働かずして作る料理

 闘技場に向かう通路、二人の闘技者の靴音が響いている。長髪の男が口を開いた。


「少年、名前はなんと言うのだ?」名前を聞く男の視線は通路の先に見える闘技場に向いている。

「ラトーディシャ、ラトーでいいよ」


 男は大きく息を吐いた後、深刻そうな表情で、ラトーディシャの方へ視線を向ける。


「ラトーくん、実は俺には重い病を患っている妹がいる。闘技大会に参戦したのは、妹を救う為なのだ」

 眉間にしわを寄せながら、話し続ける男。

「そこで、君に頼みたいことがある。……次の試合を、……どうか俺に譲ってくれないか?」


 ラトーディシャは男と顔を見合わせる。


「悪いけど、僕にもこの大会に優勝しなければならない理由がある」

「それは重要なことなのだろうか?」男が目を細めながら、ラトーディシャの顔を伺う。


「ああ、大事な約束だ」

「そうか……」男は再び大きく息を吐いた後、神妙な面持ちで語り始めた。


「しかし、実は俺には病気の妹が勿論いるし、更にこの国をより良くするため、活動家として日夜戦っているのだ。真の愛国者として、この刃を振るい続けている。そして、この大会に参加したのは妹を救う為でもあるし、王族の一員となり、この国を良き方向へと導く為でもあるのだ」


 やけに早口で話す男。彼の口はまだ動き続けている。ラトーディシャは胡散臭そうに、べらべらと喋る男を見ていた。


「そこでだ、君に頼みたい事が――」

「勝ちは譲らないよ」ラトーディシャは彼が話す前に否定した。


「……何故だろうか?」

「さっき話したじゃないか。お兄さんが本当のことを言えば、考えてあげるけど」

 呆れたように言うラトーディシャ。どんな理由だろうと、わざと負けるなんてことはする訳が無いが。


「本当か!」目を見開く男。


 そして、闘技場から差し込んでくる光の方を見つめ直し、真実を語り始める。


「実は、……俺には病気の妹などいないし、活動家でもないし、大した愛国心も持ち合わせていない。あと、道場を営んでいる実家が、とても金持ちなので働いていない。毎日のんびりと趣味の料理を楽しんでいる。それを悪く言う輩がいるが、俺はそんな生活がとても幸福だと思っている」


「うんうん」ラトーディシャは彼の話に一欠片も共感できてはいなかったが、なんとなく頷いていた。


 ……ただのろくでなしじゃないか。


「そして、俺の父親は『剣聖』とまで称えられた剣術の達人なのだが、その父に俺があまりにも弛んでいるということで、この闘技大会に参加しろと言われてしまったのだ。だが、私は断った。俺の剣は、他人を傷つける為のものでは無いと、自分の立場を守る為にあるのだと」


「……」言葉を失っているラトーディシャ。


 ラトーディシャは異界渡りになってから、様々な人間に会ってきたが、ここまでどうしようもないと思える人間には初めて会った。


 男は目を閉じて、思い出すように話し続ける。


「そんな俺に父はある条件を出してきた。次に開催される闘技大会で優勝すれば、これからは何も言わないと、お前の自由にしろと。俺はその話に乗った。そろそろ毎日続く父の戯言にもうんざりしていた頃だったのだ。だが、俺は騙されたと思ったよ。この闘技大会は千回目。王女との婚約が報酬になり、普段よりも多くの猛者たちが集まってしまった。予選はなんとか勝ち抜いたが、本戦では全く勝てる気がしない……。そこでだ、ラトーくん。俺の自由のために、俺に勝利を譲ってくれ!」


 閉じていた目を開き、懇願する男の眼前には誰もいなかった。ラトーディシャは既に闘技場の手前まで来ていた。


「早く来なよ。その腐った性根、叩き直してあげるから」


 ラトーディシャは、王女を救おうと奮闘する自分の対戦相手が、こんなろくでなしであることによく分からない憤りを覚えていた。


 こんなアホを野放しにはしておけない。彼を父親の元に送り返そう。ラトーディシャは謎の使命感を抱いていた。


 男はまたぶつぶつと呟き始める。


「俺を勝たせてくれたら、君に俺の料理をご馳走しよう。実家から搾り取った金で仕入れた高級食材をふんだんに使い、元王族専属料理人から教わった技術を持つ俺が試行錯誤を繰り返した料理だ。最早、趣味の領域は越えているぞぉ!」


 ラトーディシャは男の言葉を無視して、さっさと闘技場に入っていった。この人は何を言っているんだ。


「あぁ、待ってくれ。ラトーくん」男は急いで、通路の向こうのラトーディシャを追いかけた。




 闘技場の中心、ラトーディシャと長髪の男が向かい合う。


 審判が試合の説明を始める。銃器の使用は不可、相手を戦闘不能にするまで、試合は続く。戦闘不能とは生死を問わず、一定時間、意識を失った状態とする。


 審判が両手を上げ、大声で宣言する。


「これより、ラトーディシャ対ジンクリィズの試合を開始する」この駄目男の名はジンクリィズと言うらしい。


「両者、準備はいいか」審判の確認が入る。


「うん」ラトーディシャは頷く。

「おい、まだ話は終わってないぞ。ラトーくん」ジンクリィズはまだ話の続きがしたいらしい。


「往生際が悪いぞ、ジンク。君の力を見せてみろ」腰に据えていた短刀を構えるラトーディシャ。

「やはり、君とは戦うしかないようだな。……審判、俺も準備は出来た」腰に差した数本の刀のうちの一つを慣れた手付きで掴むジンクリィズ。

 

 審判が相対する二人の闘技者を交互に一瞥する。


「では、用意……始め!」審判の試合開始の掛け声が闘技場内に響き渡る。


 試合が始まった瞬間、ジンクリィズの刀がラトーディシャを襲った。ラトーディシャはなんとか手に持っていた短刀で彼の高速の居合を受けたが、その衝撃でよろけてしまう。


 二度目の斬撃をラトーディシャに見舞う為、ジンクリィズが刀を構え直す。


(流石、剣聖の息子といったところか。……仕方ない)ラトーディシャはすかさず懐から一冊の本を放り投げた。本はふわふわと空中を浮かびながら、独りでに開き始める。


(なんだ、この本は? だが、このまま切り捨ててやる)ジンクリィズはラトーディシャが投げた本ごと、彼に斬りかかろうととした。


 しかし、ジンクリィズの放った斬撃はラトーディシャに届く前に止まってしまう。ジンクリィズの刀は閉じられた本によって、白刃取りのように受け止められていた。


 ラトーディシャは動きの止まったジンクリィズの刀を本ごと蹴り上げ、闘技場の端へと吹き飛ばした。


 ジンクリィズは急いで後退し、ラトーディシャと距離を取る。その隙に、ラトーディシャは更に数冊の本を取り出し、空中に浮かべた。


「ラトーくん、君は異界渡りか」宙に浮く数冊の本を眺めるジンクリィズ。

「御名答。あまり力は使いたくなかったが、ジンク、君は思っていたよりも手強い相手だからね。どんどん使わせてもらうよ」


「本当に厄介だな」先程使っていた物とは別の刀を手に取るジンクリィズ。


「それじゃ、行くよ」ラトーディシャが短刀をジンクリィズに差し向けると、浮かんでいた数冊の本が彼に向かって一斉に飛んでいく。


 ジンクリィズは飛び交う本を躱しながら、一冊ずつ切り落としていく。


「所詮は紙、簡単に切れる」いつの間にか、浮かんでいる本の数は着実に数を減らしていた。


「すごいな。結構なスピードのはずなのに」

「感心している場合だろうか?」ジンクリィズが素早く距離を詰めてくる。


「まあ、本は読むための物だからね。戦いには使えないな」

「その通りだ、行くぞ!」


 ジンクリィズの高速の居合が再び放たれようとしたその瞬間、残っていた本から大量のページが飛び出し、ジンクリィズとラトーディシャの周囲をドームの様に覆う。


 審判と観客達が狼狽える声が聞こえてきた。紙のドームの外側からでは、中で何が行われているのか分からなくなる。


「何だ、これは!」ジンクリィズは飛び交う紙によって、ラトーディシャの姿を見失う。


 慌てて紙ごと、ラトーディシャがいた辺りを数回切り払うが、手応えは無い。


 背後から風の音がしたので、刀を振りながら、後ろへ振り返る。しかし、刀は空を切った。


 ラトーディシャは宙に浮いていた。いや、飛んでいた。いつの間にか、彼の背中に生えていた翼が羽ばたいている。


「ごめんね、卑怯な手だ」ラトーディシャはそう言いつつ、攻撃の構えを取る。

「まだだ」ジンクリィズは振り切った刀をそのまま放り捨て、最後に残った刀の柄を瞬時に掴み、流れる様に鞘から抜き去った。

 

 その太刀筋はラトーディシャを確実に捉えていた。


(見事だ。……だけど)ジンクリィズの放った斬撃は、一冊の本に阻まれた。


「隠していた、いつもそうしてるんだ。こうやって役立つ時もあるから」


 ラトーディシャは竜の力を拳に纏わせて、ジンクリィズの胴体に打ち込んだ。


 ジンクリィズの身体は、本の紙で作られたドームの外へ吹き飛ばされた。その勢いで、ジンクリィズは意識を失った。


 ラトーディシャは紙の抜け落ちた本の表紙を拾い上げ、異界渡りの力を使い、飛び交うページを集めた。紙のドームがその形を崩し、数冊の本に戻っていく。


 審判は訳が分からない、という様子でその光景を見ていた。しかし、彼を見つめるラトーディシャの微笑む顔を見て、自分が今、言うべき言葉を思い出す。


「勝者、ラトーディシャ!」審判の声が闘技場内に響き渡る。観客達もドームの中で何が行われているかは理解していなかったが、笑顔で手を振るラトーディシャに称賛の声を送った。


 ラトーディシャは、観客席から聞こえる声を背に、待機室へ向かう通路へと足を進めた。




 待機室の扉を開けると、ラトーディシャに気付いたゼールベルとリシュリオルが駆け付けてきた。


「流石、ラトーだ。やるじゃねえか」ゼールベルがラトーディシャの肩を揺らす。

「彼も凄い腕を持っていた。竜の力が無ければ、僕はやられていた」

 

「竜の力を使ったのか? 紙で隠したのはその為か」リシュリオルが感心したように頷く。

「そうそう。それよりラフーリオンは目を覚ましたのかい?」嘘の真面目な顔で二人を見るラトーディシャ。

 

 彼の質問を聞いたゼールベルの顔が暗い表情に変わった。ラトーディシャはゼールベルのその顔を見て、笑い出しそうになったが、今度は堪えた。


「まだだ。後で様子を見に行ってやってくれ。俺は試合があるからな」ゼールベルの言葉の後、すぐに待機室の扉が開き、兵士が次の試合の闘技者を呼んだ。


「それじゃあな」ゼールベルは待機室の扉から闘技場に向かっていった。彼の跡を追い、待機室に用意されたベッドに座っていた女剣士も部屋から出ていった。


 ラトーディシャとリシュリオルはラフーリオンが眠っている治療室に向かった。




 ラフーリオンは相変わらず、穏やかな表情で眠っている。


(僕の気も知らないで、すやすやと眠っちゃって。後で、報酬を請求してやろう)


「こいつ、誰かに襲われたっていうのに、いつもより安らいでいるように見える」リシュリオルがラフーリオンの顔をまじまじと見ながら、ぼやいた。


(鋭いな、リシュは)ラトーディシャはリシュリオル後ろ姿を見ながら、彼女の感の良さに感心していた。


 リシュリオルの影から、アリゼルがラトーディシャの方をじっと見ていた。ドキリとするラトーディシャ。アリゼルはラフーリオンを気絶させたのが誰なのか分かっているようだった。


 ラトーディシャはアリゼルに向けて、人差し指を口の前に立てた。黙っていてくれ、頼むよ。


 アリゼルは親指を立てた後、影の中に消えていった。


 突然、治療室の扉が開き、担架に乗せられたジンクリィズが運ばれてきた。ラフーリオンの向かい側のベッドに降ろされる。顔色は少し悪いが、もう目を覚ましているようだ。ラトーディシャに気付き、こちらに手を振ってきた。


「やあ、ラトーくん。さっきはいい試合だったね。……それにしても、最後のあれはどういう事なのだろうか? 君の背中に翼が生えているように見えた」


「夢でも見たんじゃない、多分」ラトーディシャは彼の質問を素っ気なくあしらう。


「そうか、夢か……」呆けた顔で治療室の何も無い天井を見るジンクリィズ。暫く天井を見続けた後、何かを思い出したかのようにラトーディシャに話しかける。

「そうそう、そんなことより試合の前に言った話を覚えているだろうか、今晩、俺の料理を食べに来ないか?」


「折角だから、行ってみようかな。リシュも行くかい?」


「ラフーリオンがいるからな。行きたいけど、やめておく」残念そうにするリシュリオルを見て、ラトーディシャは気の毒に思った。その人のことは、放っておけばいいとは言えなかった。

「そうか、残念だな」ラトーディシャは嘘の残念そうな顔で言った。


 治療室に少し気まずい空気が流れたので、ラトーディシャはこの部屋から抜け出すための適当な理由を考える。


「あー、僕はそろそろゼルの試合を見に行くよ。一応相棒だからね。リシュはここに残るかい?」

「ああ、犯人の手掛かりが見つかったら教えてくれ」


「……分かった」ラトーディシャはいい加減、嘘をつくのをやめたかったが、もう後戻りはできなかった。このまま嘘を突き通すしかないだろう。


 ラトーディシャは治療室の扉を開けて、待機室へ向かった。彼はここで失敗をした。ラフーリオンから渡された指示が書かれたメモを扉を通る時に落としていたのだ。彼自身、そのことに気付かないまま、治療室から去ってしまった。

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