彼が座っていたソファの隣に、黙って腰掛けた。


 リアノイエは何も言わない。その沈黙に耐え切れず、ラトーディシャが口を開く。


「いきなりこんな世界に連れてきたこと、謝るよ。初めて訪れる異界にしてはハード過ぎると思う」ラトーディシャは先程の作り笑いを崩して、心苦しそうに謝った。


 リアノイエは、ラトーディシャの言葉を聞いて、顔を上げた。彼女は悲しげにラトーディシャを見つめた。


「そんなことはいいの。私も覚悟してあなたについていくと決めたから。……ラトー、ただあなたのことが心配なの。この世界に来てから、あなたの様子がおかしくなってる気がする」


 ラトーディシャは無言でリアノイエの話を聞いていた。彼女の言う通りだった。この世界に来て、あの氷の塊を見て、ラトーディシャの頭の中には常に殺意が渦巻いていた。


 リアノイエは話し続ける。

「私は怖いの。あなたが消えてしまいそうな気がして。あの竜に身体も心も飲み込まれてしまうんじゃないかって」

「大丈夫さ。僕は消えたりなんかしない」


「約束して。あの竜と戦うことになっても、必ず私の所に戻ってくるって」リアノイエが今までにない強い口調でラトーディシャに言い付ける。


 ラトーディシャは静かに微笑んだ後、力強く答えた。

「約束するよ」




 夜が更け、皆が寝静まった頃、ラフーリオンは宿舎の外で煙草を吸っていた。煙草の煙と白い吐息が混ざり合い、暗い夜空に映えている。


 雪を踏む足音が聞こえてくる。振り返ると寒そうに震えるゼールベルの姿があった。


「よお、寒くないのか?」

「禁煙なんだ、あの部屋」


「中毒者め」

「煙草を俺に勧めたのはお前だ」


「そうだったかな?」ゼールベルは煙草を一本取り出した。

「とぼけるな」ラフーリオンは微笑みながら、彼が手に持つ煙草に火を付けてやった。


 下らない会話。ラフーリオンは深く息を吸い、そんな会話を途切れさせる。そして、大きく息を吐き、再び会話を始める。


「『彼女』の夢を見た」

「……そうか」


「『彼女』が死ぬ間際の夢だ。……悪夢だよ」

「…………そうか」


「どうやら『彼女』も我慢の限界らしい。俺を迎えに来たみたいだ」

「……前にも言ったが、俺からお前に言うことは無い。だけど、『あの子』には話してあげるべきだと思う。お前の為に頑張ってる」


「……いつか言うさ」ラフーリオンは煙草の火を消した。


 二人はそれぞれの部屋に戻る。

 ラフーリオンはその日、一睡も眠らずに朝日が昇るのを待った。

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