スープとキス

 その後、ラトーディシャとゼールベルの試合が行われた。


 試合開始の直前、ゼールベルが格好の悪いキノコになった腕を振り回しながら、ラトーディシャに何かを訴えている。


「言おうか、言わまいか。迷っていたが、やはり言わせてもらうぞ!」そう言うと、ゼールベルはラトーディシャに向けて、罵詈雑言を浴びせ始めた。


 ラトーディシャは静かに微笑み、時折頷きながら、ゼールベルの言葉を聞いていた。


 審判の合図で試合が始まると、ラトーディシャは観客達の前だというのに、竜の力を存分に発揮し、ゼールベルをサンドバッグにし始めた。


 ラフーリオンは殴られ、蹴られ、右に左に吹き飛ぶゼールベルの腕からポロポロとキノコが落ちていく様子がなんだか愉快に感じて、待機室で一人笑っていた。


 ラトーディシャとゼールベルの試合は当然のことながら、ラトーディシャの勝利によって終わり、この日に予定されていた全ての試合が終了した。明日は決勝。リシュリオルとラトーディシャの試合だ。




 そして、明日の決勝戦までの間、闘技者達は各々の時間を過ごしていた。




 ラトーディシャは試合が終わると、ジンクリィズに夕食の誘いを受けていたので、彼の家に向かっていた。


 教えられた住所の場所に着くと、そこには巨大な豪邸が建っていた。大理石で建てられた城のような建物を中心に、一見すると何処が端なのか分からないほど広い庭園が拡がっていた。大きなプールも見える。実家が金持ちと言ってはいたが、まさかここまでとは。


 敷地に繋がる門の近くにいた使用人らしき人物に、ジンクリィズのことを尋ねると、門が大きな音を立てて開き、ラトーディシャを中に招き入れてくれた。そして、ジンクリィズが待っているという専用のキッチンへと案内してくれた。


 案内されたキッチンに彼はいた。ジンクリィズはつなぎの防護服を上半身だけ脱いで、椅子に座っている。

 どうして防護服を? この時点で嫌な予感しかしなかった。案内してくれた使用人は笑顔だったが、明らかに引きつっていた。


 ジンクリィズはラトーディシャの姿に気が付いたようで、こちらを見て手を振っている。


「やあ、来てくれたんだね、ラトーくん。料理はもうすぐ出来上がるところだ。少し待っていてくれないか?」ジンクリィズはそう言うと、防護服を着直し、キッチンの壁に取り付けてある鋼鉄の扉の向こうに消えていった。


 終わりだ、彼の料理には期待できない。ラトーディシャは使用人が用意してくれた椅子に座り、扉の向こうから鳴り響く金属音を聞きながら思った。


 数分後、ジンクリィズが大きな皿を持って、扉から出てきた。そして、テーブルに置いた。皿の中身を覗いてみると、銀色の液体が青白い光を放っていた。手で仰いで匂いを嗅いでみると、むせ返るような甘い香りがした。なんだろう、これは?


 防護服を脱ぎながら、ジンクリィズが自信満々に言う。

「スープだ」

 ああそうか、スープか。


 ラトーディシャは使用人の方を見た。使用人は目が合った瞬間、すぐに視線を逸してしまう。この人のことは名前すら知らないが、親友に裏切られたような気分になった。


 この『スープ』を飲むことは避けたい。誰だって今までの光景を見たら、この『スープ』を飲もうとはしないだろう。


 『スープ』を飲まずに済む方法を一生懸命に考えていると、別の使用人が現れ、ジンクリィズに言伝していった。

「ジンクリィズ様、コルナトリエ様が……」

「コルナさんが来てくれたのかい?」聞き慣れない名前が出てきた。


「コルナさんって?」

「俺に料理を教えてくれた元王族専属料理人さ。俺の先生といったところかな」


 ラトーディシャは再び考える。その『コルナさん』とやらには申し訳無いが、『スープ』を代わりに飲んでもらおう。


「この……『スープ』は君が全霊を注いで、作った物だよね」恐る恐る質問するラトーディシャ。

「ああ、客人が来ると考えたら、つい本気を出してしまったよ。最高傑作かもしれないな」ジンクリィズが高笑いする。

 

「正直なところ、僕は味音痴でね。本当に美味しい料理を食べても、それっていうのが分からないかもしれない。君が本気で作った料理なら、一度先生に味を確かめて貰った方がいい気がするんだ」


「だが、これはラトーくんの為に作った料理なのだが……」


「ジンク! 君の『最高傑作』を最初に食べてあげさせるのは僕じゃない。君をここまで成長させてくれた先生にこそ食べてもらうべきだ」ラトーディシャは熱を込めて、自分でもよく分からない理論をジンクリィズに語る。


「……そうかもしれないな」しかし、ジンクリィズは納得してくれた。これで『スープ』は回避した。


「コルナトリエ様がいらっしゃいました」使用人の隣に背の高い女性が立っていた。


 ジンクリィズが早々に彼女に話し掛ける。

「コルナさん、来てくれましたか。実は『最高傑作』ができまして。そこの少年、ラトーくんが是非あなたに味を確かめて欲しいと」ジンクリィズはラトーディシャを指差す。


「はは、どうも。ラトーディシャです」気不味そうに挨拶するラトーディシャ。


「『これ』を私に? ……いい度胸だな、少年」コルナトリエがラトーディシャを睨みつける。ラトーディシャは目を泳がせた。


 コルナトリエはいきなり皿を傾け、『スープ』をキッチンの床にこぼし始めた。

「コルナさん、何を!」ジンクリィズが彼女の突然の行動に動揺する。


 床にドロドロと落ちていった『スープ』はゼリーの様に一箇所にまとまった。そして、球状に変形した後、昆虫の様に六本の脚を生やし、カサカサと蠢き始めた。


「……」ラトーディシャは目の前の異常な光景に言葉を失った。激しく脚を動かす『スープ』をじっと見ることしかできなかった。

「ふんっ!」コルナトリエは『スープ』をいきなり踏み潰した。『スープ』がそこら中に四散する。


「俺の『スープ』が!」ジンクリィズは断末魔の様に叫び、泣いた。床に跪きばらばらになった『スープ』を手のひらですくい始める。


「少年、君は私に『こんな物』を食べさせようとしたんだぞ。何か言うことは無いだろうか」コルナトリエは飛び散った『スープ』を拭き取りながら、ラトーディシャに言った。


「すみません。『こんな物』とは知らずに……」ラトーディシャは思わず頭を下げてしまった。


「いいだろう。頭を上げ給え」

「はい。……コルナトリエさん、いきなりこんな質問をする僕を許して欲しいのですが、……この料理は、あなたがジンクリィズに教えた物ですか?」


「確かに酷い質問だ。だが、許そう。……こいつは私が教えた事をことごとく無視するのだ。自分から料理人になりたいから、料理を教えて欲しいと言ってきた癖にな」


「そうだったんですか」同情に満ちた表情で頷くラトーディシャ。

「最終的には異形の怪物を作り始めた」散らばった『スープ』を指差すコルナトリエ。


「こいつは怪物なんかじゃない! コルナさんは俺の料理のことを何も分かっていないんだ」そう訴えるジンクリィズは涙を流していた。このろくでなしは何で泣いているんだ?


「黙れ! お前が作っているものは料理ではない! そして、私が今日お前に会いに来たのは、そのよくわからない物を作るお前を止めて欲しいと父上に頼まれたからだ」

「親父がそんな事を……」


「料理人になることなど諦めさせてやる。大人しく父上の道場を継ぐんだ」

「嫌だ! 俺はあんな汗臭い道場を継ぐ気はないぞ。俺の邪魔をする気なら、コルナさん。あなたでも容赦はしない」ジンクリィズは何処からか刀を取り出した。


「ジンクリィズ、止めろ! 何考えてる!」ラトーディシャはジンクリィズを制止しようと彼に迫ろうとした。しかし、隣に立っていたコルナトリエの腕が彼の動きを阻む。


「コルナさん、何を?」

 コルナトリエは指で床に飛び散った『スープ』の一部を指で弾き飛ばした。『スープ』の欠片は、叫びながらこちらに向かってくるジンクリィズの口の中に入っていく。ジンクリィズは雷に打たれたように失神すると、キッチンの床の上に膝立ちになり、口から泡を吹き始めた。


「よく味わえ、これがお前の料理だ」


 コルナトリエは倒れゆくジンクリィズの姿を見届けた後、ラトーディシャの方へと振り返った。


「少年、君には悪いことをした。私の料理で良かったら、どうか食べていってくれ」

「分かりました。ご馳走になります。あなたの料理なら食べられそうだ」


 コルナトリエの料理はまさに絶品という代物だった。満腹になったラトーディシャはジンクリィズの家を後にして、ホテルへと戻った。


 


 闘技大会の会場にある治療室。ラトーディシャにサンドバッグにされたゼールベルは未だ身体を動かせず、ベッドの上にいた。異臭も消え、キノコは全て抜け去ったが、腕はボロボロで包帯でぐるぐる巻きにされていた。窓の向こうの沈みゆく夕日を見つめ、黄昏ていた。


 夕日が沈み、空が群青色になり始めた時、薄暗い治療室に誰かが尋ねてきた。

「こんばんは」声の主はノランニーエだった。


「こんばんは。……どうしたんだ? 俺を笑いに来たのか?」死んだ魚のような目でノランニーエを見るゼールベル。

「約束、覚えてないの?」


「ああ、約束ね。てっきり君はもう何処かに消えたのかと思ってた」

「酷いわね。私をそんな女だと思っていたの? さあ、あなたのお願いを言ってみて」


「じゃあ、俺の腕に残ってる針を君の力で取り除いてくれ。身体の中に異物が入っているなんて、気分が悪い」

「そんなことでいいの?」


「ああ」

「そう」


 ノランニーエはゼールベルの腕に触れて、身体の中に残っていた針を全て抜き取った。そして、彼の顔に触れ、額にかかる黒い髪をかきあげながら、彼女は顔を近付けてくる。


「……これは、おまけ」ノランニーエの唇がゼールベルの唇に触れた。ゼールベルは目を丸くする。


「お味はいかが? 毒は入っていないから安心して。私の扉はもう開いているみたいだから、そろそろ次の異界に行くわ。……それじゃあね」ノランニーエは微笑みを残して、治療室から出ていった。ゼールベルは去っていく彼女の姿を最後まで見ていた。


「うぐっ」ゼールベルの口の内側を『何か』が刺さる。舌を動かして、『何か』を包帯に巻かれた手の上に吐き出した。


 『針』だった。


 少し前に気分が悪くなるほど、見ていた針。形も大きさもよく覚えている。これはノランニーエが扱っていた針だ。冷や汗が止まらない。


 ……怖い人だ。


 その日の夜、ゼールベルはあまり眠ることができなかった。

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