お人好し
丘を下るディイノーカ。アリゼルが不機嫌そうに彼に話しかける。
「さっきの『また来る』というのはどういうことですか?」
「そのままの意味だよ。またあの地下室に行くんだ」
「どうしてですか?」
「あの子を牢獄みたいな部屋から助け出してやりたい」
「私達には無関係なことです」
「可哀想じゃないか。アリゼルも少しは情を持った方がいいぞ」
「……あの少女を部屋から出す方法はあるのですか?」
「無いよ。でも、ずっと側にいたら助け出す方法は見つかるかも」
ディイノーカの非論理的な思考に苛立ちを覚えるアリゼル。
「例え、彼女をあの部屋から出せたとしても、この街の人間がすぐに連れ戻してしまいますよ」
「その時はその時だ。また考えよう」
すたすたと丘を下っていくディイノーカ。そんな彼の背中に文句をぶつけるアリゼル。ディイノーカは背後の精霊の声を聞き流しながら、街を下った。
結局、アリゼルの説得の甲斐もなくディイノーカは街に暫く残ることになった。
街まで下ったディイノーカは聖堂に閉じ込められている少女のことを聞く為に主教と呼ばれている男、ガズリウザを探していた。
街の住民達に彼の居場所を尋ねていると、ガズリウザは街で一番大きな教会に勤めていると言われたので、ディイノーカはその教会に行ってみることにした。
教会は外壁がレンガでできており、尖った屋根の下に大きな鐘がぶら下がっていた。正面の大きな扉をゆっくりと開ける。教会の中には沢山の信徒達が祈りを捧げていた。祭壇の近くには、教典のような書物を手に持つガズリウザが立っていた。
ディイノーカはできるだけ音を立てないように、一番後ろの席に座り、その様子を静かに見ていた。
「あのガズリウザとかいう男はタヌキですよ。いつ化けの皮が剥がれるか楽しみですね」アリゼルがほくそ笑んだ。
「静かにしてろ」
「はいはい」
祈りの時間が終わり、信徒達がぞろぞろと教会から出ていく。ディイノーカは信徒達の姿が教会から消えたのを確認した後、祭壇の整理をしているガズリウザに話し掛けた。
「すみません、ガズリウザさん」
「ああ、アリゼル様、宿主様。先程、信徒の一人からアリゼル様の力の適性が確認できたと聞きました。ありがとうございました」ガズリウザが深々と頭を下げる。
「どういたしまして。……実はガズリウザさんに聞きたいことがあって、この教会に来たのですが」
「何でしょう?」
「……あの子は一体何者ですか? 記憶が無いと聞きました」
「あの子とは、適正者。私達が『黒炎の巫女』と呼んでいる者のことですか?」
「はい」
「宿主様は異界渡りだと聞きました。隣の街の扉からこの世界にいらしたとか」
「あの子と隣の街には、何か関係があるのですか?」
「はい。隣の街は昔、氷の竜の侵略によって、全てが凍り付いてしまいました」
「だから、街の全てが氷の中に……」
「『黒炎の巫女』はあの事件の唯一の生き残りです。彼女の両親や友人、何もかもが氷に包まれた中、一人で泣きながら彷徨っているのをこの街の者が見つけたのです。彼女を見つけた時には、事件のショックのせいでしょうか、……記憶を失っていました」
「そんなことが……」ディイノーカは少女の過去を知り、言葉を失う。
「その後、彼女はこの街の孤児院に引き取られることになりました。この街では一定の年齢に達すると、精霊の力の適性を見定める儀式が行われます。その儀式の際、彼女にはアリゼル様の力の適性があると分かり、外界からの干渉による影響を避けるため、教会で保護することになりました」
「保護ねぇ」アリゼルが嘲るように言った。
「アリゼル」ディイノーカが黙るように指図する。
「はいはい」
「お話を聞かせていただき、ありがとうございました」お辞儀をして、その場を立ち去ろうとするディイノーカ。しかし、ガズリウザが彼を呼び止めた。
「お待ち下さい。もしよろしければ、彼女にアリゼル様のことや精霊の力の扱い方を教えていただけないでしょうか? 宿主様になら、彼女を任せても良いと思ったのですが……」
ガズリウザの頼みを聞いて、ディイノーカは背後のアリゼルの様子を伺う。アリゼルは何も言わずに、不満げに腕を組んでいた。
「引き受けましょう」ディイノーカは頷いた。
「ありがとうございます。では、早速明日からお願いできますでしょうか?」
「ええ、明日の朝から教育を始めます。彼女に伝えておいて下さい」ディイノーカは軽い会釈をした後、教会の扉に向かった。
アリゼルはぶつぶつと文句を垂れていたが、ディイノーカはそのまま、教会を出ていった。
ディイノーカがノバトゥナの家に戻ろうとしていた時、アリゼルが急に話を切り出した。
「そういえば」
「どうした?」
「ノバトゥナさんは、街に滞在している間、私達を家に泊めてくれるでしょうか?」
「考えていなかったけど、彼女ならすんなり許可をくれる気がする」
「許可してくれなかった方が私としては、嬉しいのですが」
「そんなに、この街にいるのが嫌か?」
「聞かなくても、分かっていると思ってました」
「……いつも悪いな」
「悪いと思っていたことに驚きです」暫しの沈黙。ディイノーカはアリゼルをじっと見つめたあと、引きつった笑顔を見せた。
「……ごめんね」ディイノーカはその引きつった笑顔のまま、謝った。アリゼルは彼のふざけた顔と態度を見て、ディイノーカを小突く。彼は痛ーいと声を上げ、アリゼルから逃げるように走り出した。
そのまま走り続けていると、ノバトゥナの家の前にいつの間にか着いていた。
扉を開くと、ノバトゥナが真剣な表情で書類を整理していた。
彼女は精霊について、研究している学者だった。精霊が集いやすいこの街で様々な調査を行っているそうだ。
昨日の夜も、彼女は精霊のことばかり話していた。
ディイノーカが扉を閉めた音で、ノバトゥナは作業の手を止め、振り返った。
「おかえりなさい。竜退治は終わったの」
「ただいま。難なく終わりました」
「お茶でも飲む?」
「うん。お願いしようかな」
ノバトゥナは薪ストーブの上に乗っていた金属製のポットを持って、キッチンに向かった。
暫くすると、ティーカップを持ったノバトゥナが戻ってくる。
「どうぞ」ティーカップを渡すノバトゥナ。
「ありがとう」それを受け取るディイノーカ。
お茶を一口飲んだ後、ディイノーカは街に滞在する話について切り出した。
「実は、この街に滞在することにしたんだ」
「どうして?」
「丘の上の聖堂にアリゼルの力の適性者がいるんだ。その子の教育を頼まれた」
「そんな子がこの街にいたの?」ノバトゥナはやけに驚いていた。
この反応を見るに、街の一部の人間しか、彼女のことを知らないようだ。
「できれば、内緒にしておいてくれ」
「分かったわ」
「……それで、提案があるんだけど、街に滞在する間、君の家で寝泊まりすることはできないかな?」
「うーん、……いいけど。条件をつけてもいいかな?」
「条件?」
「私の精霊の調査を手伝って欲しいの」
「手伝うって、何をすればいいのかな?」
「精霊を探すためには、どうしても雪原の奥地に行ったりしないといけないのだけど、そういう場所は危険なことが多くて、一人じゃなかなか調査が進まないの。だから、アリゼル・レガの宿主であるあなたに同行してもらいたいの」
「いいよ、お安い御用さ。なあ、アリゼル」アリゼルの方へ振り返るディイノーカ。
「はぁ、仕方ありませんね」アリゼルは悪態をつきながら、承諾してくれた。
「これで、契約成立ね。明日は予定あるの?」
「明日は朝から聖堂に行くから、もし調査に行くなら明後日だな」
「じゃあ明後日の早朝から、雪原に行くってことで」
「了解!」ディイノーカは気合いのこもった返事と共に、素早く敬礼した。
「取り敢えず、今後の予定も決まったし、夕食にでもしますか」
「そうしよう。今日は俺も手伝うよ」
「ありがと」キッチンに向かうノバトゥナの顔は少しだけ、はにかんでいた。
夕食後、ノバトゥナとアリゼルの熱い論議が始まった。ディイノーカは途中から話に付いていけず、ココアを飲みながら、薪ストーブの火をぼっーと見つめていた。ゆらゆらと揺れる炎を見ているうちに、いつの間にかソファーに座ったまま、眠ってしまった。
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