灰色の雪

 アリゼルの身体は、ディイノーカの死によって、その実体を失っていた。降りゆく雪が身体をすり抜けていく。

 ディイノーカの約束を果たすため、アリゼルが最初に向かった場所は、竜との戦場から一番近い場所にある結界で封じられた雪原だった。


 ラトーディシャがアリゼルの姿を見て、悲しそうに呟いた。

「アリゼル。その姿、……彼はもう……」

「ええ、彼は立派にあの竜と、あなたの兄と戦いました」


「……すまない」

「あなたは悪くない。……雪原を出られるよう祈っています。それでは……」


 アリゼルは、ラトーディシャに別れを告げ、その場から飛び去った。




 アリゼルは次に、狼達が暮らす森に向かった。


「そうか、彼は逝ったのか」天を仰ぐバクルア。

「はい」


「この世界から旅立った英雄に祝福があらんことを」バクルアは祈るように呟いた。

「……では、お元気で。狼達も」


 森を離れ、街に向かうアリゼル。




 街に着いた時、アリゼルがまず向かった先は忌々しい男、ガズリウザがいると思われる教会だった。


 アリゼルが教会に着いたちょうどその時、信徒達がぞろぞろと教会の大きな扉から出ていくのが見えた。信徒達が消えた後、教会の中に入るアリゼル。


 最初にこの教会に入った時と同じように、ガズリウザは祭壇の整理をしていた。アリゼルは彼の視界に入るため、祭壇の上へと移動した。


「ご機嫌よう。ガズリウザさん」

「はっ!」音も無く現れたアリゼルの姿に息を呑むガズリウザ。 


「氷の竜は長い眠りに就きました。……ノバトゥナさんは何処ですか?」アリゼルは教会の中を見渡した。

「私も遠くから、あなた達の戦いを見ていました。……宿主様のことは誠に残念です」

 ガズリウザは俯き、悲痛そうな表情をする。

 

 腐り果てたペテン野郎が。つまらない嘘を平然とつく。


「あー、そういう下らない茶番は必要ありません。私はただノバトゥナさんの場所を教えて欲しいだけです」

「……彼女なら家に返してあります。アリゼル様は今後、どうなされるおつもりですか?」


「彼との約束があるので、ひとまずは聖堂のあの子に憑きます」

「そうですか! もし、必要なことがあれば、なんなりとお申し付け下さい」

 ガズリウザの表情が明るくなった。


 ああ、やはりこの男は私の力が欲しかったんだな。アリゼルはガズリウザの顔を一瞥し、蔑むように笑った。


「……なら、明日、あなたの首を聖堂まで持ってきて下さい」

「……」黙り込むガズリウザ。額に汗が流れる。


「はは、冗談ですよ。いつでも簡単にできることを私はわざわざ頼みません」


 アリゼルは脅迫めいた言葉を残して、教会を去った。


 


 ノバトゥナの家に向かうアリゼル。一番、気遣いが必要な相手になるだろう。アリゼルはそう考えていた。


 家の扉をすり抜け、中の様子を伺う。ノバトゥナは椅子に座って、コーヒーを飲んでいた。


「ノバトゥナさん」アリゼルの声に気付いたノバトゥナはアリゼルの透き通る身体を見て、視線を落とした。


「アリゼル……。その姿ってことは、やっぱりディイは……」

「ええ。彼は氷の竜と立派に戦い、この街を守りました」


「そうだろうと思っていた。……教会の人達が家に来て、ここから避難しろって言ってきたの。その時、ディイのことを話しているみたいだった。だから、きっと彼に良くないことがあるんじゃないかって。……でも、私は半ば強引に教会へ移動させられた。彼にそのことを伝えたかったのに……」


 ノバトゥナの表情には後悔の念が浮かび、その目には活力が失われつつあった。アリゼルには彼女がディイノーカの死に、押し潰されそうになっているように思えた。


「……ノバトゥナさん、本当のことを伝えるべきか迷っていましたが、やはりあなたには言うべきだと考え直しました」


「何を言っているの? アリゼル」

「全てを話します。教会のことも、竜との戦いのことも、彼のことも」


 アリゼルはノバトゥナが人質にされていたこと、教会の人間達の悪意、竜が完全に死に絶えていないこと、ディイノーカがアリゼルに告げたこと。全てを話した。アリゼルが話している間、ノバトゥナは涙を流していた。


「……話は以上です。今、彼との約束の為、私はあなたの元に来ています」

「ありがとう、アリゼル。本当のことを話してくれて。……私は悲しんでいるばかりじゃいけないって、分かった」

 涙を拭うノバトゥナ。


「どうするのですか?」

「この街を変える。その為に教会を正す。ディイの報いを受けさせてやる。そして、いつか目覚める竜に備える。ディイのしてくれたことを引き継ぐの。彼の戦いを無駄にするなんてことはできない。でも、まずは私自身が強くなる必要がある。ディイが弱かった私の為に死んだというなら、私自身を守る強い力を持たないといけない」

 ノバトゥナの瞳には決意の光が灯っていた。


 心は力。ディイ、あなたの言っていたことは正しい。人間は怒りや葛藤、強い感情で生きる気力を漲らせ、その意思を固く強くさせる。


「私はあなたを止めません。ディイノーカもきっとあなた自身が望む道を歩んでほしいと思っていますよ」

「アリゼル……」


「私も当分はこの街にいるつもりです。もし、何かあれば聖堂へ」

「分かったわ。……アリゼル、あなたも気を付けてね。あなた程の精霊を教会が見逃す筈がないわ」


「ええ。あなたこそ、無理はしないで下さいね。……それでは」


 アリゼルはノバトゥナの家を離れ、聖堂に向かった。これで最後だ。




 聖堂には相変わらず、複数の信徒が監視の目を光らせていた。


 アリゼルは信徒達に見つかることなく、壁をすり抜け、リシュリオルのいる地下室に入り込んだ。


 リシュリオルが鉄格子の扉の前に立つアリゼルの姿に気付く。


「アリゼルさん、こんにちは」

「……こんにちは」

 二人きりで挨拶を交わし合うのは初めてだ。


「灰色の雪が積もっています」天窓を指差すリシュリオル。


 天窓には灰が積もっていた。きっとあの竜の身体の成れの果てだろう。ディイノーカが焼き尽くした物だ。彼の名誉の戦いの証。


「雪って白以外の色もあるんですか? 先生に聞きたいのですが、……先生はどこに?」リシュリオルがディイノーカを探して、辺りを見回す。

「ディイノーカは氷の竜と戦い、死にました」アリゼルは一片の躊躇もなく答えた。


「え……」目を丸くして、アリゼルの姿を見るリシュリオル。

「教会はあなたを人質にして、ディイノーカを強引に竜へと仕向けた」

 

「そんな……」リシュリオルは言葉を失っていた。

「……彼が死んだのはあなたのせいでもある。あなたが弱かったから、彼は死んだんだ」

 アリゼルはリシュリオルを追い詰めていく。彼女の頬を涙が伝う。


「リシュ、悲しいですか? 憎いですか? 薄汚い教会の奴らが。氷の竜が。自分自身の弱さが」


 リシュリオルはただただ泣いている。


「心は力です。あなたの怒りや憎しみはあなた自身を強くする。たが、そうやって泣きじゃくっているだけでは、あなたは強くなれない」


 リシュリオルは涙を拭い、嗚咽を堪え、アリゼルの姿を見据える。


「私があなたに力の扱い方を教えます。あなたには高い適性がある。さあ、泣くのはやめなさい。戦うのです。自分の力で」


 リシュリオルはくしゃくしゃの顔で頷いた。


 天窓に積もる灰を再び見つめるアリゼル。

 ディイノーカ、あなたとの約束、果たしましたよ。そして、これからも約束を守っていくつもりです。

 アリゼルはリシュリオルの顔を見据えた。


 その日から、アリゼルによる教育が開始された。


 


 アリゼルの教育は、暴力的で破壊的だった。

 地下室は、常に炎が燃え盛り、リシュリオルの怒号が響き渡った。


「そうです! 怒りを、憎しみを炎に変えるのです。その炎で彼を殺した全てを焼き尽くすのです」

「燃やす、燃やすッ! 全部、全部!」


 地下室にも見張りの信徒が付いていたが、その異様な光景と炎による灼熱の暑さで、その場から離れてしまうことが多くなった。


 信徒達の目も気にせず、その狂気のようなアリゼルの教育は日々、繰り返された。




 ――アリゼルの教育が開始されてから一年程が経過する。


 リシュリオルは純粋無垢な心を持った少女から、常に怒りに満ち満ちた、好戦的な戦士のようになっていた。 

 アリゼルの教育が彼女の心を作り変えた。


 アリゼルは強靭な宿主が欲しかった。


 精霊にとって実体がないことは非常に不快で、全てを失ったかのような虚無感に蝕まれる。アリゼルは新しい宿主であるリシュリオルを直ぐに失うことを避けたかった。

 その為、リシュリオルに強い憎しみの感情を抱かせることで、手早く彼女の戦闘能力を向上させることにした。


 アリゼルの望み通りにリシュリオルは、強さというものを渇望するようになり、凄まじい速度で成長した。 

 

 だが、アリゼルはリシュリオルに芽生えた感情の強さを把握できていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る