幽閉された少女
次の日の朝、ディイノーカはノバトゥナの家を発ち、氷の竜が鳴いているという雪原に向かった。街の外は相変わらず大量の雪で埋もれていたので、精霊の力を使って道を作る。
街から離れるに連れて、次第に雪の勢いが強くなっていく。ディイノーカは一定の距離を進む度に炎を先端に灯した長い棒を雪面に突き刺し、目印にした。これで、帰りも迷わずに戻ってこれるだろう。多分。
雪の勢いが更に強くなる。顔にぶつかってくる雪が痛い。
「本当にこの先で合ってるんだろうな!」ディイノーカが地図を見ながらアリゼルに向かって叫ぶ。
「合っていますよ。あの街の人間があなたを騙していない限り」
「お前は本当に――」ディイノーカがアリゼルに文句を言おうとした時だった。地面を揺らすような大きな唸り声が、雪原に響きわたった。
「どうやら、街の人達は嘘をついているわけじゃないみたいだ」ディイノーカは溜め息を吐きながら、声の方向に進んだ。
再び雪を溶かしながら、雪原を進んでいると、急に激しい吹雪がピタリと止んだ。真っ白い雪ばかりだった視界が開ける。そして、目と鼻の先にはこちらをじっと見つめ佇む、氷の竜の姿があった。
「気を付けて下さい。氷の竜の起こす風は一瞬で人を氷塊に変えます」アリゼルが忠告する。
「炎を纏えばいいんだろ」ディイノーカは身体の周りに炎を浮かべて、氷の竜に近付いていく。
氷の竜は咆哮し、ディイノーカを威嚇する。怖気づくことなく黙々と氷の竜に近づくディイノーカ。竜は翼を羽ばたかせて、風を巻き起こす。ディイノーカは炎でそれを防ぐ。
(氷の竜の力はこんなものでは無いはず……)アリゼルが必死に翼をはためかせる氷の竜を見て、疑問に思う。
ディイノーカはまだ竜に対して、攻撃らしい攻撃を行っていなかったが、氷の竜はいきなり羽ばたきを止めて、雪原に倒れ込んだ。そして、竜の姿が見る見るうちに少年の姿に変わっていく。
「どうしたんだ? 子供になっちまった」ディイノーカは動揺して、前進を止める。
「今のうちに竜を始末しましょう。少年の姿でも、竜は竜だ」
「いや、何か様子が変だ。弱っているみたいだぞ」
「騙しているのかもしれない」
「俺は、無抵抗の奴を一方的に攻撃するつもりはない」
「あなたは馬鹿ですか! あんな姿でも相手は氷の竜ですよ!」アリゼルが怒鳴る。
ディイノーカは周囲に浮かべていた炎を消して、少年の姿をした氷の竜にゆっくりと歩み寄っていく。少しずつ近付いてくるディイノーカを金色の瞳で睨みつける竜。
ディイノーカはコートのポケットを弄り、銀紙に包まれたチョコレートを氷の竜の前に投げた。呆然と雪面に落ちたチョコレートを見つめる竜。
「食えよ。腹減ってるんだろ。氷の竜がチョコレートを食えるのかは分からないが。なんなら干し肉もあるけど……」再びコートのポケットを弄り始めるディイノーカ。
「……君は馬鹿なのか?」氷の竜は目を丸くして、ディイノーカに言った。
「彼は馬鹿ですよ」アリゼルがすかさず答える。
「酷いな! 折角食料を分けてやってるのに!」ディイノーカは地団駄を踏み始めた。
その様子を見て、氷の竜は笑いだした。ディイノーカもつられて笑った。アリゼルは呆れ果て、何も言えずにいた。だが、緊迫していた空気は随分と和らいだ。
その後、ディイノーカは氷の竜から素性を聞いた。氷の竜の名は『ラトーディシャ』と言った。ラトーディシャは兄の謀略によって、両親を殺害され、雪原に閉じ込められた。雪原には複雑な結界が張られているため、今は必死に結界を解く方法を探しているそうだ。
ラトーディシャの咆哮は、何もない誰もいない孤独な雪原で、正気を保つため、そして、兄への憎しみを忘れないようにやっていたことらしい。ディイノーカはラトーディシャの話を聞いて、涙を流していた。
「そろそろ俺たちは行くよ、ラトー。街の人達には、氷の竜は何処かに消えたと言っておく。だから、これからはあんまり大きな声で吠えないように。あと、食料をできるだけ置いていくから」
「ありがとう、ディイ、アリゼル。久し振りに誰かと話せてよかったよ」
「ごきげんよう。ラトーさん、お兄さんを叩きのめすことができるよう、祈っていますよ」
「ははは、絶対にやってやるさ」
ディイノーカはラトーディシャと別れ、街に戻った。この時、ディイノーカは次の異界の扉が開く気配を感じ取っていた。
街に戻り、氷の竜の討伐を依頼してきた男に、竜は消えたと伝えた。男は感嘆の声を上げた。
「ありがとうございます。この御恩は忘れません」男は手の平を合わせて、深々とお辞儀をした後、急に頭を上げ、ディイノーカの顔を凝視し始める。
「……ところで、アリゼル様、宿主様。あなた方に是非会って頂きたいお人がいるのですが」男の顔には不気味な笑みが浮かんでいた。ディイノーカはその顔を見て思わず、たじろいでしまう。
「……いや、遠慮しておく」
「そうおっしゃらずに! どうか!」男がディイノーカの腕を掴む。
「お止めなさい」突然、くぐもった低い声が響き、男の動きを止めた。
「こ、これは主教様」男は慌てて、ディイノーカから離れ、『主教』と呼ばれた初老の男性を見る。
「あなたは?」ディイノーカが『主教』に聞く。
「私はガズリウザと申します。この街を統治している教会の者です。……先程は失礼しました。彼にも悪気があった訳ではないのです。どうかお許し下さい。アリゼル様、宿主様」深々と頭を下げるガズリウザ。
「いえ、別にそんなに謝ることでもないですよ。頭を上げて下さい」
「本当に申し訳ありません」ガズリウザは再び謝りながら、頭を上げた。
「もしかして、さっきの人が言っていた、会って欲しいって人というのはあなたですか?」
「ええ、そうです。あなた方に会ってお話したいことがあったのです。しかし、彼のやり方はあまりに横暴すぎた。後でまた叱っておきます」
「そんなに怒ることでも無いですよ。許してあげて下さい。それで、俺達と話したいことっていうのは?」
「アリゼル様の力の適性者のことです」
「アリゼルの力の適性者?」
「はい。私は精霊憑きの力を見定めることができます。そして、この街にアリゼル様の適性者が現れたのです」
「ほうほう、それは興味深い」アリゼルがガズリウザの目前に近寄る。
「どうか、アリゼル様にその者が真に適性を持っているかを確かめて頂きたいのです」
「引き受けましょう、ガズリウザさん」アリゼルは勝手に承諾してしまう。
「お、おいアリゼル。……まあいいか」ディイノーカは少しだけ躊躇したが、すぐに依頼を引き受けることにした。
「ありがとうございます。適性者はあの丘の上にある聖堂にいます。教会の信徒の一人に案内させるので、どうかよろしくお願いします」
ディイノーカは信徒の案内に従い、丘の上の聖堂に向かった。
「どうして、あんなに簡単に引き受けたんだ?」ディイノーカが聖堂に向かう途中、アリゼルに聞いた。
「ストックはあったほうがいいじゃないですか」
「ストック?」
「私が取り憑く宿主の在庫ですよ」
「……なるほどね。アリゼルらしい」ディイノーカは何とも言えない表情でアリゼルを見た。
ディイノーカを案内してきた信徒が聖堂の大きな扉を開く。聖堂には他に数人の信徒達がいた。彼らは聖堂内を決められた動きで歩き回り、まるで何かを監視しているかのようだった。ディイノーカが聖堂に入ると、信徒達は彼の顔を一瞥し、すぐに聖堂内の巡回を再開した。
「こちらです」案内役の信徒が壁際にある階段を下りていった。ディイノーカも彼の後を追って階段を下りていく。
アリゼルは階段を一段下りる度に自身の力が弱まっていくのを感じた。ディイノーカもこの違和感に気付いたのか、アリゼルの方へ振り返り、頷いた。
階段を下りた先には、鉄格子の扉のついた牢獄のような部屋があった。
「この部屋の中に適性者がいます。アリゼル様、確認をお願いします」そう告げた後、案内役の信徒は階段の傍に待機した。
ディイノーカは鉄格子の扉の隙間から中を覗く。部屋の中には黒髪の少女が一人、壁際のベッドの上で本を読んでいた。ディイノーカはその光景を見て、今にも憤りそうになっていた。
「どうしてあんな小さな子をこんな牢獄のような部屋に閉じ込めている?」階段の傍に棒立ちしている信徒に聞く。
「それは、外界との接触を避け、彼女の精神力を強くすることで、アリゼル様の力の適性を更に向上させるためです。そう主教様はおっしゃっていました」信徒は眉一つ動かさずに答えた。
信徒の話を聞いて、アリゼルが笑いをこぼす。
「何を馬鹿なことを。精霊の適性などこの世に生を受けたときから決まっている。どうせ、私の力を扱える人間を自分達の手の中に収めておきたいだけですよ」
「彼女をここから出せ」ディイノーカは信徒の元まで走り寄り、怒りを押し殺すような低い声で指図する。
「できません。主教の命令ですので」
「君は彼女のことを辛そうだとか、可哀想だとか思わないのか?」
「お答えすることはできません。主教の命令ですので」
信徒はまるで機械のようだった。何を言っても、彼の表情が変わることはなかった。ディイノーカは彼の説得を諦め、鉄格子の扉に歩みを進める。
「では、適性の確認をお願いします」信徒はディイノーカが諦めたことを悟り、ここに来た目的であるアリゼルの力の確認をするように促した。
「イカれてるよ。ここの連中は」ぼやきながら、鉄格子の扉の前に立つディイノーカ。
「もしもーし」ディイノーカは鉄格子をゴンゴンと何度か叩いて、部屋の中の少女に呼びかける。
「はい」ディイノーカの声に気付き、少女は本を読むのを止め、冷たい表情をこちらに向けた。
「俺はディイノーカ、異界渡り。君の名前は?」
「わかりません」
「分からない? どういうことだ?」ディイノーカは振り返り、信徒の方を見る。
「彼女には記憶がありません」
「……記憶がない? 一体どうして」
「……お答えすることはできません。主教の――」
「はいはい。主教の命令ですもんね。分かってるよ。……なら、あんた達は彼女のことをなんて呼んでるんだ?」
「『黒炎の巫女』と呼んでおります」
「『黒炎の巫女』? そんなふうには呼びたくないな」ディイノーカはため息を吐いた。
ディイノーカが再び鉄格子の扉の向こうにいる少女に向かう。
「あー、これから、俺に憑いている精霊を君に憑かせたいんだけど、……いいかな?」
「酷い質問の仕方ですね」アリゼルがケラケラと笑った。ディイノーカは、うるさいと小声で呟く。
「わかりました。私はどうすればいいですか?」少女は無表情のまま、後ろにいる信徒と同じく機械のように答えた。あまりに非感情的な立ち振舞をする少女の姿を見て、ディイノーカは悲痛な思いを胸中に浮かべる。
「……君はそこに座っているだけでいい。……アリゼル、頼む」
「分かりました」ディイノーカの影からアリゼルが離れていく。そして、少女の影に入り込む。
少女の影からアリゼルが再び現れる。
「確かに彼女には私の力の適性があります。ディイなんかよりも優れた適性が」
「余計なことは言わなくていい」ディイノーカは舌打ちした。
アリゼルが少女から離れて、再びディイノーカの元に戻ってくる。
「終わったぞ。彼女にはアリゼルの力の適性がある」振り返って案内役の信徒の方を見るディイノーカ。しかし、信徒はいつの間にか姿を消していた。
「なんなんだよ!」教会の人間の態度に苛立ちを覚えるディイノーカ。
「なんでしょうかね~」呑気に笑っているアリゼル。
「もういいですか?」鉄格子の扉の向こうから少女が聞いてきた。
「ああ、ありがとう。……また来るよ」
ディイノーカはそう言い残して、階段を上っていった。
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