手をとりあって

 闘技大会はラトーディシャの優勝で終わったが、闘技場の崩壊や急に執り行われることになった王位継承など、諸々の事情で大会の結末は有耶無耶になった。


 大会の終了後には、本来なら国によって開催される祝賀会に闘技者達が招待されるらしいのだが、今回はそれどころではなかったようだ。


 ホテルに戻ると、ジンクリィズがフロントでラトーディシャを待っていた。ジンクリィズは彼の家で国の代わりに祝賀会を開催しようとしているらしい。


 その祝賀会にラトーディシャを含む闘技者達を誘っていたようだ。ラトーディシャは折角なので祝賀会に行くことにした。またコルナトリエの料理を食べられるかもしれないと思ったからだ。


 ゼールベルは行くと言った。ラフーリオンとリシュリオルも来てくれるようだ。他の闘技者達を探し出すことはできなかった。皆、何処かに旅立ったのだろう。


 リアノイエも誘いたかったが、王族達は今、山積みになっている問題を解消するために大忙しだ。あんなことがあったのだから、リアノイエもきっとそのゴタゴタに巻き込まれている筈。流石にジンクリィズの家に来るのは難しいだろう。非常に残念だが仕方が無い。


 ジンクリィズ家開催の祝賀会は、皆が笑顔で過ごすことができた。食事はコルナトリエ特製のビュッフェ。あらゆる料理が美味だった。


 祝賀会の終盤、ラフーリオンは急に慌てた様子で何処かに消え、泥酔したコルナトリエと同じく酔っ払ったジンクリィズが何故かゼールベルを引き連れて、次に行くぞと喚きながら、この広い敷地内の何処かにあるらしいバーに向かった。ゼールベル、生きて帰ってこられるだろうか。


 リシュリオルも急に消えたラフーリオンを探しに行った。また何かを企んでいると思ったのだろう。一人になったラトーディシャは余った食事を全て平らげた後、ホテルに戻った。




 ホテルへの帰路。夜は更け、街から人の姿はほとんど消えていた。運河に架かる橋を歩くラトーディシャ。ホテルに戻るにはこの橋を渡るしか無い。


 何回目だろう、この橋を渡るのは。そして、何回目だろう、君にここで会うのは。橋の上、その丁度真ん中あたり。人影が見える。


「……リアノイエ」ラトーディシャが呟くと、人影が振り向く。

「こんばんは」とリアノイエ。街灯の暖かい光が彼女の微笑む顔を照らしている。

「こんばんは」微笑み返すラトーディシャ。


「もういいのかい? 国のこととか、王族のこととか」

「ええ。王子に、いえ、新しい国王に丸投げしてきたわ」 

 

「ははは、そんなに僕に会いたかった?」ラトーディシャは意地悪っぽく聞いた。こんな風に言えば、きっと彼女は恥ずかしがるに違いないと思った。


「ええ」リアノイエはあまりに率直に返してきた。ラトーディシャは彼女の躊躇のない肯定の言葉が照れ臭かった。逆にこっちが恥ずかしい。


「あなたにちゃんとお礼を言いたかった」リアノイエはラトーディシャの顔をじっと見つめてくる。リアノイエは初めて出会った時と同じ微笑みを浮かべていた。そして、彼女の口が再び動き出す。


「ありがとう」


 透けるような白い肌と白金色の髪、深い海のように青い瞳。たった一言、感謝の言葉。


「どういたしまして」


 見つめ合う二人。暫くして、リアノイエは運河の方へ視線をそらす。


「ラトー。私は本当ならこの国の王族じゃない。新しい国王は王族のままこの国で過ごしてもいいし、王族であることを辞めてもいいと言われた。……それで、私は国から離れて旅に出ますと国王に告げたわ。世界をもっと見てみたいと」運河から吹き抜ける風がリアノイエの髪を揺らす。


「それなら……」ラトーディシャは言葉を詰まらせる。

「どうしたの?」


「いや、なんでもないよ。また部屋まで送るよ」

「分かったわ」


 二人は空を飛んでいる間、一言も喋らなかった。別れ際に『おやすみ』と言い合い、ラトーディシャはホテルに戻った。


 ラトーディシャは彼女と別れてから、次の異界の扉が開いていることに気付いた。王女をこの国から解放することが、扉を開く鍵だったのだろうか。ラトーディシャはこの夜、リアノイエに掛けようとした言葉のことで思いつめた。



 リシュリオルとラフーリオンはホテルの部屋にいた。二人は試合放棄の件から、ずっと気まずい空気を保っていた。

 ラフーリオンはこの空気が本当に嫌いだった。思い出しくもない記憶が蘇ってくる。


「リシュ」

「なんだよ」リシュリオルは明らかに不機嫌だった。


「これを……」ラフーリオンは紙袋をリシュリオルに渡した。

「何だ?」リシュリオルは紙袋の中身を取り出す。


 紙袋から細長い帯状の布が出てきた。白い布の先端には赤い薔薇の刺繍ときらびやかな金属の装飾が縫い合わせてある。


「リボンだ。精霊の力を使うと、髪が伸びるだろ? あの長い髪は戦っている時、邪魔臭そうだから、髪をまとめられる物があればいいと思ったんだ」


「お詫びのつもりか? 私は、物を貢げば何でも許すお人好しだと思ってるのか?」

「……」張り詰めた表情のまま、黙り込むラフーリオン。正直なところ、思っていた。


「……まあいいよ。許してやる。反省はしているみたいだから」

「そ、そうか。悪かったな、本当に」ラフーリオンは胸を撫で下ろした。


「だが、次は無いと思えよ。私はもう寝る」

 強めの口調だったが、リシュリオルは少しだけ笑っていた。プレゼントを気に入ってくれたのだろうか。ラフーリオンも口元を緩ませた。

「分かった。俺も寝るよ。おやすみ」

「……おやすみ」


 リシュリオルがベッドに入り、彼女の目が閉じたのを確認すると、ラフーリオンは部屋の照明を消した。




 ラフーリオンは朝になる前に目を覚ましてしまった。もう一度、目を瞑って寝ようとしたが、なかなか寝付けそうになかったので、ベッドから抜け出す。ふと隣のベッドを見ると、リシュリオルの姿は無い。何処に行ったのだろうか?


 喉が乾いた。ラフーリオンは水を飲もうと浴室に向かう。だが、浴室の扉を開くと、扉の先には病室のような部屋が現れた。何がどうなってる。


 部屋には開いた窓が一つ。レースのカーテンが風に揺れている。窓際に黄色い花の入った花瓶。そして、左側の壁際にベッドが一つ置かれている。ベッドの上には女性が座っており、窓の方を見つめている。


 恐ろしい程、見覚えがある光景。握りしめた拳が汗ばんでいるのを感じる。いつの間にか女性の視線がこちらへと向いている。彼女のことも覚えている。忘れられる筈が無い。女性の口から言葉が発せられる。

 

「ラフーリオン」この澄んだ声も、良く覚えている。

「まだ私の所に来てくれないの? そんなにあの子が大事?」


「……」何かが喉に引っ掛かり、声を出す事ができない。


「約束したでしょ」


 何かが落ちる音がした。いつの間にか足元に手帳が落ちている。独りでにページがめくられていく。


『どうして』『たすけて』『いたい』『いたい』『はやく』『ころして』


 手帳に書かれた文字を見た瞬間、明るい日差しが入り込んでいた部屋は一気に暗くなった。窓から見える空の色は黒く染まっている。ベッドの方から床を伝って、赤黒い液体がどろどろと流れてきた。そして、怒鳴り散らすような叫び声が部屋中に響き渡る。ラフーリオンはベッドの上にいる女性の方を見る。


 女性は、虚ろな目で部屋の天井を見つめ、しきりに右手だけを動かしていた。彼女の首にあざが浮かび上がり始める。


 激しい動悸が起こる。脈が早まる。冷や汗が止まらない。息苦しい。やめてくれ。これ以上、彼女を苦しめないでくれ。すまない。君を救えなかった。俺は……。




 朝。ラフーリオンは身体を勢いよく起こした。そして、すかさず隣のベッドを見る。ベッドの上にはリシュリオルが静かに寝息を立てている。彼女の寝顔を見て、ラフーリオンは安堵のため息を漏らす。どうやら悪夢を見ていたようだ。彼の身体は全身が汗にまみれていた。


 約束は守るさ。待っていてくれ。彼女が一人で生きていけるようになるまで。彼女は俺の最後の贖罪なんだ。


 だから、待っていてくれ。




 ラフーリオンはリシュリオルを起こし、ゼールベル達と合流した。そして、互いに異界の扉が開いたことを確認する。


「結局、王女様からした鍵の気配は何だったんだ?」ゼールベルが首を傾げている。

「さあな。扉が開いたなら何でもいいだろ。それより、お前達も異界の扉の気配は王城から感じるか?」ラフーリオンはゼールベルとラトーディシャに聞いた。

「ああそうだ。もしかしたら同じ扉かもな」ゼールベルはなんだか楽しそうに答えた。


 一行は王城に向かった。途中、決勝戦で崩壊した闘技場を横目に見ながら通り過ぎた。

 

 王城の門前まで来ると、門番の兵士に止められてしまう。

「今は、王城に入ることは禁じられています」


 途方に暮れる一行。どうやって次の異界の扉に近付こうか考えていると、一人の少女が門の向こうから現れた。


「彼等は私の友人です。通してあげて下さい」リアノイエだった。

「どういうこと?」ゼールベルの頭の中は疑問だらけだった。一行はリアノイエのおかげで、門をすんなりと通ることができた。


「みんなは先に行っててくれ。彼女と話したいことがあるんだ」ラトーディシャが三人を先に扉へ向かわせようとした。


「ラトー、王女様と知り合いだったのか?」ゼールベルが驚いている。彼だけは、ラトーディシャとリアノイエの関係について、微塵も知らなかった。


「行くぞ、ゼル。ラトーの邪魔をしてやるな」ラフーリオンはゼールベルの腕を引っ張り、扉の気配に向かった。


 三人が視界から消えると、ラトーディシャは真剣な表情でリアノイエと向かい合った。


「昨夜、あなたが言おうとしていた話の続き?」


「そうだ。……君は昨日、この国を出て旅に出ると言っていたよね。そのことなんだ。率直に言うと、僕と一緒に異界の旅をして欲しいんだ。……ただ、異界の旅には危険が付き物だし、僕の目的の相手は更に危ないやつだから、君に何かあると思うと……。それが嫌で昨夜はこのことを言い出せなかった」


「いいわ」リアノイエは即答した。


「そんなに早く決めてしまっていいのかい?」あまりにも早い答えに驚くラトーディシャ。僕はあんなに悩んだのに。


「誘っておいてなんだけど、異界の扉には適性が必要なんだ。まずはそれを確かめないと」

「通れる。きっと。あなたが傍に居てくれたら」リアノイエがラトーディシャの手を握った。


「そうだね。……さあ、扉に向かおう」ラトーディシャはリアノイエの手を引いて、扉の気配に向かった。


 異界の扉の気配の先に向かうと、ラフーリオン達が既に扉の前に待機していた。

「話は終わったか?」ラフーリオンがラトーディシャの姿に気付き、聞いてきた。


「ああ、終わった。……ゼル、聞きたいことがあるんだ」ラトーディシャがゼールベルを見る。

「何だ?」


「長い間、一緒に旅した相棒として聞くんだけど、彼女、リアノイエを異界の旅に連れていきたいんだ」

「いいぜ、女の子は大歓迎だ」ゼールベルはニヤリと笑った。

「絶対にそう言うと思ったよ」ラトーディシャは予想していた答えが返ってきたので、笑ってしまった。


「だが、異界渡りになるには適性が必要だ。それは大丈夫なのか」

「それは、今から試す」リアノイエの顔を見て、頷く。


 ラトーディシャは次の異界への扉を開けた。扉の先は、聖堂のような空間に繋がっていた。ひんやりと冷たい風が吹き込んでくる。


 リアノイエが恐る恐る扉へ進んでいく。ラトーディシャはそんな彼女の手を取り、一緒に扉の先へと通り抜けた。


「おめでとう、リアノイエ」

「あなたがいてくれたから」


「最後にもう一度聞くけど、君は本当にこの世界から抜け出してもいいのかい?」

「ええ。……あなたは私と旅をしたくない?」


「そんな訳無い。……そういえば、闘技大会の優勝報酬は君だったね。僕がこの世界から君を連れ去っても、文句は無いか」

「ふふ、そうかも」

 ラトーディシャとリアノイエは微笑み合う。


 ラフーリオン達は二人のやり取りを、冷めた目で見ていた。


「二人共、俺達のこと忘れてないか?」ラフーリオンが扉を通り抜けて、二人の横を通り過ぎていく。


「……うっとおしい」リシュリオルはぼやきながら、ラフーリオンに続いて、扉の先へ進む。

「お熱いですねー。熱すぎて、燃えちゃいます」二人の隣を横切るリシュリオルの影からアリゼルが騒ぎ立てた。


「ラトー。よくそんな恥ずかしい台詞を堂々と言えるな」ゼールベルがにやつきながら、ラトーディシャを指差す。

「ゼル。君には一生かかっても言えないだろうな」ラトーディシャはにやつくゼールベルを鼻で笑った。


「なんだとっ!」ゼールベルが握り拳を顔の前で震わせる。

「やるか?」鋭い目つきでゼールベルを睨むラトーディシャ。


「いや。遠慮しておきます」ゼールベルは深々とお辞儀をし始めた。彼の態度の変わり様を見て、その場にいた皆が笑った。


「行こう」ラトーディシャは全員が異界の扉の先に入ったことを確認した後、扉に手をかける。


「さようなら、私がいた世界」リアノイエは次の異界から、自分がいた前の異界を見つめながら呟いた。


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