戦いたくない!
翌日の朝。ホテルのフロントに集合する一行。リシュリオルがなかなかベッドから出ないので、ホテルを出発する時間が遅くなってしまった。本戦前に行われる開会式に遅れないように、街中を走りながら突き進む一行。
「リシュがあんなに寝起きが悪いとは知らなかった。どうして、昨日は起きられたんだ?」ラトーディシャが彼の隣を並走しているリシュリオルに聞いた。
「昨日は、お前のこととか、戦いのことで眠れなかった。今日はやけに寝付きが良かった。いろいろ気掛かりなことが消えたからかな?」リシュリオルがラトーディシャの顔をじっと見つめる。ラトーディシャは眉をひそめた。
「僕のせい? それはそれは、悪いことをしたね。でも、こんなにお寝坊さんなら、眠れなかった方がいいんじゃないかな?」皮肉っぽく笑うラトーディシャ。
「ふふっ、そうかもな」リシュリオルはニヤリと笑った。
リシュリオルとラトーディシャの前を走っているラフーリオンとゼールベル。ゼールベルが気味悪そうな顔で二人の顔を一瞥した後、ラフーリオンにひそひそと話しかける。
「何があったの? この子達は」
「さあ? だが、気味が悪い」
「ラフもそう思うよなぁ」
ゼールベルは後ろで楽しそうに話している二人から遠ざかる為に、少しだけ走るスピードを上げた。
一行は本戦が行われる大闘技場へと、なんとか開会式が始まる前に辿り着くことができた。
闘技場の門に待機していた兵士が遅刻仕掛けた彼らをしかめっ面で見ながら、本戦に出場する闘技者達の為に設けられた待機室へと彼らを案内した。
待機室には既に本戦に出場する闘技者達が、開会式が始まるまでの時間を自由に過ごしていた。
「俺達を含めて、8人か」ゼールベルが待機室を見渡しながら、呟く。
「予選でどれだけ落としたんだ?」ラフーリオンは受付の時、大量にたむろしていた闘技者達のことを思い出した。
待機室の扉がいきなり開き、数人の兵士がぞろぞろと現れた。
「これより本闘技大会の開会式が始まります。闘技者の方々には、これより大闘技場に設けられた式場に向かっていただきます。開会式中は王の御前ですので、どうか粗相のないように」兵士達の指示に従って、闘技者達は闘技場に向かう。
移動中、ラフーリオンは兵士の一人に尋ねた。
「本戦のトーナメントはもう決まっているのか?」
「本戦の内容に関しては、詳しくお伝えすることができません」
「……そうか」
ラフーリオンは初戦で誰と当たることになるのか、という不安を感じていた。ラフーリオンがこっそり兵士達の持っていた書類を覗いた時、本戦では自主的な敗北宣言が無効となることを知ってしまう。その為、本戦では相手を戦闘不能にすること以外に勝利の道が無い。
もし、身内以外の人間と対戦することになった場合、どんな方法で攻撃されるか分からない。ラフーリオンは勝ち進むつもりなど全く無かったが、できることなら身内の人間に痛みを伴わず、すぐに気絶できるような『軽やかな一撃』を決めてもらいたかった。
ラフーリオンの悩みのことなどつゆ知らず、ゼールベル達は楽しそうに談笑しながら、闘技場に向かって歩いている。
兵士と闘技者達の靴音を聞きながら薄暗い通路を歩いていると、通路の先が明るくなっているのが見えた。そして、段々と大きくなっていく群衆の声。闘技者達は戦いの舞台に足を進めていく。
ラフーリオンは通路の先へと抜ける時、観客席に見える大量の人影を見て、そのまま通路の方に戻って、何処かに消えたかった。
彼は目立つのが嫌いだ。
下らない見栄を張って、予選を通過するんじゃなかったと、今更後悔していた。前を歩くリシュリオルは楽しそうに客席に向かって手を降っている。あの精神性が羨ましい。
ラフーリオンはげっそりとした顔で、闘技場の中央に即席で作られた開会式の会場に並んだ。ラフーリオンは闘技者の列の右端に並び、左隣にはリシュリオルがいた。
テレビでも見た国王がステージの中央に立っており、国王の周りに置かれた椅子には王族達が座っている。兵士がなにやら合図を送ると、国王が力強い口調でこの闘技大会についての演説を始めた。
ラトーディシャは国王の演説中、ステージにいる王族達の顔を見回した。
リアノイエは不安そうな表情で椅子に座っていた。きょろきょろと何かを探している様子だった。
リアノイエの顔をじっと見つめていたラトーディシャと目が合う。ラトーディシャはにこやかに手を振った。リアノイエはその姿を見て、ほっとしたような顔をして、手を振り返した。彼女もラトーディシャのことを探していたようだ。
「この闘技大会は我が国のために――」
ラトーディシャは国王の演説には興味がなかったが、時折聞こえてくるもっともらしい言葉が全くの嘘であることを知っているので、その度に国王の顔を見て、鼻で笑った。
ラトーディシャにとっては心底くだらない国王の演説が終わると、兵士から本戦のトーナメントの組み合わせが発表された。
ラフーリオンはその発表を聞いて、胸を撫で下ろす。最初の対戦相手はリシュリオルだったからだ。
これで、リシュリオルに事前に相談し、『軽やかな一撃』を受け、大きな怪我をせずに気絶することができるだろう。ラフーリオンはそう考えながら、闘技者用の待機室に早足で戻った。
他の闘技者達も彼に続いて、待機室に向かう。
待機室でラフーリオンが考えていた計画をリシュリオルに伝えた。だが、リシュリオルはラフーリオンの計画には賛同してくれなかった。
「たまには本気で戦ってみたらどうだ? 私は手加減なんてしないからな」ラフーリオンを見る彼女の目は冷たかった。
リシュリオルを説得できないと悟った彼の顔が青ざめていく。
リシュリオルに本気で殴られたら相当な痛みを伴うだろうが、異界渡りの身体は他の人間と比べてかなり丈夫で、意識を保つ力が強い。リシュリオルに数回殴られただけでは、よほど当たりどころが良くなければ簡単に気絶はできないだろう。
困り果てたラフーリオンは苦痛から逃れる方法を全力で考えていた。
「一回戦は私達だろ。先に行ってるからな」リシュリオルは待機室の扉を開ける。彼女が部屋から出ていったのを確認した後、ラフーリオンはラトーディシャの元へと歩みを進める。
「ラトーディシャ、頼みがある。お前にしかできないことだ」ラフーリオンは他の闘技者に見つからないように、一枚のメモを素早くラトーディシャに渡した。
「何?」不思議そうにメモを受け取るラトーディシャ。
「黙って、そこに書いてることを実行してくれ。他の奴にばれないように」
「ラフーリオン、君は……」ラトーディシャはメモの内容を読んで、苦笑した。
リシュリオルは闘技場の中心で暇そうに地べたに座っていた。
兵士達も観客達も王族達も闘技場の様子を見て、呆然としている。彼女の対戦相手であるラフーリオンが試合開始時間になっても来ないのだ。
アリゼルが影からこっそりと現れる。
「ラフーリオンさん、来ませんね」アリゼルの言葉に頷いた後、リシュリオルは大きなため息をついた。
観客席からブーイングが聞こえ始め、試合が始まってもいないのに闘技場内がどんどん騒がしくなる。
リシュリオルが観客席を見回していると、王族達の専用席から闘技場を臨む国王の元に一人の兵士が駆けつけ、何かを耳打ちしているのが見えた。王の顔が驚きで歪んでいる。何があったのだろうか。
別の兵士が審判に紙のようなもの手渡した。困惑した表情で審判は紙に書かれた内容を読み上げる。
「只今、兵士より報告がありました。第一回戦の闘技者であるラフーリオン選手が戦闘不能状態で見つかったとのことです。これにより、第一回戦はリシュリオル選手の不戦勝とさせて頂きます」
審判の言葉を聞いて、客席からのブーイングが激しさを増す。だが、一番文句を言いたかったのはリシュリオルだった。
(何をしてるんだ、あいつは!)リシュリオルは舌打ちをして、待機室に戻っていった。彼女が去っていく間、闘技場には観客達の罵声が飛び交っていた。
待機室では、闘技者達と兵士達が何やらざわついていた。
「一体、誰がこんなことを」兵士の一人が呟く。
リシュリオルはその兵士に何があったのかを聞いてみた。
「ラフーリオン選手が、何者かに襲われ、気絶しているのが見つかったのです」
「ラフーリオンは今、どこにいる!」
「治療室です。通路を右に真っ直ぐ行ったところの突き当り――」
リシュリオルは兵士の話が終わる前に走り出していた。
「通路の突き当り、ここか」リシュリオルは治療室の扉を勢いよく開けた。
治療室にはベッドの上に眠るラフーリオンとそれを見守るラトーディシャとゼールベルがいた。
「ラフーリオンは無事なのか?」リシュリオルが心配そうに二人に聞くと、ラトーディシャが口を開く。
「ああ、心配ないよ。手加減した。ああいや、大した傷は無いから」
「そうか、それは良かった」安心した様子で、近くにあった椅子に座り込むリシュリオル。
「誰の仕業なんだ? 兵士から誰かに襲われたと聞いた」
「さ、さあ。まだ分かってないみたいだよ」
「クソッ、ラフが何をしたっていうんだ!」ゼールベルが拳を強く握りしめる。
「こんなことをする奴は、絶対に許さない」リシュリオルの鋭い目つきからは憤怒の念を感じ取れた。
ラトーディシャは二人が本気で怒っている様子を見て、思わず吹き出してしまう。二人がそれに気付き、ラトーディシャの方をじっと見始める。
彼は慌てて、適当な言葉で誤魔化した。
「そうだね。彼をこんなふうにした奴を探し出そう。絶対に許しちゃいけない」
「犯人探し、俺も協力するぜ」ゼールベルが賛同する。
「ありがとう、みんな。……待ってろ、ラフーリオン。絶対に犯人を見つけ出してやるからな」リシュリオル達はラフーリオンを襲った者を探す為に、治療室を出ていった。
ラフーリオンはベッドの上で穏やかな表情で寝息を立てていた。
待機室に戻ると、設置されたディスプレイに二人の男が戦っている様子が映っていた。次の試合は既に始まっているようだった。
待機室に残っていたのは、刀を腰に差した長髪の男と小ぎたないローブをまとう秀麗な顔立ちをした女剣士だった。
今、闘技場で戦っているのは拳法家の様な格好の男と屈強な体格をした男。
ラフーリオンを襲う可能性がありそうなのは、やはりトーナメントに出場している闘技者の誰かだろう。それか、昨日の予選でラフーリオンに負けた男かもしれない。酷い負け方をしている。
神妙な顔つきで何かを考えているリシュリオルを見て、ラトーディシャはまた吹き出しそうになった。
今更、僕がやりましたとはとても言えない。少しだけ面倒な立場になってしまったが、ラトーディシャはそのまま笑いを堪えながら、ラフーリオンとの約束を守ることにした。
試合に勝利した様子で、拳法家の男が待機室に戻ってきた。リシュリオルは男の顔をまじまじと見る。ラフーリオンをやったのは奴だろうか。
ラフーリオンが襲われたのは、トーナメントの組み合わせが発表された後だ。そして、この男は二回目の試合でラフーリオンと戦う可能性があった。
リシュリオルの視線に気付いたのか、拳法家の男が近付いてくる。
「私の名はバロウディウ。宜しくお願いします」バロウディウと名乗る彼は、礼儀正しく次の対戦相手に挨拶をしに来たようだ。
「私はリシュリオル。よろしく」リシュリオルはやや素っ気なく挨拶を返す。
「私は修行の為、世界を旅して回っています。この闘技大会に出たのも、修行の為。明日の試合、楽しみにしています」
リシュリオルはバロウディウの鋭い眼光を放つ目をじっと睨む。彼からは他人を蹴落としたりするような悪意は感じなかったが、代わりに強者の風格のようなものを備えている気がした。
こいつは強い。犯人探しのことなど忘れて、リシュリオルの口元は緩んでおり、体は疼いていた。
「それでは」バロウディウは静かに待機室から出ていった。
入れ替わりに一人の兵士が現れる。
「次の試合がもうすぐ始まります。闘技者の方は準備をして下さい」壁に寄りかかっていた長髪の男が動き出す。
「次は僕の試合か」ラトーディシャはリシュリオル達に笑顔で手を振ったあと、長髪の男と共に待機室から出ていった。
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