炎と氷の闘技場

 闘技大会、決勝戦当日。会場の空気は今までの試合とは比較にならないほど、熱く盛り上がっていた。


 なんとか歩けるようになったゼールベルが、ラフーリオンに二人の試合を観客席から見ようと提案したが、ラフーリオンはそれを断った。


「また、怪我をするぞ」ラフーリオンはそう言って、待機室で試合を見ることを勧めた。ゼールベルはラフーリオンの表情から嫌な予感を察し、彼に従って、待機室で観戦することにした。


 リシュリオルとラトーディシャが闘技場に入場すると、会場に溢れる熱は更に増した。観客達の声援が闘技場に響き渡っている。


 二人の闘技者が向かい合うと、審判が両手を上げた。ラトーディシャは審判に向かって話し掛ける。


「試合が始まったら、すぐにこの場を離れたほうがいい」しかし、審判にはラトーディシャの忠告の意図が分かっていないようだった。


 首を傾げながら、試合開始直前の宣言を始める審判。


「……これより、決勝戦。リシュリオル対ラトーディシャの試合を始める。……両者、準備はいいか?」審判が二人の顔を一瞥する。


「うん。リシュ、全力を出し切ろう」

「ああ。そのつもりだ」


「……では、用意……始め!」


 試合開始宣言の直後、リシュリオルの髪が長く伸び、赤く輝く。そして、彼女を中心にとてつもない熱気が溢れ出す。


「審判さん。本当に逃げたほうがいい」ラトーディシャがまだ近くに立っていた審判に向かって指図する。


 急激に上がりだした気温とリシュリオルの変貌した姿を見て、流石にこの場にいることが不味いと分かったのか、審判は慌てて二人の闘技者から距離を取った。


「久しぶりに精霊の力を使うから、上手く制御できるか分からないな」リシュリオル

は手のひらの上でコンロのように炎を点けたり、消したりする。


「大丈夫ですよ。リシュは確実に強くなっていますから、炎の強さも増している筈です」アリゼルが観客達の目を気にせずに現れる。


「ふーん。……ラトー、行くぞ」

「いいよ」


 リシュリオルは広げた手のひらをラトーディシャに向ける。手のひらの先には、小さな炎が灯っている。


 突然、その小さな炎が爆発音と共に激しく燃え盛り、ラトーディシャに向かって洪水のように炎が押し寄せる。

 

 ラトーディシャは棒立ちのまま、翼をはためかせる。すると、彼の周囲を回るように風が巻き起こった。


 リシュリオルが放った炎が、ラトーディシャの起こした風に衝突する。二つのエネルギーの接触によって、巨大な爆発が起こり、蒸気の霧が発生する。


「まだだ! もっと火力をあげてくれ!」霧の向こうからラトーディシャが叫んでいるのが聞こえる。

「分かった」リシュリオルは先程よりも巨大な炎の塊をラトーディシャの声のする方に放った。


 爆発音が闘技場内に響いた。蒸気が更に沸き起こり、闘技場は霧の中に包まれていく。観客達の阿鼻叫喚の声が聞こえてくる。

 

 ラトーディシャは空中に舞い上がり、闘技場の様子を上から確認した。王族達はまだ席を動いていない。

 リアノイエ、国王、王子の場所を確認する。三人は隣同士に並んでいる。都合が良い。


 ラトーディシャは沸き上がる霧を利用することで、王族達に見つかることなく彼等の専用席へと降り立つことが出来た。王族達はもうもうと沸き起こる霧に気を取られ、ラトーディシャが直ぐ近くにいることに気付いていない。


 ラトーディシャは舞台に不要な人間を氷の壁を作り出して突き飛ばした。氷の壁は徐々にドームのように、リアノイエ達を覆い始める。


「舞台は整った。あとは、リアノイエ。君の出番だ」ラトーディシャはそう言うと、また空中へと飛び去った。

 空中からラトーディシャが大きな声で、闘技場にいる人々に向けて叫ぶ。


「皆さん、ここからは僕とリシュの本気の戦いが始まります。僕たちの戦いを見続けてもいいですが、死を覚悟して下さい。それが出来ないなら、この闘技場から立ち去って下さい」


 ラトーディシャの声を聞いた観客達や兵士達が悲鳴を上げながら、その場から逃げ去っていく。

 ラトーディシャは闘技場から人が消えるまで、空から警告を続けた。そして、リシュリオルの元に降りる。


「お待たせ。さあ、始めようか」

「遊びは終わりか?」リシュリオルが薄笑いを浮かべる。

「ああ。出し惜しみは無しだ」ラトーディシャも微笑む。


 リシュリオルは身体に黒い炎を纏わせ、ラトーディシャに向かって走り出す。ラトーディシャとの距離が詰まる前に拳を手前に突き出す。拳から巨大な黒炎が打ち出される。


(凄まじい炎だ。だが、それでは氷の竜は倒せない)


 ラトーディシャは手のひらに氷の槍を作り出し、黒炎に向かって投げつけた。氷の槍は黒炎にぶつかると、炎をかき消すように巨体な氷塊へと変わっていく。そして、最後には空に向かってそびえ立つ氷の柱となった。


「邪魔だ!」


 リシュリオルが目の前に現れた氷の柱に触れ、氷の柱を飲み込むように炎を発生させる。氷の柱は燃え盛る炎によって、溶け去り、炎の柱へと変化した。リシュリオルは新たに出来上がった炎の柱を粘土のように操り、細長く伸ばす。


 しなる鞭のように波打つ黒炎が、断続的にラトーディシャへと襲いかかる。ラトーディシャは翼を広げて、空へと逃げる。リシュリオルは炎の鞭を操って、ラトーディシャを追う。


 ラトーディシャは翼を羽ばたかせて、凍えるような冷たい風を起こす。炎の鞭はその勢いを弱めて、徐々に凍りついていく。ラトーディシャが再び大きく羽ばたくと、凍りついた炎が氷塊の雨となって、リシュリオルに降り注いだ。


 リシュリオルは氷の雨を薙ぎ払うように火球を放射状にばら撒く。氷の雨と炎の弾丸がぶつかり合い、お互いを相殺する。流れ弾の炎が闘技場の壁や床を蒸発させる。二人の戦いによって、闘技場が崩壊していく。




 ラトーディシャが作った氷のドームの中から、国王はリシュリオルとラトーディシャの戦いを見ていた。


「闘技場を焼き尽くす気か! もうやめろ、戦いをやめろ!」国王が氷の中から悲鳴を上げる。


「あなたが私の産まれた村に火を放った時も、村人達はそんな風に叫んでいたのでしょうね」リアノイエが静かに呟いた。

「何を言っている、リアノイエ。まさか……」国王の額に一筋の汗が流れる。


「ええ、知っています。私がどのようにして王族に迎え入れられたのか。……そして!」リアノイエは拳銃を取り出し、国王の顔に突き付けた。

「彼らの戦いは止まりません。これから行われる私とあなたの戦いが終わるまで」


「リアノイエ、何をしているんだ!」近くに立つ王子がリアノイエの行動を制止しようとするが、足が凍りつき、その場から動けなくなっていた。


「そうだ、銃を下ろせ。今、銃を下ろせば、お前を咎めたりはしない」国王はリアノイエを説得するため、落ち着いて話し掛ける。

「どうしたのですか? あなたの好きな戦いですよ」リアノイエは微笑みながら、手に持った拳銃をちらつかせる。


「こんなものは戦いではない。今すぐに銃を下ろすんだ」国王の足にも氷が張り付き、動けなくなっていた。顔に向けられた銃口を見つめることしかできない。


「これも戦いです。あなたは一方的に他者を虐げる戦いが好きでしょう? 私は今、それをしているんです」

「わ、分かった。私が出来る事なら何でもしよう。だから、銃を下ろせ」


「なら、王位を譲ってあげて下さい。そこにいる王子に」リアノイエの視線が王子へと向く。

「……王子、お願いできますか?」

「……ああ、引き受けよう」王子はリアノイエを見据え、力強く頷いた。


 国王はリアノイエと王子のやり取りを見て、憤慨した。

「馬鹿な! ……そんなことできるわけが――」

「あなたは今、口答えをできる立場ですか!」リアノイエの怒声が国王の言葉を遮る。銃口が王の顔へと更に近付く。


「ゆ、譲ろう。今すぐにでも」国王は諦めたように目を瞑った。


「よかった。これで心置きなくあなたを撃てます」

「な、……約束が違うぞ!」


「あなたは銃を下ろせと言った。引き金を引いたら、必ず銃は下ろしますから。安心して下さい」リアノイエの指は引き金にしっかりとかかっている。


「やめろ、リアノイエ! 君の手が汚れてしまうぞ!」王子は必死に叫び、リアノイエを止めようとする。


「覚悟はできています。そうしなければ復讐を果たすことは出来ない」もう誰にも彼女は止められない。


「やめろやめろやめろ! 折角王族の血の流れていないお前をここまで育ててやったのは私だぞ! 恩を仇で返すつもりなのか! やはりお前など生かしておくべきでは無かった!」国王はリアノイエを死に物狂いで罵倒する。


「ふふっ、面白いことを言いますね。私の村を焼いておいて」リアノイエは国王の必死な表情を見て、冷たく嘲笑った。


「それでは、……さようなら」


 リアノイエは引き金を引いた。パンッと乾いた音が鳴る。銃口から硝煙が溢れる。


「ラトー、あなたは……」


 弾丸は発射されなかった。空砲だった。国王の顔は恐怖で歪み、荒々しく呼吸を繰り返していたが、彼は生きていた。

 

 リアノイエは銃を下ろす。約束通り。


 彼女は悔しがることも、憤ることもしなかった。心の中はすっきりとしていて、憑き物が落ちたかのようだった。自分でも分からないが、何故か笑いが込み上げてくる。


 リアノイエは笑いながら、空に向かって叫ぶ。

「ラトー! 終わったわ! ありがとう!」


 闘技場に彼女の声が響いた。ラトーディシャの声が返ってくる。

「どういたしまして!」


 ラトーディシャの返事の後、氷のドームが溶けて、消えていく。リアノイエは振り返り、国王に向かう。


「命拾いしましたね、国王。でも、約束は守ってもらいます。約束を破れば、今あそこで戦っている私の忠実なる騎士があなたの命を奪いにきますよ」


 国王に脅しをかけるリアノイエ。彼女の微笑む顔が漂う霧の中で輝いていた。




「リシュ、そろそろ僕達の戦いも終わりにしよう」ラトーディシャは空から地に降り立つ。

「いいだろう。最大出力で行くぞ」


 リシュリオルの立つ地面から黒炎が噴出する。炎は彼女の頭上に集まっていき、燃え盛る球体となった。その巨大な炎の塊はまるで、黒く輝く太陽のようだった。


 黒い炎に対抗し、ラトーディシャも周囲に吹雪を巻き起こす。吹雪は次第に渦を巻き、大量の氷塊を纏う嵐となった。


 リシュリオルとラトーディシャが互いの最大の力を放ち合う。二つの力の衝突は、凄まじい音を立てて、爆風と閃光を生んだ。何もかもが吹き飛び、視界には光だけが広がる。


 二つの力の衝突による破壊の波が収まり、瓦礫だらけの闘技場が静まり返る。砂埃が舞い上がり、視界を遮っている。


 リアノイエは息を切らしながら、観客席を走り回った。闘技場を見渡し、二人の闘技者の行方を探す。そして、砂埃の中に人影が立っているのを見つけ出した。


 急に巻き起こった風が砂埃が吹き飛ばし、次第に視界が晴れていく。立っていた人影の正体は、ラトーディシャだった。彼から少し離れた場所にリシュリオルが倒れている。


 リアノイエは瓦礫を階段代わりにして、観客席から闘技場へ降りると、そのままラトーディシャの元へと走り出した。


「おめでとう、ラトーディシャ。あなたの勝ちよ」

「ありがとう、リアノイエ。君も勝てたみたいだね」


「ええ、あなたのおかげ」

「僕の勝利も君のおかげさ」

「ふふ、どうして?」

「さあ、どうしてだろう」

 互いに笑い合う二人。


「審判がいないんだ。最後の宣言を君に頼んでもいいかな?」

「ええ」リアノイエは大きく息を吸い始めた。そして。


「勝者! ラトーディシャ!」


 リアノイエの声が高らかに響き渡る。闘技大会はラトーディシャの優勝によって、その幕を閉じた。

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