躍動する肉体、覚醒の時
リシュリオルは試合開始と共にバロウディウへと猛進する。そして、バロウディウの顔に向けて数回、軽いジャブ。バロウディウは繊細なフットワークで、彼女の拳を軽々と避ける。
数発のジャブの後、右手で大振りの一発。バロウディウは姿勢を低くし、それを避ける態勢を整える。リシュリオルは拳を急に止めて、手のひらに隠していた小石を指弾術で撃ち出した。小石はバロウディウの左目に向かって飛んでいく。
(小賢しいな)
バロウディウは小石を回避するために姿勢を更に低くし、足を大きく開く。これで奴は動きにくくなる。リシュリオルは小石に集中しているバロウディウの胴体に向けて、左足で回し蹴りを放つ。彼女の足がバロウディウを襲う。
しかし、バロウディウは足を大きく開いた状態からすり足で素早く前進し、鋭い右ストレートを打ち出してきた。
(あの体勢から、こんなに早く動けるのか!)突然のバロウディウの動きに動揺する。
リシュリオルの放った回し蹴りの威力が発揮されるのは足先の直撃。だが、ここまで近づかれると、足先を奴に当てるのは無理だ。
リシュリオルは身体を右側に傾け、バロウディウの拳をなんとか回避した。彼の拳から放たれる衝撃がリシュリオルの顔の皮膚の表面を波打つ。
奴の右腕は回避できたが、こちらに隙ができた。地に立つ右足だけでは身体の平衡を保てない。バロウディウの追撃、左ストレート。彼の拳をとっさに右腕で受けようとしたが、間に合わない。
彼の左ストレートは右腕をすり抜けて、鎖骨に直撃した。激痛が走る。殴られた勢いで後ろへ吹き飛ばされたが、なんとか受け身を取るリシュリオル。
バロウディウとの距離が試合開始の時と同じ間隔に戻る。
(強い! 普通の奴なら見せる隙が奴には無い!)リシュリオルは息を整え、態勢を立て直す。
今度は、バロウディウが攻めてきた。どうやらこちらを休ませる気は無いらしい。間髪を入れず、打ち出される力強い連打。リシュリオルは徐々に後ずさりしながら、辛うじて彼のラッシュを受け流す。
バロウディウの攻撃の勢いが収まると、リシュリオルは一気に後退して、また彼との距離を遠ざけた。
体力の消耗が激しい。無駄な動きが多すぎた。鎖骨に打たれた拳のダメージが思ったよりも大きい。
リシュリオルはバロウディウと比べて、著しく疲労していた。息が上がっている。最初の様な動きはできないだろう。
しかし、バロウディウは向かってくる。少しもその威勢が弱まっている様子は無い。
奴の攻撃を避け続けるだけでは、体力差で負ける。こちらから攻めなければ、勝機は無い。リシュリオルも迫り来るバロウディウに立ち向かう。
リシュリオルの先手、目一杯の右ストレート。バロウディウは左に避けた後、同じ右ストレートで返してくる。その拳を姿勢を下げて避ける。
バロウディウは突き出した右手を手刀に変え、真っ直ぐに下ろす。リシュリオルは更に姿勢を下げて、素早くしゃがみ込み、足払いをかける。バロウディウの巨体が倒れることは無かったが、大きく身体を傾けた。手刀の狙いが逸れる。
(今だ!)
リシュリオルは振り落とされる手刀を擦れ擦れで避けながら、素早く姿勢を戻す。そして、バロウディウに向けて、拳を突き上げた。
「喰らえ!」
彼女の放った拳は、バロウディウの顎にクリーンヒットした。渾身の一撃を受け、バロウディウはよろけながら後ずさりする。この機会は逃さない。追撃開始だ。
リシュリオルの怒涛の連撃。力を込めた正拳突きがバロウディウの腹に直撃し、彼は呻き声を上げた。素早く技を切り替え、中段蹴り。彼女の足先がバロウディウの胴体にぶつかる。
まだだ、まだ攻め続ける。数発のジャブを打込みながら、バロウディウの懐に入り、ボディブローを決める。また後ずさりした。バロウディウとの間隔が僅かに開いたが、大きく踏み込み、相手を追う。そして、踏み込みからの蹴り。リシュリオルの全体重をかけた足がバロウディウの身体にぶつかる。
猛攻を受けたバロウディウが片膝を着いた。決めるなら今だ。リシュリオルは足を高く上げたあと、ハンマーの様に振り下ろす。脳天への踵落とし。
「終わりだッ!」
リシュリオルの技が決まると思われたその時、バロウディウの目が光る。彼の腕が振り下ろされる足首を掴んだ。そして、そのまま足をすくい上げるように勢いよく持ち上げる。リシュリオルは空中を一回転して、地面にうつ伏せの状態で叩きつけられた。
投げられた? 全身が痛い。だが、……まだやれる。直ぐに立ち上がり、バロウディウに向け、一直線に拳を打ち出す。
「遅い」
リシュリオルの苦し紛れの攻撃をたやすく避け、突き出た腕を掴まれ、背負い投げを決められる。受け身をしきれず、彼女の身体はまた地面に衝突し、全身にその衝撃が走る。
呼吸が一瞬止まる。意識も朦朧としてきた。地面に仰向けの状態で、頭上を見上げると、バロウディウがゆっくりと近付いてきている。身体がうまく動かせない。なんとか身体を起こして、バロウディウと対面するが、足取りは重く、その場に立っていることしかできない。
バロウディウが止めを刺しに来る。彼の拳が迫って来る。
負ける。こんなところで? アリゼルの力を使うか? それだけは駄目だ。それなら、潔く負けを認めよう。だが、負けていいのか? 奴に負けてもいいのか? 勝ちたい、……勝ちたい!
勝利への渇望がそれを起こしたのか、その瞬間が彼女の目覚めの時だったのか。リシュリオル自身にも分からなかったが、バロウディウの拳は彼女の身体を逸れて、何も無い空間を突き抜けていた。
リシュリオルが身に着けていた赤いマフラーがバロウディウの腕に巻き付き、拳の先を逸していた。
バロウディウは何が起こったのか分からずに、固まっている。リシュリオルは最後の力を振り絞り、全身全霊の蹴りをバロウディウの側頭に決める。彼の身体は吹き飛ばされ、地面に倒れた。
審判がバロウディウが意識を失ったことを確認し、宣言する。
「勝者! リシュリオル!」
観客席から歓声が上がる。リシュリオルへの称賛の声が闘技場内に響き渡っている。
しかし、彼女は虚ろな目で、地面に倒れているバロウディウを一瞥した後、おぼつかない足取りでゆらゆらと闘技場から消えていった。
待機室に戻る途中、ラフーリオンとラトーディシャに出会った。
「ラフーリオン、目が覚めたのか」ラフーリオンの姿を見たリシュリオルが真っ先に口を開く。
「ああ、お陰様で。それより……」
「よく勝てたじゃないか」ラトーディシャがラフーリオンの言葉を代わりに喋った。
「あんなのは、勝ったとは言えない。本当なら私は確実に負けていた」リシュリオルは手に入れた勝利を少しも喜びはしなかった。
「最後のマフラーの件、異界渡りの力が使えるようになったみたいだな」
「ああ」リシュリオルは赤いマフラーを手で触れずに解いた。マフラーは彼女の腕を蛇のように伝い、手のひらの上まで来ると、球状に収まった。
「やはり、俺と同じ力……。触れた布を操り、その特性を引き出す」
「だけど、ラフーリオンの様に器用には動かせない。お前はコートをこの球くらいのサイズに変えたが、私にはこれ以上マフラーのサイズを小さくできない」
「全く同じ力では無いのか?」ラフーリオンが球状になったマフラーをじっと見つめながら、力の差について考えていると、リシュリオルはマフラーを元の形に戻して言った。
「私は疲れたから、少し眠るよ。治療室は……臭うだろうから、ホテルに戻るかな」かなりのダメージを受けているのか、重い足取りで外に向かって歩き出すリシュリオル。歩いている途中、急に振り返る。
「その前に……。ラトー、忘れ物だ」
「なんだい?」リシュリオルは異界渡りの力でマフラーを手の様に操り、離れた場所にいるラトーディシャの手のひらに何かを置いた。それを見たラトーディシャの顔から笑みが消える。
「ラフーリオン、やっぱり報酬はいらないよ……」ラトーディシャは不味い顔で、ラフーリオンの方を見た。ラトーディシャの言っていることが理解できず、ラフーリオンは隣に立つ彼の顔を見返している。
「ラトー、何を言ってる――」
ラフーリオンがラトーディシャに疑問を投げ掛けようとした瞬間、彼は急に後方へと吹き飛んだ。リシュリオルがマフラーで、ラフーリオンの顔面に彼女の拳のような重い一撃を見舞った。
「あんなに心配したのに……」そう呟いて、リシュリオルはすたすたと会場の外に向かった。
遠のいていくリシュリオルの背中を見ながら、ラトーディシャが喋り始める。
「……リシュは意外と演技派だね。……彼女に渡されたのは、ラフーリオンの指示が書かれたメモだよ。どこかに落としてしまったのをリシュに拾われてしまったみたいだ」
「分かったぞ!」通路の向こうに吹き飛んでいったラフーリオンが叫ぶ。
「いきなり、なんだよ?」ラトーディシャはラフーリオンの急な叫び声に身震いした。
「俺とリシュの異界渡りの力の差だよ。正に『力』の差だったんだ。前に本か何かで読んだんだが、異界渡りは物体にエネルギーのような物を送り込むことで、操っている。そして、物体に送ることができるエネルギーの出力は個人差があるんだ。俺の場合は出力が小さいが、その分制御がしやすい。だが、リシュリオルの場合はその逆なんだ」
「出力が大きい代わりに、細かい制御ができないと」ラトーディシャがラフーリオンの言葉を繋ぐ。
「そう! 異界渡りの力は人間の能力と同じなんだ。それぞれの力を例えるなら、俺は繊細で器用な指を持つ職人で、対してリシュは筋肉の塊だ。あいつの着けていたマフラーは丈夫だが、重過ぎて売り物にならない安生地で編んである。それが逆に、リシュリオルの力で増幅されて、強力な武器になったんだ」
「今言ったこと、リシュの前では絶対に言わないほうがいいよ」
「誰が言うか、殺されかねん」
「ラフーリオンはなかなか酷い人間だよね」ラトーディシャは苦笑した。
「よく言われる」ラフーリオンは何故か自信に満ちた表情をしていた。
会場の外に出て、ホテルへと向かう途中、リシュリオルは背後から呼び止められる。振り返ると、先程戦っていた相手、バロウディウが息を切らしながら立っていた。
「他の闘技者に聞いたら、もう外に出ていると聞いて追いかけてきた」
「何か用か?」素っ気なく聞くリシュリオル。
「さっきの試合の最後、そのマフラーが私の拳を動かしただろう? もしかして、君は異界渡りという者なのだろうか?」
「ああ、私は異界渡りだ。マフラーもさっきの試合の最後の瞬間で動かせるようになった。……だから、あれはお前の勝ちだ」
「いいや、私の負けだ。だが次は……」口元を緩ませるバロウディウ。彼は大きく息を吸い始める。そして……
「私が勝つ!」大気が揺らぐような声だった。
リシュリオルは目を丸くしていた。
「あの時のお返しだ。……君は強くなる。だが、私もまだまだ強くなる。次に会う時があれば、その時は手合わせ願おう」
「……わかった」リシュリオルは笑って、返事をした。
「では、私はまた修行の旅に向かうとしよう」バロウディウはそう言って、いずこかへ去っていった。
「ああ。またな」リシュリオルも彼の進んだ方とは別の方へ、足を進めた。
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